2008年09月16日

認知症に対処する方法なんてあるの?


認知症に対処する方法なんてあるの?

 
●もの盗られ妄想は消えた
 
私だけの経験だけどずいぶん認知症について書いてきたけど認知症にどう対処していいか困っている人がキ-ワ-ドで私のプログにきている。自分も苦しんできたので多少の助けにならないかと書いてきた。他のプログも読んで参考にした。認知症に対処する方法はある。もの盗られ妄想で苦しんできた、一年間以上騒いでいた。最初はショックだった。直前のことを忘れるというのは例えば今何か置いたものを置いたと忘れる、するとそのモノはどこへ行ったかといぶかる。すると突然パニックになる。自分が置いてしまった衣服がなくなっている・・・一体どうしたのだ・・・ここに置いたはずのものが・・それは自分でかたづけたものだった。一体誰が私の置いたものを盗ったのだとなる。その時狂気になるのだ。二階で自分の衣服をタンスにしまったことを下におりてきたとき忘れている。そしてまた二階に行く・・自分の衣服がないと大騒ぎになる。涙を流してまで誰が盗ったのだ、言えばくれてやるのにとか大騒ぎでありその後もっとも身近なものに暴力になる。これも馬鹿げた話だけど認知症の最も特徴的な症状である。サイフを何個も用意して金をしまい金をなくしては騒いでいる。これは神に愚弄されている、悪魔がこの病気にして人間をもてあそんでいる気がした。でもそばにいる人もたまらない、これに対処方法があるのか、それは興奮しているのだから興奮を静めることが先になる。時間を置くと静まる、でも一時的に狂気になるのでその間を保つことがつらい、襲いかかるようで怖かった。なぜなら狂気の人間と接することがないから理解を越えていたから怖かったのである。こういうことが一年以上つづいた。その間にいろいろあった。このもの盗られ妄想は防ぎようがなかった。でも一年半くらいしてかもの盗られ妄想は消えた。誰かが盗ったともいわなくなり顔も穏やかになった。もの盗られ妄想は対処しだいで消えることがわかった。ではどう対処したらいいのかそれは家庭の事情で違ってくるし個々にも違ってくるからむずかしいのだ。
 
●全面的にご機嫌をとることしかない
 

認知症の対処方法はその人が何であれご機嫌をとる方法かしかない、相手が馬鹿になってもプライドがあるからそのプライドを保つ、ご機嫌とりをする、いろいろ昔のことを話したら「苦労したんだね、わかるよ、・・・・」「この家は苦労して私が建てたんだよ、私は本当に働いたんだよ・・・・」「わかるよ、働いてくれたからね、・・・」
こんなふうにただ相手の言うことを肯定して認めてゆく他ない、でも千回同じことを言い続ける、それに耐えられるか?となる。一人では無理になる、認知症の対処方法は一人で限界に来る。病院で接した認知症の人は重症なんだけど三人がかりで対処していた。それも孫に娘に親戚の女性の三人がかりで交代で一日認知症の人を見守っていた。何度同じことを言っても辻褄あわないこと言ってもそうかいそうかいと慰めていたのだ。三人も女性が交代で見守れるなら認知症でも対処は楽になるのだ。自分は男で一人だったのだ。これは非常に辛くなる。そして誰か相手にする人もいなくなったからいつも一人だった。認知症の人は不安だから一人でいられない、誰かそばにいる必要があるのだ。三人も交代する人がいたなら楽だった。一人でいると不安になるしそれで家を出て行くとか言うのも変だった。一緒にいないから不満で言ったのだ。要するにともかく相手の言うことがちぐはぐでも何でも聞いてやりご機嫌をとることなのだ。千回も同じことを言っても聞いてやることなのだ。それができるか?できないから何度も怒り虐待になる。そうなると病気も悪化するのだ。だから認知症の対処はやっかいなのである。認知症の人はどんなにわがままでもそれを聞き入れていくほかないのだ。聞き分けはもうできないからだ。それに対処できる家族ならいい、三人も交代で見れる家族ならいい、そうでなかったら見切れないだろう。そうすると悪化してしまうかもしれない、脳が破損したとしてもやはり薬でなくて人間力が認知症の対処には効果があるのだ。

 
●昔からの付き合いを断たれることは不安定にする
 
機嫌をとり気分をよくさせるほか対処方法がない、そんなことできないのが普通である。でもそれしか対処方法がないのだ。もし暴力になるならその暴力を受ける人を離す他ない、そして認知症本人にとって感情的に好感をもっている人が常にそばにいることが気分よくさせるから愛情込めて接してご機嫌とっていればやがて穏やかになりもの盗られ妄想も消えたのである。馬鹿になったのに今までのようにプライドを保たせる、何かやれることをやらせる、洗濯と食器荒いと庭掃除とかやっていてそれで自分は何かやっている役に立っていると自信をもった、それまではそうした家事すらしていなかったのだ。作業療法は認知症にはいいのだ。認知症には家庭の事情が相当に左右する。家族が多いと孫でも息子でも娘でも多いと交代してめんどうみれるから対処しやすいのだ。そうでないと認知症には対処しきれない、だから他人の援助を借りたいのだがこれも認知症になると偏見、差別になりよりつかなくなる。親しい人も離れてゆくからいなくなるのだ。認知症でもやはり昔のようにつきあっていた人と形だけでも接していたいのだ。特に昔からの友達は大事である。昔のことは鮮明に覚えているから昔の人とのつながりは大事なのである。それが断たれるから認知症は悲劇なのだ。現実幼なじみとも付き合い断たれたし他もよりつかなくなった。これは認知症の人にとって心を不安定にしてしまう、それがどうしてなのか自分では理解できないから余計そうなのである。そういう人は冷たいなと思った。全然わからなくなったわけではないのに全くよりつかない、拒否する態度は冷たい、なぜなら病院に6カ月いる間も一回も見舞いに来なかった。名前を読んでいたのだから一回くらい来てもいいように思ったが来なかった。そして今や無意識無言化になったからもはや永遠に会えなくなったからだ。それでも悲しいとか思わないのは情がなかったためなのだろうか?人間なんてつくづく冷たいものだと思ってしまった。ともかく認知症は悲しい病気である。対処方法はただひたすら機嫌をとるしかない、それは普通できないから問題なのだ。親しい家族はできてもそんなご機嫌とりを普通の人はできないから認知症の対処方法は困難を極めるのだ。認知症についてずいぶん書いてきたけどこれからも困って来る人はいる。私自身の経験を何らかの助けになればと書いてきた。インタ−ネットは情報のボランティア発信がもともと主要だった。だから医療関係では役に立つことが多いのである。対話はなかったがなんらか役に立ったらならうれしいとなる。
posted by 老鶯 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題
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