はじめに言葉ありき―冬の大地の沈黙の詩
【新たなアカデミアが必要な時代−言葉が通じ合わない文明人間】
「はじめに言葉ありき」部分の、ギリシャ語による原文はこちらです。
Εν αρχηι ην ο Λόγος
(En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)
簡単に言えば、「アルケーはロゴスなり」。
「アルケー」の意味は、万物の始源・宇宙の根源的原理。
師の言葉は確かに伝授されて
ロゴスとなり響き合う
荘厳に大地は鎮まり
その上に石と石は黙し合い
深く通じ合い言葉は活きる
喧騒と騒音の世界に言葉は響き合わない
言葉は事物と結びつかない
故に事物が盤踞して表現できない
表現する言葉がない
その前で人は何も語れない
言葉を失うのである
そこで人間は大衆群衆となり消耗される
ここで言葉が失うことは
心も通じ合わない
言葉を失う時心も死ぬ
『初めに言葉ありき』
言葉によって世界は創られた
その言葉を失う時世界も消失する
事物が無造作にのさばり占拠して
その前に人は言葉を失う
そこはカオスとなり出口無き迷路と化する
その迷路で怪獣に食われる
今冬の陽は音もなく静かに光を放つ
静寂は充ちて言葉はロゴスは自ずと成る
この静穏な冬に休息して瞑想する
冬は休息の時であり回想の時である
師の言葉は沈黙に心に深く共鳴して
大地に根を張る木々のように
神のロゴスは自ずと成る
現代の問題がいろいろある。その大きなものが人間が言葉で通じ合うことができなくなったことである【初めに言葉ありき】とあるとき言葉を持つことで人間になった。だから初めに言葉があったとなる。ただこの言葉はロゴスの意味であり言葉というだけではない
神の創造した世界を現わすロゴスのことでる。ロゴスには様々な意味がある
現代の問題の根幹に言葉が通じなくなったということがある。また世界を言葉で表現できないということで人間はその存在意義も失う。東京の大都会の風景を見れば
言葉を失う
言葉で表現できないとなる。そしてそこは出口のない迷宮であり怪獣に食われるとなる
それは言葉で表現できない巨怪なものである。何か原始状態の様々な恐竜が跋扈した時代にも似ている。巨大ということで似ている。それはピカートとかが沈黙なき世界を語った
沈黙があって言葉が活きると説いた。それは確かである。騒音喧騒の世界では言葉は活きない。それで現代では言葉を活かそうとすると現代文明から離脱して遮断して沈黙の場を創る。それがアウトサイダーとなった。つまり現実社会では言葉を活かすことができない、その社会から離脱して言葉も活きる。それでニーチェとか社会から離脱して孤高になり超人を説いたのである。
ともかく師がいたとしてもその教えでも言葉でも通じ合わない、騒音語の中で暮らしているから通じ合わないしその言葉思想でも汲み取れないのである。
つまりその教えでも言葉を汲み取るにはやはりその人も社会から離脱したアウトサイダーとならねばならない。
「academia」の語源は、古代ギリシャの哲学者プラトンが設立した学園「アカデメイア」に由来する。アカデメイアは、アテネ郊外のアカデモスという神域に設立されたため、この名がつけられた。以降、学問や研究を行う場所を指す言葉として「academia」が使われるようになった。
こういう新たな場が必要になる。それは田園にあり自然から学べる場でもある
それは今のマンモス大学のように何千人に講義する所ではない、少人数なのである。
ギリシャは比較的温暖であり戸外で過ごすことに適していた。そこで人が集まり談話して議論した。真理を探求したのである。
インターネットでも共同研究の場であるがそこに生の自然の場はない。情報集積の場であるがアカデミアになる空間ではない、やはり生の自然の場が必要なのである。
ニーチェの沈黙は「逃避」ではなく、思索と力の蓄積です。声を上げるべき時と沈黙すべき時、その両方を見極めることが「超人」への道だと彼は示唆しています
真実の深い言葉を発するには沈黙が必要である、自然は山でも岩でも木でも沈黙している。無駄なことはしゃべらない、だから沈黙しなければ自然と通じ合うことはできない
それで禅宗はひたすら沈黙して座禅して心浄める修行をする、自分は一人引きこもりそうしてきたのである。特に冬は静寂の時であり沈黙の時である。
ともかく言葉は沈黙が合って活きて来る。現代の騒音社会では言葉通じなくなっていることは確かである
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