冬の相馬の城跡【冬紅葉、冬柳、冬薔薇、冬の菊、冬の暮、冬の灯、枯野・・】
黒橋や相馬六万石冬紅葉
冬柳六万石の城下町
冬薔薇なおも散らずや庭に咲く
誰か行く木の根っ子に冬の菊
冬の暮何か残さむ木の根っ子
我が前に数枚散りぬ木の葉かな
誰か住む冬の灯二軒野は暮れぬ
相馬の街の老舗や冬の暮
みちのくの枯野に落ち着く我が老いぬ
みちのくの枯野に月や都跡
相馬の城跡と言っても見るべきものがない、ただ黒橋は上り坂になり急でありそこだけが城に行くという感覚になる
何かそこで語るべきるものもない、だからそこが城下町なのかとなるが
城下町なのである、原町と比べるとわかる。原町は明治以降常磐線の機関区として生まれた新興の街である。鉄道の開通によって生まれた街である。相馬市はもともと城下町でありその成り立ちが違っている
だから感覚的に原町と相馬市は違っている。でも外から来た人はその相違でもわかりにくいだろう。
雰囲気が違うのである。相馬市は入母屋式の建物で統一する、市役所でもそうである。それで歴史の街だとなる
でもなぜ相馬野馬追があれほど華麗なのにそんなものを相馬市で感じるものがない、第一野馬追はほとんど農家からでる郷士が馬を飼っていて出る。農家の郷士に鎧兜や旗印が伝えられ残されたからである
もともと相馬藩は貧乏な藩だったのだろう
ただ馬を飼い常に軍事訓練を原町の雲雀が原でしていた
それ強大な伊達氏に対抗するためだったのである。
でも六万石であり豊かな藩ではなかった。その軍事訓練のために金を使ったことで民の暮らしは楽ではなかった
ともかく冬となった。朝は相当に寒かった。そして枯野である
枯野の季節も好きである。何もないことで心休まる
東京とかでは一年中心が休まらない、それで江戸時代に枯野見というわざわざ枯野を見にゆくことになる。
自分に合っているのは人も見かけない枯野で瞑想することである
醜い人を見たくない、何か合いたい人もいない、どうしても醜い人が多いからである。
こうした枯野も必要である。そこで心が休まるからである
そして山眠るとなる。冬は休息の時になる。
冬の灯がともる二軒が見えその前は枯野なのである。そこに存在感がある。