2006年12月09日

冬の灯(2)


仕立屋や裏に目立たず冬灯かな

毎日通る裏道に仕立屋がある。仕立屋は昔はどこにでもあった一般的な仕事である。
今はまだあるにしてもできあいのを買うから残っていてもわずかだろう。これも手仕事である。昔は仕事は手仕事が多かったのだ。だから人間味があり人情的になる。現代は工業化による大量規格生産と消費なのである。そこに人間味はなくなる、人情もなくなる。

仕事とは誰かが目立たずしている、気付かないことが多いが仕事はされている。仕事は一般的にそういうものであり今のようにやたら宣伝ばかりして仕事している人は少なかった。仕事は地味なものでありハデなものを仕事に求めるのは間違いである。

何気ない裏通りを毎日通ってもそこにあるものが意味を帯びてくる不思議がある。墓町であり町畑の菊畑でありひっそりと残っている仕立屋である。この裏道を通ってかなりの俳句短歌をプログで書いてきたのも我ながら不思議な経験だった。今までだったらたまに通ってもこんなに俳句、短歌など書いていなかったからだ。介護する身になって見る目が変わってしまった。同じ場所でも見る目が違うと別なように見える。病気になったりするとまたいつも見ている景色も人も別なように見えてくる。特に死期がまじかになったりするとすべてがいとおしくなり貴重なものに見えてくるのもそのためである。
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