春の日天童寺を訪ねる【中国を模範にして学んだ日本の宗教】
春の日日本人寧波に着く
運河を舟に天童寺に行く
穏やかに川岸に春草
民の安居の家々
松は古り参道登り
紫山夕陽に映えて高塔いくつか
その塔の屹立して厳格に
道元の座禅修行の室に偲ぶ
そこに律して研鑽の日々
日本は遥か遠方に何想うらむ
「門外二十里松徑」
(相傳の謝康楽、すなわち杜明師に寄る7、此に客は今土を為し、何人が更に詩を解かん、
山空に黄葉落ち、歳久しく緑苔滋す、日暮て高亭に坐し、悠然と動すれば我思う)
(相傳の謝康楽、すなわち杜明師に寄る7、此に客は今土を為し、何人が更に詩を解かん、
大權洞
山椒古洞閴無塵
雲物深藏護塔神
歲月雖長人跡少 一番花發一番春
(山の椒は閴にして無塵の古洞、雲物は護塔神の深蔵なり、歳月は長いと雖も人跡は少な
く、一番の花は一番の春を発する)
梵苑
C幽絕世塵 洞中風月自通神 大權
顯迹名猶在 雲合雲開幾度春
佛跡岩
男兒膝下有黃金 踏斷懸崖鐵石心 多少人看都不識 可憐埋沒白雲深
(男児の膝下に黄金有り、鉄石の心で懸崖を踏断する、多少の人看は何れも識ず、憐れむ
べき白雲の深くに埋没するを)
石書傳道是仙人 雪囓霜饕色倍新 一段精神磨不滅 年年香擁百花春
(石書を伝える道は是仙人、雪を噛み霜を貪る色はますます新し、一段の精神を磨くは滅
せず、年々香を擁く百花の春)
放光松
光放三千尺 形奇六百年 高枝幾墜地 老 欲參天
霽夜亭亭月 晴春曖曖煙 幽人紀妙絕 吟就占松篇
(三千尺の光を放ち、六百年の形は奇しい、高枝は幾ど地に墜ち、老幹は参天を欲す、霽
夜に月が亭々とし、晴春に煙が曖々とす、幽人は妙絶を紀め、吟は松篇の占めるを就す
赤菫峰
赤壤多靈草 崖根出劍精 地從山勢結 脉向海門生
甬水春流合 蛟川夕照 蒼蒼翠微際 一路有鐘聲
(赤壤に霊草多く、崖根に剣精出ずる、地に従い山勢に結び、脈は海門の生まれるに向か
う、甬の水春に流合し、蛟川に夕照がぎる、蒼々たる翠微の際、一路に鐘声有り)
天童寺・霊隠寺・阿育王寺はいずれも中国浙江省を中心に位置する著名な禅宗寺院で、日本仏教との深い関わりを持っています。特に道元や鑑真など、日本仏教史に重要な人物が修行・滞在したことで知られています。
禅宗寺院に於ける境致と十境詩について
天童寺は中国的な場所だった。海から運河を舟で行き山の上の寺に行く
そこで山で修行した僧がいた。道元はここで学び修行した。修行の場にふさわしい風光明媚な霊場だった。禅宗に私が魅かれるのは心を浄めることを第一にする
そして清浄な自然と一体化する。旅をするにしても雲水となる、それも修行なのである
そこは松の長い参道があり夕暮れ山が紫色に染まる紫山となった。
そこに高い塔がいくつか屹立する。中国の塔は日本の塔のように優雅ではない
厳しく天に聳え立つ、仏像でも柔和というものでなく引き締まり厳格に見える
いずれにしろ仏教でも中国経由で入って来たという時、中国的になった
禅宗は特にそうだった。日本の禅宗は中国の禅宗なのである。
何か山岳宗教でもあり仙人とかにも通じるものだった。
室町幕府・足利義満の時代(1386年)に京都五山と鎌倉五山が正式に整えられ、さらに京都の南禅寺を「五山之上」として別格に位置づけました
天台宗(てんだいしゅう, Tiantai)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため[1]、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[2]。名称は、実質的開祖の智が天台山に住んでいたということに由来する[3]。
天台教学は入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ[1]。
禅宗は武士の宗教にもなった。禅宗はなぜひたすら座禅をして瞑想するのか、心を浄めるためであり雑念を払い心を大自然の中で浄化することである。
もともとは天台宗であるから山岳宗教でもあり比叡山がその中心となった
それで親鸞も日蓮も比叡山で学んだし後の山伏などもその系列に入る
