2025年11月26日

冬の暮の俳句(2)−山寺の対面石【冬紅葉、冬の鴨、残る柿・・・】

冬の暮の俳句(2)−山寺の対面石【冬紅葉、冬の鴨、残る柿・・・】

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この薔薇はまだ散らないで咲いている





我が老いて対面石や冬の暮
冬の鴨今日も寄合いつ里に老ゆ
山寺の対面石や残る柿
姉と母我が家に偲ぶ冬の暮
茶を飲みぬ対面石や冬の暮

The one stationary stone
with no motion
a winter day close

誰か見る一輪赤き薔薇にあれ冬の暮我が庭に咲き隠れ棲むかな
根を下ろす冬の木々かな日々歩み心通じぬ木の葉の散るかも



この大石は対面石といわれ、貞観2年(860)慈覚大師が山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人磐司磐三郎と大師がこの大石の上で対面し仏道を広める根拠地を求めたと伝えられている。自然の景観を生かし、山岳仏教の霊場を築きあげるため、動物を殺すことをやめてほしいという、慈覚大師の尊い心に感動した磐司磐三郎は、生業としていた狩猟をやめたうえ自ら仏道に帰依して立石寺開山の基礎づくりに協力したといわれている。狩人をやめたことを喜んだ動物達が磐司に感謝して踊ったというシシ踊りが、山寺磐司祭で奉納される。山寺の歴史を開いたこの大石に、左手をあてて願いをこめれば、良いことに対面できるともいわれている

山寺の対面石のある場所は言い、清流も流れている。料理だけではない場所が価値を作る、喫茶店は場所がいい見晴らしがいいいと価値がる
その景観を見てコーヒーを飲む、その価値は倍加する
あそこは最高に場所がいい、山形県も最上川があり日本海もあり温泉もあるから魅力ある、山寺で動物の殺傷を禁じたというのもそれだけ狩猟を生業とする人達がいたとなる。その頃は山で暮らすとなると鹿でもイノシシでも食べないと暮らしていけない、だから殺傷を禁じたしたら何で生活したのかとなる、これはそもそも僧侶とかが山で何を食べて暮らしていたのかとなる、それは他でもそうである。食べなければ生きていけない、その肝心なことがわからないのである。
第一あの高い所に食料を運ぶだけで相当な苦労である
それがイメージできないのである

冬の暮というとき何か1月以降なのかと思っていた。でも一日が暮れることである。冬深むとなると一月以降である
人間は基点となるstationから世界を見る。私の住んでいる場所は福島県の浜通リでありそこから周りを見る
福島県でも会津は別世界である。でもその辺まで地についてイメージできる。山寺は仙台から仙山線でいつでも行ける距離である
だから山形県は視界に入る。蔵王も見えるからである。

いずれにしろ俳句は季語に芸術であり季語を極めることである
だからが外国人は日本の四季を実感できないから俳句を作るのがむずかしい。季語の意味を深く知る必要があるからである。
残る柿とか木守り柿とかでもそうである。木守り柿などわかりにくいのである。

ふるさとの生家これきり残る柿 (執印寛子

これなどいい句になる。




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