2008年09月11日

無意識、無言化、幽冥界に入る(あの世から見たこの世の不思議)


無意識、無言化、幽冥界に入る(あの世から見たこの世の不思議)


●無意識,無言化により愚かさが消える不思議
 
姉はこの二カ月くらい何の反応もない、目をあかせても誰かいるのかわからない、目が死んでる、ちょうど死んだ魚の目のようである。ただまだ顔はふっくらとしているからやはり生きている不思議がある。ただこのベッドは死んでいるみている感じになる。そして現実死が近いとなると無言の反応ない人をみていると回りの人が生きている人が何か愚かに見える、何でこんな人が生きていくのだろうか?隣の友達らしい人は知的障害者みたいな気がする。それでなくても無言の内に死にゆく人をみていたらつくづく何でこんな人が生きているのか?なぜ愚かなつまらない人が生きているのか?そのうちに自分も入る。生きている人はどんな人でも賢くありえない、愚かさを生きる。それが人間の日常なのである。しかし死にゆく人、無言なる人と二カ月くらいすごしてかえってここに賢さがあるように見えた。もし元のようにしゃべったりしていたらやはり認知症だから笑われたりしてこの人はなんなのだとうとまれたりしたかもしれない、しかししゃべらないから馬鹿には見えないのだ。人間が生きていることは不平、愚痴、欲望、・・・様々な喧騒のなかに雑踏のなかに混濁している。一方死にゆく人はもはやこの世について何も語らない、何か瞑目して語らない、病気でいやおうなくこうなっているのだけど瞑目しているから死にゆく人はこの世のことはもはやかかわらず賢いように見えるのだ。いづれにしろこの二年間半は認知症から病院の入院から遂には無意識への反応なき人間と様々な変化にみまわれて翻弄された。それはまだつづいている。
 
おそらく姉は今−幽冥界に入っている・・・・この世からは離れてしまっている。ただ体はこの世に留まっているだけなのかもしれない、この世とはいつも変わらない、愚かなるもの、有象無象の人が生きる世界である。なんでこんなつまらない人がこの世には生きているのだろうか?あの世から見えるこの世はあまりにも違っている。この世はかえって悪人であれ愚かなもの、罪なるもの、多種多様なつまらない有象無象のものが生きている世界に見えるのだ。認知症になった人も知的障害者もまたそうでないものもそこになぜこんなにいろいろな愚かなくだらない人々が混濁して騒ぎ生きているのだろうか?それがあの世、異次元の世界から見ると異様なのである。この世のことがなぜわかりにくいのか?それはこの世に交じりこの世にばかり生きているからわかりにくい、見えにくい、これが別な次元から他界から見るときなぜこんな人がいかしめるこの世が奇妙に見えてくるのだ。もし天国からこの世を見たらなぜこの世はこんなに混濁しておかしなつまらない、罪に汚れた人々が生きているのだろうかと不思議に思う、天国はあまりに清浄な世界だからだろう。その清浄な世界から比べるとこの世はなんと奇怪な愚かな何を目的にして生きているのかわからない人々が日ごとに愚かなお祭りをしているのだろうか?この世とはいつもそういうものだった。生きている限り人は賢くはなりえない、愚かさの中に生きる。それ故にいつの世も人は愚かさの中にたぶらかされて生きている。
 
●あの世で人は継続して賢さのなかにいる
 
幽冥界に入った人はもはや何も言わない、何も語らないから賢さのなかにある。賢さの中に不動なのだ。この世にいる限り絶えず変動する世界に生きているからどんなに賢くしようとしてもできない、この世に人は常にまどわされるからだ。この世の人の愚かさ、有象無象は消えることがない、次から次と消えてはまた泡のように生れて消えてゆく。この世が賢い人で満たされることはないのだ。つまりこの世はそういう人を養う許容する場なのである。泡沫のよう人は生れ愚かさの中に消えてゆく、そして死者は最も深い沈黙の中にある。その沈黙は海の底のように深い、彼は深く瞑目して語らない、この世の波風に翻弄されることがないのだ。神は賢さを与えるのは死者だけでありこれは生前愚かなものでも死者となれば賢さに留まる。だから死ぬことが死者がすべて悪いものとは言えないのだ。いづれにしろこの二年半は不思議な経験の連続だった。人は墓に治まってはじめて賢いものとなり手を合わせられるものとなる。それまではこの世に翻弄されるだけである。賢い人とはなりえないのだ。認知症は極端にしてもその他の人にしても愚痴不平は絶えることなく愚かさの中に生きている。そういう種々の人々が混濁して生きるこの世は幽冥界から他界からあの世から見たとき異常なのである。ただそれがこの世があまりにも現実になりすぎているがゆえにこの世が見えなくなる。この世があまりにも当たり前のものであり自明のものであるからかえってこの世が見えなくなっているのだ。この世で力を得て一番目立っているものが最も罪に汚れたものであるのも不思議である。それを崇めているのもまたこの世である。
 
サタンを崇めているのがこの世なのだ。天国から見たとき幽冥界から見たこの世はかえってなぜこのような様々な愚かさにつまらなさに充たされるているのか、もしかしたらサタンはそれら気人々を操り楽しんでいるのかもしれない、そういう人々がこの世では必要だから生かしめられている。賢さによりこの世は治められない、愚かな人々に満ちてその人々が主役なのがこの世であり賢き人は隠される。幽冥界に本当の賢き人がいるようにそれはこの世ではありえないのだ。この世は一見科学の発達で社会そのものが変わって人間も変わったように錯覚する。ところが人間の本質は変わっていない、人間そのものは科学や社会の変化で変わらない、だから理想の社会が歴史的に時代が変われば形成されることにはならない。人間自体は変わらないからいくら環境を変えても変わらない、政治は誰がやっても同じだというのとにている。この世に天国が成ることはは永遠にない、人間の愚かさはこの世が滅ぶまでつづくのだ。賭博の歴史も古代からあり江戸時代でも賭博を禁止したが現代でも禁止することはできない、賭博は延々とつづくのと同じである。ただこの世界がすべてでなくこの世の愚かさと離れた別の世界がある。そうでないと釣り合いがとれないのだ。実際この世ばかり見ていてもこの世のことはわからないからだ。この世の異常さは見えにくい、この世で当たり前のことがあの世ではありえないことになる。

  


この世は愚者の楽園


この世はサタンが愚者を操り楽しむ所
その愚者にことかくことはない
病気の愚者もいるがこの世は愚者にあふれている
愚者の馬鹿騒ぎ祭りは終わることなくつづく
愚者は尽きることなく大量生産される
この世は愚者にとって住みよい場所
愚者と愚者は仲間となりつるみ一団化する
この世は乱れ騒擾はやむことがない
賢い人の居場所はこの世にはない
この世は愚者の楽園
この世では賢くなることはできない
愚者に圧倒されて席巻される
すでに理性が失われているから
認知症の人のように諭しても聞きようがない
それは愚者にも同じ何度言っても同じ
故にこの世は永遠に改善されることがない

馬鹿は死ななきゃ直らない
死んではじめて愚者も賢い人となる
生きている限りは愚かな人としてとどまり
その騒ぎは収まることがない
この世は愚者の楽園

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