2006年12月12日

酒屋の通帳(続)

貧乏のしみつく痕(あと)や我が父の死にて遠しも年の暮かな

酒屋の丁稚をしていた父だったがその通帳にはやはり貧乏がしみついている。貧乏というと今では想像できない貧乏があった。一時我が家では家を間借りさせて貸していた。その家賃が日掛けだった。毎日家賃をとっていたのだ。なぜそんなめんどうなことをしていたのか?その頃はその日暮らしだった。一度に家賃を払いないから払えるとき払う、とれるときとっておくとなった。日銭稼ぎだった貯金などできなかったのだ。江戸っ子は宵越しの金をもたない・・・というとき威勢はいいが貯金ができない、貯えることができない、その日暮らしであった。

明治初期から半ばごろにかけての下層社会を調査した横山源之助(「日本の下層社会」)によれば、棟割長屋の家賃は日掛けで二銭五厘から四銭程度だった。そのころの住民一日の生活費用が三−四人家族で三十三銭以上四十五銭ほど。最大の支出項目は米代の二十銭前後だった。ところが収入のほうは、人力車夫などは一日四、五十銭になったようだが、ほとんどは一日に十銭にも満たないありさまで、これでは生活不可能なので、女性や子供が屑漁りという内職で補い、食費を残飯で浮かせたりした

米が一番大事で高いから貯えるのは米だった。郷倉とは飢饉に備えた村の倉も米や食料を貯えていた。それから日掛けだとすると毎日家賃をとり回るとしたら毎日貸している人と会うのだからなんらかの話をすることになる。大家さんと部屋を借りている人は毎日顔を合わせることになる。そういうふうに人と人が寄り合い親密に暮らしていた。今のアパ−トとはあまりにもちがいすぎる。隣に誰が住んでいるかもわからないのが現代だからだ。子供でも隣近所は親密な場所だった。田楽を売っていて焼けるのを見て何銭かで買ったとかうどん作りで小麦粉を踏むのを手伝ったとか近所が親密な生活の場所だった。そういう親密な場所で人情が育ったのである。それは商家で働くと家族の一員のようになるとか肌と肌で接しあう場だったからこそ自然とそうなったのだ。

物がないとき、不便な時の方が人間の交わりは親密になる。どうしても近くで人間同士が助け合わねば生きていけないからだ。最近格差社会が話題になっているけどアパ−トち一人取り残されて餓死寸前の人とか貧乏でも人が人と隔絶されてしまっている。昔だったら貧乏でも人と人でも顔を合わすから助け合うということがある。でも貧乏の悲惨さは人が親密に交わる世界でも残酷である。隣を借りていた人は燃やすものもなく家の一部を壊して燃やしていた。薪になるものがないと寺に助けを求めた者に寺の家の一部を板などをはがしてくさたというのも燃料になるものがないとそうなるのだ。火になる燃料は欠かせないのだ。そしてセンベイ布団に寝て餓死のように死んでいった。その頃生活保護がなかったのだ。こうしたことは各地にあった。貧乏の悲惨さも経験しないとわからないのだ。

前にも書いたけど卵すら病気のときしか食えなかったとか今では信じられない貧乏な世界があった。

巨人、大鵬、玉子焼き、と昭和37、8年から45、6年の当時、少年たちの心を占めていた大好きなものがあった。この言葉の意味は巨人が好き、という裏には巨人と拮抗する他球団との比較が存在するし、........

玉子焼きが好物となり卵が食えるようになった。その頃卵は放し飼いの鶏からとったものだった。私は子供のころ卵を農家から買わされた。自転車の後ろに糠を入れたの箱をつけて卵を買いにゆくのだ。必ず卵は壊れるのである。卵を入れる今のような型にしたものすらなかった。自転車だし道は舗装されていないから卵は壊れるのだ。でもそのあとすぐにバイクが普及してきた。ベトナムやカンボジアでバイクの洪水を経験したようにバイクの時代がきて車の時代になった。でも車の時代になるのが早かった。おそらく十年くらいで日本は急速に変わってしまったのだ。

大鵬は忘れられ巨人もかつての栄光はない、長島は脳梗塞になった。一時代は過ぎ去ってしまったのだ。貧乏も今は格差社会で変質した。同じ貧乏でも時代が違うと貧乏の様子も違ってくる。現代は豊かななかでの貧乏でありこれもかえって悲惨だとなるかもしれない・・・ともかく病気の父が死に際に言ったことが「さしみが食えるようになったのに食いたくなくなった」という悲しい言葉だった。病気で食欲もなくせっかくさしみを出しても食いたくないということだった。これも貧乏時代の悲しさを象徴するものだった。貧乏がしみつくとは貧乏が離れないということであり大正生まれの人がもったないもったないと食事の余りものをなげようとしないのはそのためである。貧乏が体にしみついてしまっているからだ。年の暮に昔の貧乏な暮らしをたどるのもまた必要なことである。飽食の時代の復讐がこれからくるかもしれないからだ。そんな無駄を自然が許すと思いないからだ。そのためにも昔を偲ぶことは意義あることなのだ。


酒屋の通帳(1)http://www.musubu.sblo.jp/article/1836589.html
posted by 老鶯 at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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