病気と療養【療養は自然環境のある田舎に向いている】
何か病気になると単に手術をするとか薬を飲むとかだけではなく日々が療養する場にもなる
また今度は南相馬市立病院に明日行く、結構時間がかかる
病人として生きているともなる。ただ寝たきりとかではなく普通に動ける。自転車でも乗れる、足は正常である
知っている人は脳梗塞から足を悪くして立つことから歩くのが相当な負担になっている。手も悪いから料理するのも難儀になる
こうなると日々の生活が療養になる
歩くのもリハビリになり現実にリハビリにも通っている
生活自体が療養になる。療養は英語に訳せばホスピスになるのか?
それは薬とか手術とか医療ではなくやはり治癒の効果がある
そうした病人には何かせわしい生活は合わない、第一まともに歩けないとなるとその人に合わせるとなるとスローになり寛容な対応が必要になる。
日々の生活が療養になる。病人だけではない、そもそも老人は動きが遅くなる、するとその対応もスローになる、現代の目まぐるしい忙しい生活とは相いれないものとなる。リズム的にもそうなる
そいう人がいると周りの人もその人に合わせるとなり全体的にスローな世界になる
その世界は大都会には合わない、そこはあまりにもめまぐるしいからである。療養はスローな田舎に向いている、ただ医療の面から見れば都会は先進的な医療環境がある。優秀な医者も多い。
ただ病気になるとそれだけでないものが必要になる
サナトリウム(英: sanatorium)は、長期的な療養(結核等)を必要とする人のための療養所。
Sanatoriumという言葉は従来からあったsanitarium(保養所)と結核治療施設を区別するため、「健康」を意味するラテン語のsanitasの部分を科学的な治療に、手当の意味を付け加えていることを強調するため、「治る」という意味の動詞sanoに置き換えることで作られた造語である。
かつては結核治療用の施設を指したが、その治癒率が高まった以降は精神疾患や認知症、脳卒中の後遺症など他の病気を含めたものとなっている。
結核治療のため、日当たりや空気など環境の良い高原や海浜に建てられることが多い
そこは田舎というのでもない、別荘地であり自然環境に恵まれた場所でありそこに癒しの効果がある
そういう場所としてふさわしいとなる。浜通リだと海があり海からの風が吹くから最近の異常な暑さを避ける避暑の場所としてもいい
飯館村も高原で涼しいから療養する場として適している
ただこの辺には温泉がないから注目されない、療養の場として田舎でも見直すことはありえる。問題は医療としては病院でも都会からすると劣っている。その両方を兼ね備える場がいいとなるがむずかしい
どうしても大都会に優秀な医者が集まりそこで習うために若い医者も集まる。
医療という時、広範囲に関係してくる。それで気の療法とかもある
自然が治癒力となる。自然の気を受けることは体にも影響する
つまり病気に対処するにもいろいろある。ただ薬を飲むと手術するとかだけではない。
漢方の基本は、“人間の体も自然の一部”という考え方です
こういう思想を基にするのもまた必要だとなる
ただこうして病人老人社会になること金を使う人を使うことがどいうことなのかそんな社会が成り立つのかということはる
障害者病人老人社会とかありえるのか?江戸時代であれその前でもそいう人達は切り捨てられた、なぜならそこに労力を奪われて正常な生活ができなくなったからである。足手まといになったからである
ただ現実には地方では介護関係の病気にかかわることを仕事にする人が増えている
金があれば最後は病気のために介護のために使うともなっている。老人はそうなりやすいのである。
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