安倍首相殺害の山上の統一教会の恨みの背景
【その責任は広範囲になる、一個人の問題ではない理由】
旧統一教会にのめり込んでいた母親の殺害を考えたかを問われ、「考えたことはあります」と語った。実際に行動に移さなかった理由としては「母の行動は教会の教義に従ったものですし、母個人というわけでもないと思いますので」と語った。【林みづき】
「母の行動は教会の教義に従ったものですし、母個人というわけでもないと思いますので・・・・
一体だれが悪いのか責任あるのか?カルト教団が悪く会員の個人は悪くないのか?
明かに強制されるわけでもないから選択したのはあくまでも個人である。
個人が責任がないということはありえない、自由社会では何でも自由に選択できる、拒否もできる、でも選択した判断したのだから責任は個人にもある
とにかく億の金を寄付すること自体異常である。別にそれは強制されない、税金とかと違うからである。ただそういう場にいるとそれが信仰の証みたくなりその場の雰囲気にのまれ寄付した。それにしてもそんな金を寄付することは尋常ではない
問題は会社であれ組織集団になるとその責任とか悪でも問いにくくなる
その組織集団に所属している人もその組織の意向に従わざるをえない、そうしなければ会社であれ集団組織から排除される。でもそうしたカルト教団は会員が逆らうことができない、それでオウムでもサリンをまくという暴挙でも従った。
創価でも選挙のために日々活動する。それがおかしいと思っても組織集団全体の意向であり反対できない、その組織団体の指針に従わざるを得ない、それがサリンをまくとかでも従う。それが国家規模になれば戦争でも従う。国家の場合は警察とか軍隊がかかわり強制力があるから余計逆らえない。
この場合責任は誰にあったのか?その標的は自民党の安倍首相に向けられた
統一教会と結託していたからである。統一教会は時の政権とかかわるということは庇護されていたとなるので狙われた。その責任は安倍首相にあるとなり殺された
自民党は統一教会の支援を受けていた。本来それはあってはならないことだった。
統一教会を容認することになったからである。国家が承認したからである。
それで安倍首相が狙われた。本当は統一教会の幹部を狙っていた。カルト教団は幹部の責任が重い。幹部が支配するために寄付金を得るために信者を増やして勢力を拡大する
それはカルト教団に共通している。宗教の組織化集団化が問題の根にある
それでカトリックは免罪符を売ったのと同じように巨大な権力を持つようになった
神の名を語りサタンにもなる。サタンに乗っ取られたのである
この事件が一個人の恨みとかから起きたとしても社会的問題になったのはカルト教団を時の政権が容認したことである。それは政教分離に反する行為であった。
民主主義社会では信教の自由はある。でも政教分離の法律もある
政治と宗教が一体化することは危険であるからヨーロッパの歴史から生まれた法律である。それはカトリックが政治権力と深くかかわる歴史があったからである
日本でも天皇を神として戦争で3百万人死んだから政教分離が戦後行われた
宗教はあくまでも間接的に政治にかかわってもじかに権力とかかわり権力を持つことは危険のである。創価が危険なのは権力を得ることが目的になっているからである
だから祈れば選挙に勝つ仏が味方するから勝つとなる。それは日本は神国だから戦争に勝つも同じである。
確かなことは組織集団になると良心とかなくなる。すべて組織集団の意向が絶対化する。それはナチスにもなる。ひたすら題目でも唱えることはハイルヒットラーにもなる
天皇陛下万歳で死んでもゆくとなる。
いづれにしろこの裁判も一体誰に責任があったのかを問うと広範囲になる
本人の責任が重大でもカルト教団を時の政権が容認したことで政府にも責任がある
ただ組織集団になるとその責任もあいまいになる。個人なら厳しく問われても巨大な組織集団になると責任を問いない。権力を持つから問いないのである
原発事故でも電事連の責任のことをマスコミでも言わない。電機連合となれば現代の文明を支えるものでもあるからそうなる。
何かこの事件が一個人の私怨ではなく公憤ともなった。それはカルト教団の悪を知らしめたからである。それで政教分離が強く言われるようになったことはいいことだった。
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