長町ゆ仙台へいず広瀬川冬鴎群れ愛宕橋わたる
鴎むる広瀬川の岸冬の日や蔵という名のレストランあり
年の瀬や長町いでて仙台へ
長町や昔の宿場年の暮
冬鴎蔵という名のレストラン>
仙台に行く時は電車だと長町には寄らないから長町を意識したことがない、長町は通りすぎる街でしかなかった。それが自転車だと長町でおりるのが便利なので長町でおりて仙台に行く、それで長町を意識するようになった。長町は仙台市でも長町まで買い物に来る人はまれだろう。かえって長町は仙台の中心街から離れているから忘れられる。大きな中心街があるとそうなりやすいのだ。だから仙台に日常的に通っている人でも長町に来る人はまれである。来る用がないからだ。ところが昔なら仙台に行くには必ず長町を通る。そして長町は宿場町になっていた。ええ、仙台の数キロしかないのに宿場町なのかという疑問がでてくる。それが現代の交通感覚なのである。歩く世界では二三里の感覚で宿場町が必要だったのである。特に仙台に近いとなるとかえって必要だったとなる。昔の街道だったから必ず街道沿いの町や村は意識されるのだ。現代では電車でも自動車でも意識されない、通過点になりやすい、道の駅などでやっとその町を意識したりするようになる。
現代の交通は通過点になりやすい、通過するだけの旅になりやすい、だから長町というのも通過点に過ぎないから忘れられる。これはここだけの話ではない、江戸に入るにも京都に入るにも歩いて入るのと電車で入るのとは全然違う、何故なら電車だと上野の前に日暮里とかあり必ず駅名で意識する。ああ、上野に着いたなとかなる。つまり今や旅は駅名でしか意識されないのだ。昔だったら必ず宿場町として通る場所は意識されたのである。現代の旅は通過するための旅でありあとに何も残らない旅となってしまったのだ。だから仙台に来るなら長町から仙台に入るといいのだ。歩いてもさほどの距離ではない、ただ地下鉄も出ているが歩いて広瀬川に出て橋をわたり仙台にでるとそれなりに仙台に来たなという旅の喜びを持つことができるのだ。こういうふうに手間暇欠けないと旅にならない、それができないから通過するだけの印象にも残らなくなったのが現代の旅なのである。
商店街には八百屋、果物屋、種苗店、肥料店、竹の籠屋などが軒を連ね、長町は活気あふれる「仙台の台所」として栄えていきます。やがて市場は手狭になり、昭和38年に宮城野原、そして昭和48年に現在の卸町へと移転していきますが、・・・・・・
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長町は江戸時代は宿場町でありそれからも「仙台の台所」だった。仙台に近いから長町の繁栄があったのだ。
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