時間が浪費され失うことが人生の一番の後悔
【後一年しか生きないとなるとどうなるか考えよ】
時間でその人なりの価値を創る、最後になるとその価値を創る時間がなくなる
人間は生きることは何らかの価値を作ってゆくことである。その価値は多様である
でも働くことはその人なりの価値を作ることである
だから老人になると何であれ職業でも自分のしてきてことを延々と語る。それが他者から見て価値無いものでもその人は語る。それは自分のしてきたことを価値あるものとして認めてもらいたいからであう。ただ現代だとその価値が金で計られる
いくら稼いだかで計れる。それでも金だけでは価値は計れない、またその人自身も金だけでは測らることに満足はしない。何であれ自分のして来たことは価値あることであり
当人も価値ある人間であり人間だったと認めてもらいたいとなる
それでは余命後一年とか宣告されて何をすればいいのかとなる。一年しか生きられないとしたらその間に価値を創る価値あることができるのかとなる
でも現実はそれが求められる。一年間しかないにしろそれが貴重な時間になる
それは誰でもそうなる。どうしても老いれば病気になりそうでなくても寿命があり死に向かっている。でも人間はそう見ない。時間は無限にあり老いて病気になることを考えない。まず後一年しか生きられないとしたら何をすべきか真剣に考える
時間を浪費できないと切実に考える。そして人それぞれにしろ価値あることをしようとする。でも現実はいくらでも時間があるとなり時間は浪費される
金の浪費は具体的に感じる。何を買って損したとか金を使って損したとかは失敗したとかなる。でも時間に関してそう思はない。だから時間は失いやすいのである
そうして最後に後一年しか生きられないと宣告されて時間の貴重さを思い知らされるのである
グラフのように年齢が増すごとに時間の価値は上がってくる。最後に後一年しか生きられないとなれば時間の価値は何倍にも上がってくる。その残された時間内に価値を創るとなると容易ではなくなる。何するにも時間がかかるからである。
そして時間はみんな平等に与えられている。金があるとかないとか才能があるなしにしろ時間は平等に与えられている。でもいかに時間を活かすかで差が生まれる
金を活かすかもあるが時間を活かすことで差ができる。ただ金を稼ぐにしろ時間が必要である。投資では十年くらい先を見て投資する。時間をかけないともうからないのである。時間をかければそれほど知識が無くても増やせる。それで老人は投資に向いていない、時間をかけられないからである。若い人は先を長く見れる。それで投資は若い時から始める。少額でも時間をかければ増える。
結局その人の価値は何に時間をかけたかで決まる。例えば普通は会社員で働き時間を費やす。するといくら社畜だとか嘆いてもその人の価値はそれぞれの会社で培い作られたものになる。それで退職したら会社の役員だっとか自慢する。それが嫌がられてもその価値を認めてもらいたいとなる。でも会社を退職したらその価値は消失する
それは狭い会社内の価値だからである。会社を退職したらその価値を言う場がなくなる
あの人は・・・・で会社に貢献した人だと言う認められるとしても会社内だけのことでありその会社を退職したらその価値を認める人はいないからである。
浪費した失った時間は取り戻せない!
あの時若い時もっとやりたいことをやっていればよかった。今その時間も体力もなくなり後何年生きるかになってしまった。こんなに早く老いてなにもできなくなるとは思はなかった。しかし時間は取り戻せない、価値でも時間があって創られる。後一年それも
病気になり何ができるのだ・・・・・こうなるのである。
それは誰しも老人になり後悔している。その時愕然としてもどうにもならないことを知るべきだとなる
【宗教 哲学 思想 人生論 国家論の最新記事】