老人が嫌悪される時代
【偏屈な老人が多く長生きすることが恥になる】
なぜ高齢化社会が問題になるのか、それはこんなに人間が長生きすることを経験していないからである、すると老人の問題はこれまでもあったにしろ60くらいで死んでいれば目立たないのである、その人を何やかにや言う前に死んでいるからである
命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬ程にて死なんこそめやすかるべけれ。
徒然草を書いた吉田兼行が生きた鎌倉時代では40となると老人だったのかとなる
だから今の時代とは比べようがない、そんな時代でも命長ければ恥多しであったのである。とにかく高齢化社会は老人がどうしても問題になる
でも老人でまともな人がいるのかともなる。何か変な老人が偏屈になった老人が多くないか、ただそう見えるのは老人が多すぎるから目立つとなる
それにしても40才くらいで死ぬのがいいと見た時長生きすることをいいものとみていなかったのである
何か老人は歪んだ偏屈になった人が多くないか、それは数が老いからそれに比例してそういう老人が目立つからだともなる
40才で死ぬような時代はそもそも今のように70以上が普通に生きる時代とは相当にに違っている。だから老人がそれほど問題にならなかった
人間はもとと長く生きれば経験も積むから賢くなるとみる。確かに老人は悟ったようになる。でも現実は変な老人が歪んだ老人が多いという時目に付くというとき
その数が多いからそうなる。数に比例してやはり変な老人が増える
例えば団塊の世代は子供の数が多くてもそれが社会でマイナスとは見ていなかった
子供は数が多くても老人とは違い誰でも未来があるものと見られていたのである
でも老人が多いことは社会にとって歓迎されない、人間は経験を積めばそれなりに
何か賢くなる。でも現実にはそうなっていない、何か歪んでダンテの地獄編の人間を見る感じになる。体も歪むが心も歪むのである
そういう老人が大量にいるときこの世が地獄だともなる。それも死ぬこともできずに亡霊のようにさまよっているのを見るときまさにそうである
ニーチェが言ったように生にしがみつき死ぬことできずに恥さらして生きている
そういう老人社会は地獄社会にもなる
でもそもそも人間は何か特別優れた人自体がまれだった。だからその人達が老人になっても年を取っただけで馬齢を重ねるだけだとなる。要するに長生きしても賢くならない、人間的に成長しない、むしろ歪んでいる。でも昔なら早く死んでいるから目だたなかったのである。それでも長生きすれば恥多しとなっていたのである
ただ老人はその恥を自覚していない、それでこの世に未練たらしく生にしがみつき生きているとなる、老人は生産性がないのである。
何かだらだらと無目的に生にしがみつき生きて恥さらしているがそれも自分では恥ともみない、迷惑だとも見ない、だから何か傲慢であり嫌われていてもそれを感じないのである、また老人はそうなると権力を持つことが頼りになる
地位であり金でありそれに頼る。それもまた若い人には嫌われることにもなる
でも権力には逆らえないから従う、でも高級老人ホームでそういう傲慢な老人がいても実際は嫌われて表面上は従うが冷たくもされる
でもまた権力(金)も地位もない人間はなおさら無視されるのがこの世の現実である
だからこそ老人が権力でも地位でも手放したくないとなる
いずれにしろ確かなことは人間は長生きに足る人が本当は非常に少ないのではないか、だから変な老人が目立つのである。つまり膨大な老人が恥さらして生きている
今老人を敬まわないというときそんな尊敬する老人がいるのかともなる
人間は長生きに足る人はまれでありそこまで進化していないともなる
そもそも人格を形成するとかまた芸術作品を作るとか目的にしている人はまれである。ただ明確なのは金を稼ぐことが目的化している、その金に寄る人はいてもその人自身を敬うとか子供にすらないのである。金を持ているから親を利用するとなる、そういう下心があり親もそれで子供を嫌悪するとなる
人間は生にしがみつく
とにかく長く生きようとする
長く生きることが目的にもなる
でも長く生きても尊敬もされない
厄介者として生かされる
そして恥多しとなる
でも人間は簡単に死ねなくなった
それが幸福なのか不幸なのか
人間の尊厳とは何か
ただひたすら生を伸ばすこと
それがいいことなのか
人間は嵐の中を生き抜く
その中でこそ生の意味が現れる
だらだら長く生きても
そこにかえって生は無意味と化してゆく
生きていること自体が嫌悪される
早く死んでくれとなる
それが生の逆説である
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