2025年11月13日

 家を一人で切り盛りする負担 【掃除から金の管理からその他あり苦しく疲れた】

 家を一人で切り盛りする負担
【掃除から金の管理からその他あり苦しく疲れた】

今日は朝から農協のヘルパーが4人くらい来て掃除した
一時は脳出血で倒れたからゴミ屋敷のようになった
その後整理したが全部は整理できなかった。4人かかりでも掃除が結構大変だった。
親の介護から私は家を一人で切り盛りするのに四苦八苦してきた
今までは二人のの母親がいて世話しててくれたから楽だった
それは極楽であったが一転して地獄と化した
全部一人で切り盛りするほかない。それもカルマだった
人間は楽してもかならずその楽が苦に変わる

「苦は楽の種」とは、現在の苦労が将来の楽を生むという教訓を示す言葉です。具体的には、現在の苦労は将来の幸福のための種まきであり、逆に現在の楽な状態は将来の苦労の原因となることを意味します。このことわざは、徳川光圀によって残されたもので、人生の因果応報の考え方に基づいています

これは本当である。そもそも苦しんでいればその苦が楽を作り出す
貧乏で苦しめば贅沢しなくても食べれるだけで幸福だともなる
ホームレスのように寝る場所も無かったら雨露をしの場所があることだけで幸福だとなってしまう
だから「苦は楽の種」になる。でも贅沢な生活をしていた人は様々なことで苦しくなると耐えられなくなる。楽な生活をしていた時と比べるとからそうなる。だから零落するのが一番つらいとなる
そのことは60以降自分が身を持って経験した。食事の用意から何でも自分一人でやるほかない、それも病気でもそうだった。誰も代わりにしてくれないからである。

何か一人暮らしが増えたとしてそのリスクも困難もあまり考慮しない
一人がどれだけ大変になるか考慮しない、それがわかるのは病気になった時である。もうお手上げになってしまう。親の介護でも一人であり私は病気でも介護した。誰もしてくれないから自分がするほかなかった
それも自分一人が特別良くされたから楽したカルマとして苦しむようになったのである。

一人暮らしは様々なリスクがある。金の管理にしてもそうである
盗まれたことがあり大東銀行の貸金庫を利用したが使わないので解約しようとしたら鍵を返してもらいたいとかできなければ4万もらうとか言われた。何か他でも解約がむずかしいのである。それは手続きをめんどうにして継続させるためにそうしている

契約は容易にしても解約はむずかしくする

それでまたハンコをなくしたので新しく登録するので手間になる
何か銀行とかの役割は何なのか、前は投資信託の勧誘があり私は大東銀行でしていた。それで儲けたことがない。銀行でも何かかかわると金だけをとられるのかとなる。大東銀行で便利なのはビザカード作れたことである。普通は無職だと作りにくいが作れた。それは重宝したが後は投資信託でも損だったとか何か金をとられるだけだったともなる
貯金でも利子はつかない、でも貯金すると金があると銀行では証券会社と組んで投資信託を奨める。そこで必ず手数料入るし銀行では株でも下がって絶対損しない、損するのは客なのである
株は上がったり下がったりしますからと言えばいいだけである
今や銀行に金を預けるメリットがなくなった
むしろ客の金を奪うのが銀行だともなる
貸金庫でも銀行員がその金を盗んでいた事件があった。
つまり銀行に金をあずけても奪われるとまでなる

今回は前のハンコをなくしたので新しくまたハンコを登録する
農協のヘルパーが口座から引き落とすのにハンコがあわずできなかった
それで再登録するのに手間になる
ハンコは本当に面倒である、アメリカなどではハンコなどない、署名だけでだけでいいのである。ハンコの本場の中国でもハンコは使わずデジタル化している。日本は依然としてハンコなのである
何か日本が世界から遅れた原因がこういう所にもある

また日本では部屋を借りるにも入院するのにも保証人が必要であり
一人暮らしの人は困る。アメリカでは保証人は必要ない
なぜ日本だけ保証人が必要なのか?
それは村人が米を税金として納めるとか五人組が形成されて村人が連帯責任を負うことに由来しているかもしれない。
個人に対する契約ではないからである。契約という時個人間の契約が基本である。この契約というのも日本人にはなじめないものだった

だから神と人間の契約するという聖書の教えもなかなか理解できないものだった。神が契約するのは集団ではなく個々人と契約する
そもそも契約は個々人間での契約である、これもなかなか理解できないものだった。そもそも神と契約するとか思いもつかない、そこに文化の相違がある。ただ日本では契り(ちぎり)となるが

「契約」は法律的・ビジネス的な合意を指し、形式的な意味合いが強いのに対し、「契り」は感情的で人間関係の深さを伴う約束を指します。

ここに法律と感情的で人間関係の深さを伴う約束とは違う、法の精神がある。法治国家というときこれも日本人には理解できないものがあった。法律という時感情的なものを返って否定する、情的になると公正な裁きができなくなる。一方で情状酌量とかもあり情を無視することでもない。

ともかく一人ですべてを担うことは負担が大きい、人間は家族であれ共同する。人間は何か共同して生きる。それが家族なのだがその家族でも数人単位であり何か介護とか病気になると足りなくなる
それで家族の崩壊が起きてくる。

posted by 天華 at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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