何故現代は哲学が求められるのか
【文明の基は宗教であり哲学である―アメリカにはないので習うべきではなかった】
●インフラの整備から哲学を求める時代に
世界が哲学に夢中だ。書店に行けば、ビジネス書にも自己啓発本にも、「哲学」という文字が踊る。特に日本では、90年代以降、いくつかの宗教的背景を帯びた事件をきっかけに、敬遠されていたように思える「哲学」。失われた20余年を経て、今、時代はなぜ哲学を求めているのだろう?
常時接続で失われた孤独。あるいは「長い思考力」。哲学者・谷川嘉浩氏インタビュー。
何か哲学というと硬い難しいもので敬遠する、でも哲学は何故かという問いを人間は持つから一番身近なものでもある、そもそも学問が学ぶが真似るから始まり問うことから始まった。問うことがはじまりである。
現代が何故哲学が要求されるのか、それはあらゆることで問うことが増えたからだろう
インフラでもない時代は道でも橋でも作ることに疑問を感じない
でも現代は山をくりぬいてトンネルを作り新幹線をリニアを通るようにする、海底トンネルも作る。そんなことに膨大なエネルギー労力を費やす意味があるのか、そこで人でも死ぬからである。そんな犠牲を払ってまでそんな大事業をする必要があるのかとも考える。オリンピックでも莫大な金をかけてやる意味があるのかとなる。それに意味と価値を見出されるのかとなる。賛否両論はあるにしても現代にはそういうことが多いから哲学が必要になる。何でも事業がいいとはならない、それであるべきかかあらざるべきか成すべきか成さざるべきかを問うことになり哲学が必要になり庶民でもむずかしい理論は知らなくてもそういうことに直面するから哲学が時代の要求になった
世界の問題を考えるのでも哲学が必要になる。
●アメリカには見習うべき哲学、モラルがない、金がすべての世界
米国の「カナダいじめ」は「併合」に発展するか 「我が国は世界の道徳的な指導者」と考える米国民は39%に激減
経済原理だけで軍事力だけで世界を統治することはできない、その反発が世界的に起きている
日本は明治維新以降ヨーロッパから学んできた、次に戦争に負けてアメリカから学ぶようになった。でもアメリカから本当に学ぶべきものがあるのか?もちろん他国と比較して自国を見ることは必要である。でもアメリカから学ぶべきものが本当にあったのか学ぶのが良かったのかという反省が生まれた、ヨーロッパからは学ぶものがあった。でもアメリカを手本にするものがあったのかどうかそれが正しかったのかどうか疑問を持つようになった。アメリカとヨーロッパはもともと相当に違っていた、ヨーロッパの延長でも中身は相当に違うものとなった。他国から学ぶという時その基本に宗教とかモラルがある。その国を形成する骨格がありそれが宗教であり哲学でありモラルである
アメリカから学んだのは科学技術であり宗教とか哲学ではない、そもそもアメリカには哲学がない、確かにキリスト教を基本にして建国したとしてもそれも今は消失してモラル無き哲学無き国になっている、極めて物質的マテアリズムしかない、またすべてを金で計るビジネスになる世界である。他国から文明から学ぶという時モラルでもその文明の根底にありそれを学ぶ、仏教でもそうである。仏教も哲学であり仏教の僧は哲学者でもあった。
日本が中国から学んだという時でもそうである。論語を江戸時代まで学んでいた
今でも学んでいる、でも中国では論語は学べなくなり日本で学んでいるというときいかに日本が論語から学んでいたかわかる。アメリカからは科学技術は学んでもそうした文明の根幹となるものを学んでいないしそもそもそれが無いから学びようがない
アメリカから学ぶべきものは民主主義にしてもただ多数決であり多数が正しいとなるだけでありそこにモラルとして規範として学ぶべきものはない、つまりアメリカ文明なるものの実体はただ科学技術であり金を求める経済原理があるだけである。
だからアメリカを手本にすると国家でも維持できなくなる。文明の根幹に宗教があり哲学がある。イスラム文明をイスラム教を知らずして理解できない、西欧文明を知るにはキリスト教を知らなければ理解できない、宗教がモラルが文明の根幹にありそれがなければ文明国とは見れない、いかに科学技術が発達していてもそれが文明国とは言えない
だからアメリカは野蛮な国となる。科学技術と軍事力と金ですべての価値を計る経済からしか世界を見ない、アメリカは文明国ではないともなる。
アメリカ人が夢見ているのは
18世紀のアメリカ黎明期においては、ヨーロッパに比べ、出自や身分が決定的な役割を果たすことが少なかった。黄金郷の探索や豊富な地下資源のもたらす巨万の富など、志を抱き、情熱を燃やした多数の人間がヨーロッパから新大陸へと渡ってきた。「アメリカン・ドリーム」という言葉は、そんな彼らの荒唐無稽で不遜な夢を奨励し、鼓舞し続けた
アメリカ人の夢はこうして巨万の富を築き成功者になることである。それを夢見てアメリカに人々は集まったのである。人間のあくなき欲望をかなえる土地としてアメリカがあった。そしてそれが世界大に拡大したのである。世界はアメリカ人の欲望をかなえるものとしてある、だから世界でも経済からしか見ない、金儲けの場としか見ていないのである。そこにはモラルも何もない、他国はデールの対象でしかないそのために利用するだけだとなる。そんな国を手本にできるだろうか、だからアメリカ自体が内部から崩壊してゆく、いずれにしろアメリカを見本にして学ぶと日本人でもアメリカ人になる
現実にアメリカ人になっている。日本人もすべて金になった。金ですべてを計り後は関心がないとなる。トランプ大統領にデールで金で国でも売り渡すとなる
明治にアメリカがキリスト教の国だと思って留学した内村鑑三が;極端なアメリカ嫌いになったのはすべてを金で計ることでそうなった。日本人のような人情がない世界でそうなった。国には国に成り立ちがある。その根幹に宗教がありモラルがあり哲学もある。そうでなければ文明国ではないともなる、見習うべきではないとなる
ただ力関係で世界を見ることはその関係は崩れやすい、金の切れ目が縁の切れ目になる
日本なんかと付き合っても金にならない得にならないとなり簡単に切られる
中国の方が商売相手としてはいいとなり日本は捨てられる。そういう関係は切れやすい
友好が保てないのである。
ともかく文明の根底に宗教と哲学がありそれがなければ見習うものがないからお手本にできない、ただデールだけでは友好関係は持続しないことは確かである。
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