大衆社会とは何なのか【導く者を否定するから国家も維持できない】
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「 凡庸人が凡庸たることの権利を宣言し,強行する野蛮性」「 自分が正しいと信じ込み,他人の言葉に耳を貸さない自己閉塞性と歪んだ万能感」といった性質をもつ「大衆」そのものではないか.
●議論も何かを究めるものではなく水平化するために主張する
現代の問題はいろいろあるにしてもその根底に大衆化社会がある。この上に乗っかり上部構造がある。上部構造として現代社会の支配者となる上級国民がいる。それは政治家であり官僚でありマスコミでありとかいる。でも政治家でも大衆の代表だから大衆に支持されないと選ばれないから大衆のお気に入りにならねばならない、マスコミでも大衆に合わせるのであり大衆を批判したりはしない、なぜなら視聴率が一番大事でありより多くの人達に見られることで成り立つからである。また企業がスポンサーになるから企業では大衆がお客様だから大衆に受けのいいことを放送する。
またカルト宗教団体でもとにかく一人でも会員を増やしたいから大衆に合わせる。結果的に宗教は大衆に合わせて俗化した。
凡庸人が凡庸たることの権利を宣言し,強行する野蛮性」「 自分が正しいと信じ込み,他人の言葉に耳を貸さない自己閉塞性と歪んだ万能感
大衆にとって自分より偉いと思う人はいない、自分自身が一番偉いと思っている
だから辻褄が合わなくても自分を延々と主張する。それは戦後民主主義が作り出した人間である。人間は平等であり対等であり自由に発言できる社会である
だから誰であれそれを咎めることはできない、その発言が支離滅裂でもかまわないのである。議論でもともかく発言して俺とお前とは同じだとなる。その内容は関係ないのである
だから原発事故にあって故郷に住めなくなても多額の補償金をもらったから原発事故でも東電でも政府であれ何であれ批判しない、私が批判すると猛烈に自分をあけすけに主張する、原発はいいものだった。みんな喜んでいるとまでいうのである
これは意外だったが現代はそれだけ金の力が大きいから金に支配される
要するに金をもらえればなんでもいいとまでなる。原発事故でも補償金を貰ったから良かったとなる。そもそも原発は金になるから誘致された、地元でも一部の者ではない
みんなが積極的に誘致したものだった。その経済的効果は絶大的なものだった。
原発事故前も金を貰った原発事故後も金をもらっためでたしめでたしとなる
ただ南相馬市だと小高区は避難区域になりその補償金の額は大きかった。原町区も数が多いがそれなりに多額だった。なぜなら鹿島区の三倍はもらったからである
割を食ったのは鹿島区である、それより相馬市とか別に放射線量が同じなのに補償金がもらったにしても余りに少ないから不満になった。
●民主主義が大衆民主主義―ポピュリズムになった
これも何が人を動かすかは金であることがわかる。それは原発だけではないあらゆることで金で動くのが現代である。それはいつの時代でも同じだとなるが江戸時代とかなると身分社会であり身分によって将来も決められていた。身分がものをいう時代である
それは金だけではなかったのである。
いづれにしろ大衆社会とは大衆が力を持った社会である。大衆と民衆とはまた違う
大衆とは現代文明社会から生まれたものであり江戸時代とかなれば存在しないからである。江戸時代なら藩に属して藩民は存在しても大衆は存在しない。大衆とは不特定多数の者でありどこに所属しているかも不明の人達である
民主主義でも大衆は存在しないギリシャの一万くらいのポリスで生まれたからである
大衆という時ローマ帝国のパンとサーカスに興じた人達と似ているかもしれない
その役割がマスコミになったからである、サーカスを娯楽を提供するのがマスコミである。日々の事故事件でも自分が被害を受けなければ娯楽にもなるからである
「 自分が正しいと信じ込み,他人の言葉に耳を貸さない自己閉塞性と歪んだ万能感」
大衆にとって偉い人はいない、自分が一番偉いのである。だから他者の言うことに耳を傾けず自分の言いたいこと主張する。それは別に辻褄があわなくてもいい、とにかく自分を主張して他者を認めたくないのである。何かを言うことにより俺とお前は同じだと水平化することは目的なのである。だから自分を導くものは自分であり他者ではない
自分が一番偉いとなる。
こういう大衆社会はギリシャで生まれた民主主義とはまた違っている。その数の規模が違いすぎる、何百万人を相手にするのと一万規模のポリスではその規模があまりに違いすぎる。だから現代の民主主義は大衆民主主義となりそれがポピュリズムとなりファッシズムとなるナチスとなる。それはカルト宗教でも大衆化して俗化した。そこでも御利益が金がものいう世界である。なぜなら利益になる金になることは即座に誰でも理解するからである。
●導く者がいなくなった現代ーそれでもヒットラーにカルト教団の教祖に導かれる
現代社会が大衆が主役になった時どうなったのか?もはや誰も導くものがいなくなった
大衆は導かれるとを拒否する、自分たちが導く者となっているからである
そこに何の信条が思想が無くてもいいのである。どんなことでも主張する
議論になればどちらが正しいとかも関係ない、議論することによって水平化される
議論で何かを究めることではない。対等になることなのである。別に優劣を決めることではない。何でもいいお前と俺は同じだと言いたいのである。
現代大衆社会は導く者がいない、導く者は大衆である
だから赤信号みんなでわたれば怖くないとなり法律でもルールでも無視できる
それがナチスとなるから実際は相当に怖いことだったのである
なにか国家でも導く者が必要でありその導く者がいなければ国家は継続できない崩壊する。大衆に導かれる社会はありえない、それがファシズムとなりナチスなる
明治維新が成功したのは導く一定の人達がいたからである。
侍はモラルを持ち指導する人達でありその人たちが明治維新でも成し遂げて指導者となったからである。明治維新は庶民が成したのではないやはり侍だった下級武士が成し遂げたのである、各界の指導者となったのである。侍が教育界に入った教師になったのが一番多かったからである。
ともかく国家を維持できなくなるというとき国家を導く者がいない、その導く者は常に大衆により否定される。牧者なき羊の大群が大衆である。そしてアナーキーに無政府状態になりそれでも導かれるものを求める。それがハイルヒットラーのナチスとなりカルト教団の教祖になる。ここで導く者と支配する者は別である、支配するという時権力で支配するとなるから拒否される。でも導く者は必要である。それは牧者であり権力で従わされる者ではない安全な場所に導く人である
タグ:ポピュリズム 赤信号みんなで渡れば怖くない 明治維新は侍がいて成功した 大衆社会と民主主義 導く者がいない社会 ヒットラーが導く カルトの教祖に導かれる社会 議論でも水平化する 大衆に従う社会 国家は誰が維持するのか 大衆に指導される社会 原発はいいものだという地元民の主張 牧者無き大衆社会
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