老人になり問われるものーその人なりの価値が人格が問われる
【社会でも会社でも人格形成を目的にしない】
● 長生きしてもそれだけで価値は作れない
老人の問題は突然に老人になったから起きることではない、人生は連続している。
老人は人生の最終として誰にでもなる。でもその前の人生と切り離してありえない、
人生は連続しているからである。だから老人の問題が老人になり起きるわけではない
だから別に老人になったからとか年をとったからと老人が人格者になるとか特別な人になるわけではない。何か老人を敬いというときそういう時代は老人が長生きする老人がまれだから貴重になった。今はこの人は長生きしたから偉いとはならない。ただ百歳元気でいれば注目はされる
何か老人の問題が老人になって共通して起きてくるとみる
でも老人の問題は確かに病気になるとか体力がなくなるとかは共通している
でも老人の問題はその前に起きている。人間がただ年をとるだけで偉くなり優れた者とはならない。老人の数が少ない時はそういうことがありえた。
今はただ年をとったから価値あるとはならない。
なぜ老人が価値がなくなったのか?
これを問うべきである。老人の価値とは何なのか人間の価値は何なのかが問われる
老人は無駄だとか老人を嫌悪するとき老人の価値を認めないからである。
でもまた老人でも個々に違っているから老人全般ではなく老人の個々の価値を認めないからだとなる。
老人でも何か一芸に優れている人だったら一目を置く、何かその人の特有の価値を認めれば老人でも価値あるものとなる
でもただ年をとっているだけでは価値は認められない、それが高齢化社会で問題になっている。別に60代くらいで死んでいればそんな個々人の価値を求めることもなく家族であれ地域社会であれ会社であれその中で価値があり死んでいたとなる
あえて個々人の価値を問うこともなかったのである
だから老人が無駄だとか無価値だとかあまり言われない、ただどうしても老人は無駄だと言われていたことはあった。それは貧しい時代だから働き手になれないことでそうなった。その時老人の性格がどうだとか何かその人の人格的なことは言わなかったかもしれない。
でも今になるとそうした老人の人格的なことを言われ指摘されるのはなぜかとなる
それは長生きしているから何か老人が目立ちそれで変な老人が増えて目立つからそうなる。少なければそもそも老人のことをそんなに話題にもしないだろう
何であれ老人が多すぎるからどうしてもその中には変な老人がいて目立ち嫌悪される。ただ長生きすれば恥多しということは言われていた。だから昔でもそういうことはあった。
●老人が多すぎて負担になり価値がなくなった
ただ現代は余りにも老人が増えすぎたことで老人が目立ち老人の価値が低下したのである。そもそもいつの時代でも優れた人はまれだった
それで現代のように老人が増えれば変な老人が目立ち嫌悪されるとなる
何でも数が多ければ価値がなくなる。美人でも多ければ価値がなくなる
醜い女性がいて美人の価値があがる。でも美人ばかりっだったらその美人も価値がなくなる。老人が少ない時代は老人であるだけで価値があったとなる
現代では百歳になる人はまれだから価値ある。でも百歳が増えてありふれたものとなれば価値がなくなる。
いづれにしろ老人の問題は老人になって起きることでもない、老人だけを切り離して見れない、人生の最後の結果として老人問題がある
むしろ老人になってその人の真価が現れるとなる。何であれ人生で積み重ねてきたものがありその集大成が老人になり結実するとなる
だからなぜこれほど老人が尊敬されず嫌悪され無駄なものとされるのか、それを問うべきだとなる。それは老人になって突然現れたものではない、人生は連続していたのだからもしかしたら青年時代にも問題があり老人になりその問題が現実として現れたのかとなる。
確かにカルト教団に子供の時から家族で洗脳されてそれが遂に老人まで変わらなかったらどうなるのか、その人は異常でもいつも接する人は同じ人達だから異常でもない、むしろその中でかえって先鋭的になり認められる
別に外界で価値がない異常だとみられてもその内部では賞賛される
それは組織団体化した所ではそうなりやすい、その団体組織の中での価値観がありそれが異常で気づかないのである。
それは近くの村人間でもそうである。十数人かの村(部落)が社会でありそれ以外は通じあわなくてもいいとなり、返ってその仲間が第一であり村八分がありそれを一番恐れるとなる。
●人格形成を社会では目的にしないーでも老人になると問われる
要するに人間は常に価値を問われる存在である。老人は特に長く生きて来たのだから何らかの価値を作って来たはずだとなる。でも人格形成がどうのこうのとかそんなことを目的にして生きるわけではない、会社だったら利益を出す金儲けることが第一になる、そもそもあなたたちはこのの会社に入ったら人格形成を第一にして勤めなさいなど言わないだろう。いかに利益をあげるかが第一になる
そこで何か相手をだましてでも利益を出す者が優秀だとして会社では優遇するとなる。たとえ人格が歪んでも利益を出すことが第一になる。
それでも老人になった時何かそうして人をだましたりして利益をだして会社では褒められてもその人の人格は歪むとなる
でも別に会社ではそんなことを気にしない、それでも老人になったとき何か歪んだ人となる。ただその人は社会での成功者にもなる。
いずれにしろ社会であれ会社であれ人格形成どうのこうのとか目的にしていないのである。だからなぜ職業が業になっているのか、カルマにもなるのか、世俗の職業自体に問題がありそこで利益が第一となり心は無視されて心が歪むとなる
会社であれ社会であれ人間は二律背反になる、ジキルとハイドにもなる
ただ変な歪んだ老人が多いというときその原因は何なのか?
