うたたねし死人現る年の暮
クリスマスだけど年の暮でもある。クリスマスは信仰していない人には関係ないけど商売の人のために必要になっている。これも実際は不敬なことである。主-キリスト自身が神殿で商売するなと商人を追っ払ったからだ。何でも商売に宣伝になるのはよくない、いつのまにか商売にされてしまう宣伝にされてしまうこともある。それほどすべてが商売になったのが現代である。宗教団体そのものが商売そのものになってしまっている。宗教と商売は分離すべきである。日本人の宗教の特徴として神社でもなんでも御利益宗教だった。得することと徳は同じなのである。神社にお参りするときもほとんど御利益のためだから日本人には本来あまり宗教心はない民族である。これほどどこでも凄まじいほど御利益宗教であることは本来の宗教はどこにも存在しない、クリスマスを種にして商売して酒飲んで一年の憂さ晴らしくらいにしか考えていないのが現実なのだ。
うたたねしていたら死んだ人が現れて「ああ、生きていたのか」と喜び合った。これもずいぶん昔になるので夢に見たことがなかった。交通事故で死んだ人だった。年の暮には死人も現れる。死人も現れて一年を回想することになる。今年も終わりだがあんまりいい年ではなかった。というより老人家族だからいいことはない、軽い痴呆症の病人をかかえるようになったのもそうだし家族自体にいいことはもうないのだ。プログをはじめて一カ月だけど結構書いた。そもそもこのホ-ムペ-ジとかでも軽く書けるから書きやすいからちょっとした感想でも書きやすいからこうして書きつづける人が多いのである。これを長文で本のように書くとなるとほとんどの人は書けないからだ。まあ、30人読んでいるとしたら前からするとかなり読まれていることになる。これはあとから検索と整理に便利なのだ。前の膨大なログがありこれを整理する必要がある。ただ整理しきれないくらい多くなってしまった。一部屋が本の山になったと同じである。
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