宗教はそもそも心を浄めるためにある。それがカルト教団になると一切ない、政治経済を第一にして世俗の欲望を何でもかなえるためのになった。だから東京とか大都会が発祥の場になった。そこでは心を浄める場ではない、世俗的欲望をかなえる経済政治の場である
いづれにしろ中国は常にこうして仏教であれ文化であれ日本人は学ぶ模範とする国としてあった。今のような経済的政治的交流ではなかったのである。中国は日本の手本となる国だった。それが明治維新後失われたのである。でも漢字を使っているから中華文明の一翼を担っている。漢字を使うことは自ずと中華文明文化を継続して担っている
言葉は文字はそれだけ文明の文化の骨格を成すからである。
中国人は中華文明の自負があり日本はその文明の恩恵にあずかるものであり下位に見る
それで太平洋戦争で中国が日本に踏みにじられたことを許せない、親であり兄であるものを踏みにじったとなるからである。そういうルサンチマンがあり日中関係がうまくいかない。ただ日本が中国に従うべきだと思っているからである。
天童寺は中国的な場所だった。海から運河を舟で行き山の上の寺に行く
そこで山で修行した僧がいた。道元はここで学び修行した。修行の場にふさわしい風光明媚な霊場だった。禅宗に私が魅かれるのは心を浄めることを第一にする
そして正常な自然と一体化する。旅をするにしても雲水となる、それも修行なのである
そこは松の長い参道があり夕暮れ山が紫色に染まる紫山となった。
そこに高い塔がいくつか屹立する。中国の塔は日本の塔のように優雅ではない
厳しく天に聳え立つ、仏像でも柔和というものでなく引き締まり厳格に見える
いずれにしろ仏教でも中国経由で入って来たという時、中国的になった
禅宗は特にそうだった。日本の禅宗は中国の禅宗なのである。
何か山岳宗教でもあり仙人とかにも通じるものだった。
室町幕府・足利義満の時代(1386年)に京都五山と鎌倉五山が正式に整えられ、さらに京都の南禅寺を「五山之上」として別格に位置づけました
天台宗(てんだいしゅう, Tiantai)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため[1]、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[2]。名称は、実質的開祖の智が天台山に住んでいたということに由来する[3]。
天台教学は入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ[1]。
禅宗は武士の宗教にもなった。禅宗はなぜひたすら座禅をして瞑想するのか、心を浄めるためであり雑念を払い心を大自然の中で浄化することである。
もともとは天台宗であるから山岳宗教でもあり比叡山がその中心となった
それで親鸞も日蓮も比叡山で学んだし後の山伏などもその系列に入る
宗教はそもそも心を浄めるためにある。それがカルト教団になると一切ない、政治経済を第一にして世俗の欲望を何でもかなえるためのになった。だから東京とか大都会が発祥の場になった。そこでは心を浄める場ではない、世俗的欲望をかなえる経済政治の場である
いづれにしろ中国は常にこうして仏教であれ文化であれ日本人は学ぶ模範とする国としてあった。今のような経済的政治的交流ではなかったのである。中国は日本の手本となる国だった。それが明治維新後失われたのである。でも漢字を使っているから中華文明の一翼を担っている。漢字を使うことは自ずと中華文明文化を継続して担っている
言葉は文字はそれだけ文明の文化の骨格を成すからである。
中国人は中華文明の自負があり日本はその文明の恩恵にあずかるものであり下位に見る
それで太平洋戦争で中国が日本に踏みにじられたことを許せない、親であり兄であるものを踏みにじったとなるからである。そういうルサンチマンがあり日中関係がうまくいかない。ただ日本が中国に従うべきだと思っているからである。
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