2008年09月19日

雲にじむ月(電車を待つ間)


交換の電車待つ間や秋の蝉


雲にじむ月や交換の電車待つ

雲にじむ月や遅れし電車かな


新地駅雲にじむ月蛙鳴く



待合室旅人寝るや残暑かな

常磐線は単線だから交換の電車を待つことがある。今日は日立木駅で三分待ち帰りは新地駅で10分以上待った。いつもは七分なのだが今回は電車が遅れたのである。その新地駅のホ−ムに出たら雲に月が滲んで光っていた。こういうとき自然を感じる時間をもつことができる。都会では三分も待つことができない、何分かおきに電車が走っている。ここは一時間おきである。たいがい最初は座れなくても座れるのだ。立つことはほとんどないから楽である。
 
駅のホ−ムの待合室に今日は4人も寝る人がいた。めずらしいなと話してみたら何か話したくない、話したくない人は何かいわくありなのか、何か聞かれるのが嫌がっていた。二人は夫婦でありあと二人も老人だった。中高年が4人がこの駅のホ−ムの待合室に泊まるのだ。私も駅の待合室に何回も泊まったが駅のホ−ムには泊まったことがない、あそこは個々の椅子ではない、横になれるから寝れる、あそこだと警察が見回りにきてもわからない、夜は駅員もいない、そういう駅が多い、駅員がいると見回りにくるからあそこには泊まれない、今は昼間はいても夜はいない駅が多いのだ。普通は若い人が寝ているのだが中高年だった。旅は日本ではホテル代が高すぎるからあういうところで寝るほかない、おそらくあんなふうにして旅している中高年もふえているのかもしれない、老人も自由な旅をしている。山も中高年であふれているからあんなふうに自由に金のかからない鉄道の旅をしている中高年もふえてくる。老人がふえてくるからその老人もまだ体力あれば駅に寝泊まりして旅できる。でも話しかけたのにとりあわないというのはおかしい。詮索されるのが嫌なことはわかるが警察でもないし何か通報することもないのだから、何か警戒しているのかもしれない、ともかく今や若者だけが自由な旅をしてしいるのではない、老人もあんなところに泊まり自由な旅をしている。そういう時代なのかもしれない、老人といっても60くらいだとあういう旅がまだできるからだ。

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