風転ぐ枯葉やせわし師走かな
just blowing winds
a dead leaf rolling over
at the end of the year
前畑に老夫婦や冬日没る
冬の日やネギの畑に忘らる碑
街中に農家のありて冬日さし古木の影に蔵の古りにき
五六万の市だとかなり田舎である。郊外も田舎だし街中にも古い農家があり庭が広く野菜を作っている。江戸というと今の東京とかとは全然感覚的に違う、かなりの田舎だったのである。そもそも米中心の経済だし経済そのものが農民に負っていたのだからそうなる。絶えずそこには農民が行き交っていた。肥料として絶えず便や尿が運ばれていたことでもわかる。この農家の庭の畑になぜ馬頭観音の碑があるのか不思議だ。やはりここが古い昔の道で馬を使っていたから供養に置いたのだろう。つまりなんらかこの街でも馬を使っていたのである。そういうことは想像できない街なのだが昔は馬を荷馬車とかいろいろ使っていたからどこにでも馬頭観音があるのだ。
行倒レ死人取片付(天保8) 18 越後米小諸御城中へ附届(天保8) 19 放チ馬有之ニ付佐久郡中へ御触(天保8) 20 千曲川筏越ニ付書留(天保8) 21 御無尽申付(天保14) 22 入会山論ニ付会合(天保15) 23 密通ニ付叱り申付(天保15) 24 郷夫奉公人余荷金取定メ 郷夫奉公人夫銭取立(弘化2) 25 追分へ売女買ニ参り置去りニ致シ候ニ付取縺(弘化2) 26 傅馬人足割付(弘化2) 27 御頼金御證文献立 28 虚空蔵菩薩開帳(弘化3) 29 豊作ニ付御初穂米献上(弘化3) 30 関東御取締出役様ヨリ囚預り(弘化3) 31 御影役所御手先無宿者召捕(弘化3) 32 村芝居差留(弘化4) 33 馬士仲間馬頭観世音ノ建立(嘉永元) 3
(長野県佐久市資料)
放チ馬 傅馬人足割付 馬士仲間馬頭観世音ノ建立(嘉永元)
放ち馬とは家から逃げた馬なのか、野生化した馬だから持ち主がとりにこいとかの御触が出されたのかもしれない、今でもこういうことがあるから昔もあったのだ。この目次からでもいろいろなことが想像できる。追分へ売女の取り締まりがあったということは街道筋で飯盛女とかに売られる女性がかなりいた。でもそれが役所で禁止していたのかとなる。馬頭観世音は馬士仲間が建てた。荷馬車が子供の頃まだつかわれていた。その後ろにのって遊んだことがあったからだ。馬頭観世音はあそこには一つだかすぐ近くにもいくつかあるしいたるところにある。それだけ馬が欠かせない社会だった。
前畑というと前にも書いたが門田とか前田とか農家にとって一番大事な畑や田だったのである。そこに老夫婦が働いている光景はいい光景である。人間やはり自然と結びついた農家とがないと都会だけでは疲れる。何か特殊な世界となってしまうのだ。ともかくなんか枯葉が風に転げるようにせわしくなった。