そもそも社会であれ会社であれ人格形成がどうのこうのとか関係しない
もちろん嘘をついて取引しろとは言わないけど利益になるなら上の人でも目をつぶるということはありえる。それは政治家ではあり批判される
政治でも別に人格がどうのこうのとか余り問題にしないだろう
要するに社会では人格形成を目的にしていない、それでも不正なことをすれば法律に触れるからと注意する。それは罰せられるからそれを恐れてしないとなる
でも老人になり変な人人格が歪んだ人が多いのか?
それは何らかで社会を生きているうちに例えばまず利益を上げることだとして
嘘をついたりだましたりすることをしてきた。それが老人にあり顔つきにも心も歪んだものになったかもしれない、なぜなら会社であれ利益第一であり社員の人格が心がどのこうのと言わない、何か寺であれ修道院なら人格形成を第一にしている
社会では利益が第一でありそんなことを問わないのである
●不本意でも社畜とならざるをえないーでも責任は問われる
ただ老人から人生でも社会を見ると違って見える、もしかしたら何で私は会社の命令を第一にして社畜になったのかとか後悔するともなる
不本意であっても金になる、利益になる
そういうことが人生には多い、カルト宗教教団も宗教を看板にするのだから人格形成を第一にする場なのかとなれば全然違っている
むしろ強欲になり御利益を狂気のように追求して仏に祈る。人格などどうでもいのである。ではその人達が老人になったときどうなるのか?
何か歪んだ人格が形成されて経済的には成功しても人格形成では失敗したとなる
ただ人格形成を目的にしている会社などない、それなら僧院に入れとなる
社会でどうしても職業に就くことは業(カルマ)を積むことになる
それで世俗社会と分離して精神修行をしたとなる
何か引きこもりとかは社会に適応できないという時純な心と内面を追求するのでそういう場が僧院でも入るのにはいいとなる。ただそういう場が現代では喪失したので家に籠るようになったのかとなる。私の場合はそうだったのである
何か嫌なことを強制されることがなかったのである。それは特別に家族に恵まれた結果だったのである。でも社会は過酷であり甘えは許されない、それが意に沿わないものでもやらざるを得ない、そこで人格形成とは関係ない場所だからである
とにかく老人は何であれ人生の結果として現れる。それは顔にもその悪しき行為でも刻印される。だからその形成された心が人格がそのまま来世にもたらされる。そこが地獄であるがすでにこの世自体が地獄なのであるり地獄に入るための場だとまでなる。
神はその人の心を見るというときいくら人格が歪んだのも会社のせいだとか社会のせいだとしてもあなたの責任でそうさせたのだとされる
40過ぎたら自分の顔に責任を持てというのはそのことだとなる
あなたの心が歪んだのはあなた自身の責任だともなる、社会であれ会社であれそこに責任はない、結果的にあなた自身の責任として問われる。確かなことはこの世に義人は一人もいないというときそれだけ義に生きることはほとんど不可能に近い
何らかこの世の不正と悪に妥協して生きるほかないことを示している
だから悪に染まっても別にみんなそうであり感じないとなる。だから自分が悪人だとか罪人だという人は返って救われるという逆説になる。何らか悪でも罪でも意識できたからである。普通は殺人を犯した人でも反省していない、たまたま運が悪かったと刑務所に入った人が言っていたからである。自分が人を殺しても悪いと思っていないのである
要するに人間はそれほど悪を意識できない、だから親鸞が千人人を殺してみろと言ったのである
そうすれば悪人と自覚するからだとなる。
タグ:老人の価値が問われる 社会は人格形成を無視 カルト教団も利益第一 会社は利益第一 社畜でいいのか 職業は業(カルマ)を積む場 40才で顔に責任をもて 老人はなぜ歪んでいるのか この世は地獄人間を作る場 社会でも会社でも利益第一主義 義人は一人もいないの意味
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