秋にふさわしい詩(鉛筆が語る昔)
タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明日はもう秋だ
ー西脇順三郎「秋」U、詩集『近代の寓話』(1953)所収。
この鉛筆はドイツ製だという、鉛筆も昔はいいのは輸入ものだった。昔から勉強はノ−トに鉛筆を削り書いていた。鉛筆をナイフで削ることが子供の頃いつもしていたのだ。鉛筆も結構高価でありノ−ト(帳面)も高価である。帳面という言葉は死語になった。親戚の叔父は鉛筆が最小限に短くなるまで使っていた話をした。もう指でつかむことができないくらいまで鉛筆を使っていた。ノ−トも隙間なくびっしりと書いていた。それほど鉛筆もノ−トも貴重だったのだ。鉛筆をナイフで削ることは手を器用にしたりする効用があった。鉛筆削りという機械もでてきたが鉛筆をナイフで良く削っていた。
学校で学べない貧乏の無念
叔父は優秀だったらしい
鉛筆を手にもてなくなるほど使い
帳面にも隙間なく文章で埋めた
貧乏で学校で学ぶことができなかった
女学校に入りたかった姉もしきり言っていた
父は酒屋の丁稚奉公でどうして字を覚えたのか不思議だ
通帳にも筆で書きよく筆を使っていた
明治生れの人で最後にさしみ食えるのにさしみ食えない
病気で食欲がないから食えないと言って死んでいった
その後も貧乏な時代は続いていた
金の卵で中卒で集団就職した同教生も多数
中卒が当たり前の時代から大学出が当たり前の時代
留学すらそれほどめずらしくない時代
私は三流大学でも大学出たんだから恵まれていた
父は上の学校にあげろよと遺言して死んだ
上の学校で学ぶこと自体が貧乏な時代は容易でなかった
明治時代から上の学校で学ぶことが日本人の願望だった
それは立身出世やら偉くなるということに通じていた
大学など出ることは最高のエリ−トの時代があった
字が読めない明治生まれの祖母が墓に埋まっている
ハガキなど書けないので人に頼んでいた
字を書いたり読めることがすべての人にできない時代があった
なんだか昔の人を今想うと悲しくなる
母方の墓には20代で結核で死んだ人が埋まっている
人間は望みをかなえられず死んだ人が多い
貧乏の犠牲となって死んだ人が多いのが歴史だ
叔父の写真は飾っている場所がない
実家が喪失してしまったから跡継ぎもいないから
墓だけは残っているのもあわれ
その一生は貧乏であり何ら残すべきものもなかった
そういう人が昔は多かった−無念がそこにあった
西脇順三郎の詩にはこうした貧乏の記憶はない、むしろ鉛筆というのが知的刺激を与えるマジック的なものとして詩にしている。バラモンはカ−ストの一番上の知識階級である。下々のことは念頭にないのだ。これは鉛筆を削り鉛筆で書くことにより知的な生活が道具とともにあった時代を詩にしている。田舎的ではない、極めて都会的なのだ。賢治の詩に通じる所がある。賢治は田舎的なものと都会的なものが同居していた希有なる天才だった。あれだけの知的宇宙を作り出したことに驚嘆するのだ。それも東北という岩手県で孤立していてできたのだから不思議だとなる。今とは相当環境も違う、海外旅行とか留学すら一般化した時代とは違うのだ。知的作業は前は筆で書いていたし鉛筆で書いていたときでも鉛筆を削ったりしているのなかで知的なものが育まれた。これは万年筆などにも言える。それは今や郷愁となっているのだ。バソコン時代になったらこうしたものから電子文字を読むようになったから郷愁の世界となってしまった。パソコンの文字はみんな同じだから個性がない、書くことはやはり文字にも個性を記すことだった。それが筆なら特別そうだし鉛筆でも万年筆でもそうである。書体はその人の個性を示すものだから外国ではサインが判子の代わりになっているのだ。今でも遺言書などは自筆で書かねばならない、実際死んで残した姉のノ−トの「私の一生」というのは遺言のようになっていた。字がうまい人だったから記念として残されるものとなった。これがパソコンで書いて印刷した電子文字だったら味気ないものとなっていたし証拠とならないことが問題になる。その人の書体がないからだ。ただパソコンは気楽に文章が書けるのでこんなに書いてきたのである。これだけのものを原稿に鉛筆であれ万年筆であれ書いていたらとても書けない、書くことは相当な労力なのである。私はあまりにも悪筆だから自分の書いたものを残したくないこともある。うまい字を書ける人も少ないことがありこれも問題なのである。インタ−ネットで書くとき便利なのはすぐに引用できることなのだ。この詩すら知ってはいたが良く読んでいなかったが紹介する人があるとこういう詩とか俳句とか短歌あったなとその一つのものを深く鑑賞することになる。普通なら本を読んでそうなるのだがプログなどで誰かが紹介したものを読むのがインタ−ネットなのである。その方が新しい発見があるのだ。こういう読み方自体今まではありえなかったのである。一つの詩とか一句一首を読むことが多いのである。この詩は高級な知的なものを刺激するものとしての鉛筆だがその底辺には貧乏な時代の知識を獲得できない、学校で学ぶこともできない人々がいた。そういうことをふりかえることも必要なのだ。この詩はとにかく秋にふさわしい詩だった。