http://www.city.sendai.jp/kensetsu/road/hiroba/jozenji/
ここにあった喫茶店はなくなった・・・・一番いい場所にあったが・・
(定禅寺)ライブカメラ
残菊に枯木一本や今日も見ゆ
カラフルに子供服干して冬菜かな
広瀬川冬鴎群れ橋渡る
定禅寺語らい過ごし冬の雨
定禅寺銀杏並木の枯れにけり冷たき雨にぬれて行く人
仙台まで何ヵ月ぶりかでハンディバイクもって行った。長町でおりてそこから走り橋をわたる。電車で行くとこういう行程がなく駅からだから広瀬川の橋はわたらない、つまり何度も行っているけど電車だとこうしたちょっとした道の行程が省かれるから地続きの感覚がなくなるのだ。昔なら歩いていたから必ず橋をわたり仙台の街に入るのである。そこで橋の名前とか橋が意味を持つものになるのだ。これは車社会でも橋とかもっている意味が喪失したのだ。広瀬川に冬鴎が群れていたのも都会的だった。
そこから定禅寺に行き160円の喫茶店に入った。なぜこんなに安いかといかと隣が180円だから160円にしたのだろう。喫茶店はやはり外を通りをながめられるのがいい、銀杏の並木が見えたがあいにく冬の雨だった。でも冬の雨は雨なりに情緒があり俳句は写生だから冬の雨だったら写生すればそれなりに深い意味あるものとなる。ここで活きたのが「定禅寺」という地名、名前なのである。ここに禅寺があってそうなった。この名前と銀杏並木でここが歴史的なものと銀杏並木で独特の風情を作り出しているのだ。こういう情緒はこうした通りにしか作れない、ス-パ-とかデパ-トには作れないのだ。通りに面して店があることで通りが活きてくるのである。どうしても自転車だと通りを行きその通りにそったものを見るようになる。自転車だと路地を曲がったり街全体の通りを行くことになるのだ。
電車から見た赤い子供服が農家の庭に干されていたのとその下に冬菜があったのも写生しただけなのであるが鮮やかな対象を成した絵だった。
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