津浪より13年過ぎた真夏の海岸の詩
【異常な暑さで涼しい場所が求められる―大都会には住めない―文明が崩壊する?】
津浪より13年過ぎて成長す
海岸の松影に我が休みぬ
涼しき風は大海より吹き
ここは暑さ知らじも
漁船は勢いよく港に帰りぬ
海の幸得て喜びのあれ
しかし津波原発事故の大被害よ
その傷痕は深く残りぬ
あまたの犠牲ありて
いくつかの村は消滅する
悲しみはなお癒えざりしや
しかし松は成長してその影に
心地よく我は休みぬ
涼しき風は吹きそよぎ
生き返る心地しぬ
老鶯の鳴く声を長く聞き入る
今世界は灼熱地獄と化す
ただここは暑さ知らじや
ここは津波に苦しめられるも
涼しさのありて安らぐ
今ここは住むにも良しかな
悲しかな津波の犠牲者はここに眠りぬ
人の世に災いは無くなることなし
その老母の病に苦しみ悲しむ
その背負いしカルマの重しも
死ぬまで苦しみは消えることなし
ああ 人の世の苦しみ悲しみはつづく
時に人は自ずから祈りぬ
主よ、守りたまえこの地に平安のあれと
なお我に力を与えたまえと・・・
鬼百合は咲き波はひびき
雲の峰は高く高く湧き上がる
白波寄せる海岸線を鴎は翔けてゆく
大海の沖に船は見えて浜通リ
山脈は青々と連なりぬ
津浪より13年はたちまちすぎぬ
松は成長して影なし休む
13年過ぎて子は成長する
ここに新たに蘇るものあれ
新しき力の加えられむ
津浪から13年過ぎた、何か13回忌とかあるからその歳月も長い、それで海老浜の松が成長して防波堤に影なしそこで休むと
海からの風は涼しい、そこは暑さ知らずである。世界が灼熱地獄と化するときここはまるでオワシスのようである
それで津波の大被害があり村はいくつか消滅した。最悪は2000人の磯部村であり200人くらい死に完全に村が消滅した
海老村でも高台で30人くらい死んだ。そこは高台から避難したが海に接しているから危険な場所だった
でも市では避難場所として設定していたのである。だから全く津波のことを知らなかったとなる
海老村はほとんど消失した。奇妙なのは高台の墓地は残っている。他でもなぜか墓地は残っているのである
人間の住む場所は津波に流されたのである。
ともかく津波原発事故から13年過ぎても津波で消滅した村は回復しなかった。とても住むことができなくなった
その傷痕は深く残り身内を失くした人は忘れられない、ただそうでないものはこれだけの大被害でも忘れられてゆく
そして13年で成長した松の影で休むとき心地よいとなる
でも右田の松原は失われた。その松は成長していない、30年くらいは成長するにかかる、そこは風力発電機が並び景観もまるで変ってしまった。その松原で私はいつも夏は休んでいたのである
ともかく不思議なのは世界が灼熱地獄になっているときここは涼しい別世界なのかとも見る
福島市と伊達氏が38度とか異常である、そんな所に住めるのかとなる
それを見たら津波の被害にあったところは涼しいのである。すると住むにも避暑にはいい場所だとなる
それで見直されるかもしれない、つまりこの世の中何がいいのか悪いのかわからない、悪いことでもいいものとなりうる
今ここは暑さ知らずの別世界だともなり価値が上がってくる見直されるとなる
なぜなら東京であれ大都会は灼熱地獄となり住めなくなるかもしれない、それも温暖化というの過度な便利な文明生活で都市ヒ−トアイランドとなり二酸化炭素が地球を暑くした。原発事故もまた文明生活を維持するために作られて大事故になり住めなくなったから似ている。温暖化は文明による人為的な災害だとなる。原発事故でもそうである
何かソーラーパネルが暑くてリチウム電池が燃えて爆発したとかある。つまりこれもやはり自然を壊さないようでも人工的に作られたものだから危険だったのである。クーラーでも熱を出すかから都会は熱の逃げ場なく異常に暑くなる
そして住むことすらできなくなる。この暑さが一過性でないとすれば大都会には東京でも住めなくなる
原発にしてもそもそも東京に電気を送るために福島に作られたのである、つまり一千万の大都市を維持するために作られたのである。つまり一千万の大都市があること自体異常なことでもあった。
それが今この暑さで世界の大都市が危機に瀕している、暑さで生存も危ぶまれている。
それは自然の問題ではなく文明化した人間に問題があるとなる。人間は気候をコントロールできない
それをするとまた原発事故のようになる。何か未知の甚大な事故が災いが生まれてくる、技(わざ)は災いになるからである
文明自体がその矛盾から滅びるかもしれない、それほどの暑さであり灼熱地獄と地球が化したとなる
それは文明に対する警告ともなる。
ただ温暖化が自然現象だとすれば別である。浜通リは熱帯化していた時期がある。だから何か自然の作用として熱帯化しても問題はないともなる。でも都市化とか工業化とかで二酸化炭素が増えるのが原因となればやはりそれは危険になる
いずれにしろこの暑さは命にもかかわる.生命を脅かす暑さだともなるから恐怖にもなる
それが一過性ではなく継続されるという時場当たり的な対策では解決しないとなる
つまり35度から40度でも適合して暮らせとまでなる。それが可能なのかとなる
人間の能力には限界がある。だから原発事故がありまたこの暑さでもそうである。その原因でもわからないにしろ大都会がヒートアイランド化したことは確かである、熱の逃げ場がなく熱気がこもる、クーラーでも熱を出すからである
だから一千万とかの大都市は災いを産むのである。自然からの警告としての災害級の暑さをもたらした。
人間はいくら科学技術が発展しても自然を改造したり制御できないのである、むしろ自然い寄って制御される方なのである
いずれにしろ様々なことで人間は依然として苦しみ悲しむ、でも解決できない、それで自ずと神に祈るとなる
病気で苦しみそれも治らない、貧困化もあり様々なことで苦しみ悲しむから自ずと神への祈りとなる
歌とは訴(うった)えるという時それもそうである。詩も神にうったえることからは始まったからである
科学技術者に訴えても解決しないからである、だから祈りは人間の根源的なものとして生まれたのである
人間にはどうしても限界がある。科学技術ではすべて解決できないからである。