南相馬市が原発事故で分断させた補償金
【鹿島町、原町市、小高町の歴史は長いが南相馬市は短いので一体感がない】
原発事故で問題になったのは一つの問題ではない、複合的に起きた
第一に科学技術の核の問題があったがそれだけではない、あらゆる問題が噴出した。
その要因として南相馬市が合併してまだ月日が浅い
2006年(平成18年)1月1日、原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併して誕生した。旧市町の区域ごとに地域自治区となっており、各々「原町区」「小高区」「鹿島区」に移行して住所に名称をほぼ残している
それでも合併して20年くらいすでに過ぎたのである
それでもどうしても「原町区」「小高区」「鹿島区」がありその歴史が長いから南相馬市民という意識が醸成されない。
原町区はもともと5万くらいの都市でありそこでは原町市民意識があった
南相馬市になってもやはり原町区が中心になっている
でも小高町民とか鹿島町民としての歴史が長いから南相馬市民という意識が育たない、つまり簡単に共同性は作れないのである
南相馬市という命名も問題があった。相馬市の南となり相馬市に付属する感覚になった。何か市としての特性が感じられなかった
つまり簡単に名前を変えただけでは共同性は作れない
ヨーロッパの市民意識は中世から作られてきたものである
それでパスポートに国だけではない市の名前が記される
あなたどこの国のものですかだけではないどこの市の出身ですかが問われる、このことに違和感を感じるのはそもそも市民意識、シテズンシップが持てないからである
。
それはヨーロッパの歴史から生まれたものであり日本は村が共同の単位だったからなじみがないのである
そもそも村意識があっても町民意識すら明治以降に作られたものである
ましてや市民意識など持ちようがなかった
また国民意識すらもっていなかったのである。江戸時代は藩に属していて藩民意識はあっても国民意識はなかった。相馬藩があり伊達藩があり藩に属する意識が基本にあった。
明治以降はその藩がなくなり天皇の臣民とされ過剰に国民意識が上から強制されたのである。それは日本が国際社会の一員となるとき強制的に国民意識を持たされたのである。
それまで天皇のことなど意識されない、藩中心だから殿様は日常的に意識しても天皇のことなど知らなかったのである
そもそもこうした共同性は簡単に作れない、だから南相馬市と名前を変えても実質が伴わないのであ南相馬市の一体感が持てない
何かそこで原発事故でその不自然な状態の矛盾が表面化したのである
小高区は避難区域となったが補償金の額が大きい。それで他の土地に移住したとしても新築の家を建てた。それでいわき市とかではその移住した人達が多かったので問題が起きた
地元の人達は家を建てられないのに次々と家を建てた。補償金で建てたのである。だから反発されて暴力沙汰にもなった。
つまりもともと住んでいる人達が家を建てられないのに原発避難民は補償金で家を建てるというのは何かおかしいことにもなった
もともと住んでいた人たちは羨ましいとなったのである
そのことは南相馬市内でも起きている
補償金が30キロ圏外だと同じ南相馬市でも鹿島区は原町区の三分の一しかもらえなかった。この補償金の多寡で南相馬市は分断されたのである。だから小高であれ避難区域になった所では返って原発事故で得したとなる。それでその他の地域では羨ましいとなった
だから小高の人でも原発はいいものであり別に被害があったとも見てないのである
いづれにしろ南相馬市自体が合併して日が浅いのに原発事故で分断された。ただ小高区と原町区はうまくいっている。補償金で不満がないからである。鹿島区でも相馬市でも30キロ圏外になるとわずかしか補償金がもらえないから不満になる
たしかに小高の人でも原発は言いものだったあからさまに言う。でも30キロ圏外の人達はそう思っていない。
何か原発事故では避難区域になった地域では荒廃したので同情されるが現実はそこに住む人たちは返って良かったとまでなる
それは全部でないにしろそれもまた事実である
ともかく南相馬市として合併しても共同するには長い時間がかかる
そこに原発事故が起きて南相馬市の試練となったのである
これにどう対処するかはむずかしい。そこに利益利権が金がかかわり分断された。骨肉の遺産争いのようにもなったからめんどうなのである。
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