2006年12月04日

雪の平泉

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初雪や新幹線の朝の窓

みちのくの枯野の果てや金色堂

北上の流れの尽きじ枯野かな

冬の日や牛車の寄りし昔かな

苔に雪浄土が池に古りし杉

浄土が池昔を知るや鴨群るる

みちのくや冬菜に雪や駅に待つ

歳月は流れけるかな昔ある人もなきしも冬の日暮れぬ

知られざる道分け入りて古き碑の雪に埋もれてともしき家かな

みちのくの栄華の跡や大門の残る礎石やみ雪ふるかな

千年の浄土が池にみ雪ふり昔の跡の礎石残りぬ

焼失の堂塔伽藍夢と消え礎石残りてみ雪ふるかな

みちのくに曲水の宴その跡やみ雪ふりつつ我が後にしぬ

はるけくも義経逃れ高館に死すとみ雪ふるかな



新幹線で一関まで行きそれから折り畳み自転車で平泉までなんとか行ってきた。新幹線で30分だから近いが平泉には止まらないから苦しい。前は時間の制約がないし無制限だったからわざわざ鈍行とかゆっくりする旅を演出していた。今や一日の余裕すらない、食事まで帰らねばならないとなると急ぐ旅なのだ。そしてわかったことは今の時代、新幹線とかで日帰りでもかなり遠くへ行ける、盛岡までは確実に行ける。新幹線は時間を短縮したのだ。現代とは時間を交通の便を良くして短縮したのだ。昔だったら平泉まで来るのに京都から半年もかかり春から秋になっていたとかの歌がある。それほどとてつもない遠さだったのだ。その遠さの故に憧れの場所ともなった。義経もはるばると苦労して逃れてきた道のりが伝説を残したのであり京都から新幹線で一日できたら何の感慨もなかったのだ。

今日は平泉近くになると雪になっていた。仙台に近くても朝一時期雪がふった。平泉では雪の中を走っていた。そして道に迷い中尊寺から別な方向に行ってしまった。やはり平泉まで来ると寒いから雪が降る。気候の変化がある。前の師の上野霄里氏も一関から消えた。すでにあまりに長い歳月がまたたくまに流れてしまったのだ。みちのくから消えたことによりその跡をふりかえるということがある。みちのくにはやはり大きな足跡を残したのである。

ともかく雪の中の平泉というのも栄華の一睡の跡というのを感じる。冬は平泉でも雪に閉ざされる所だった。北上川というとこれも船が通い平泉まで物資を運んでいた。ただその具体的な昔が浮かばない、ただ北上の流れは滔々と昔と変わらず尽きず流れている。堂々伽藍は消え人も変わるが川の流れは変わらないのだ。今の時代は芭蕉のように一回だけではない、こうした昔の名所には何回も来るとその度に変わった印象をもつから旅とはいえないがいろんな角度から研究することができるからいいし今やそれしかできない、近くしか行けないから必然的にそうなってしまったのだ。

このつづきと写真はまた明日までご期待!!!!!!


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