2025年07月11日

私の家族の過酷な人生−そして歪む人格 【明治大正戦前戦後の歴史を語る】


私の家族の過酷な人生−そして歪む人格
【明治大正戦前戦後の歴史を語る】

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人生は必ず何らかで苦しむ。例えいくら恵まれていても苦しまない人生はない、なぜなら必ず病気になったりすることから逃れられないからであある。最後はみんな死ぬ時でも苦しむとなる。生老病死なのである。
老病死とはこれは誰にでも経験するからである。

私の家族の中の二人は病気で苦しんだ。父は癌で死んだ。その癌が肺癌であり相当に苦しんだ
何か火葬にしてもその癌は焼けなかった。その時火葬場がなく野辺送りであり死体を薪を積んで焼いた
それはインドのベナレスとかで今もしている
その様を見たショックは生涯忘れることができなかった。それでなぜ人間が死ぬのかというのが私の最大の疑問になったのである

間違っていてもカルト教団に入ったのはそういう動機があった。でも選挙運動ばかりさせられたからやめた
父親は葛尾村の生まれであり双葉町の新山の酒屋に丁稚として勤めた。なぜ明治生まれでも読み書きができてソロバンができて丁稚となった。それもわからないがやはり明治生まれでありその当時は子供でも働かされるのが普通である
だから苦しいことがあった。

人間が苦しむのは老病死なのである。老いることは体が弱り病気になるということでもある。
これは人間には避けられないのである。近くの女性が糖尿病になり目が悪くなり脚が痛いと歩くことすらできない、杖ついてもまともに立てないのである、これも苦しいと見た

病気というとき私の姉は健康優良児のような女性だったが最後は認知症になり苦しんだ。この認知症も病気であり本人とっても苦しいのである。何か普通の人でも今ここにあったものを忘れた時パニックになる。それが認知症では異常な興奮状態になり身近な人に盗んだととってかかり暴力になるから怖いのである。つまりこれは明らかに病気でそうなったのである。

姉はまたシンガポールの向かい側の今のマレーシアのジョホールバルで従軍看護婦として4年間働いた
それも苦しいものだった。それで最後死ぬまでそのことを語っていた。
そして最後【俺は優秀だった】と言って死んだ。そう言ったのは認知症になり馬鹿になっとされたことで悔しくてそう言ったのかもしれない。それも悲惨だったのである

私の母については継母にいじめられて悲惨だったことを書いた。原町の紡績工場に糸取りとして十年働きその後は東京で女中していた働きずめの一生でありそれで花はいらないと私に言っていたのが悲しかった。ただそうなった事情が知っているので責めるということもできない面はあった。ただ百歳まで生きたということは高齢化社会となりそれも時代だったとなる
百歳生きる人はこれからもっと増えるからである

また父親違いの兄の人生も過酷だった。私の家では後妻に来た母の連れ子を良くしなかったからである
ただ私が5才まで一生に暮らしていた。でもその後は別々になった
そして中学を出て集団就職をして静岡で結婚して暮らしていたが何か問題があり離婚して市営住宅を出て交通事故で死んだのである。まだ40才とかであった。この人生も過酷だった。ただその頃集団就職があり中学出て働く人は相当数いたのである。
兄も心が歪んだのである

こうした過酷な人生で人間は心が歪む。ただ老病死は確実に誰でも経験する。そして一生楽で終わる人はいない
老病死から逃れられないからである。人間の苦しみは死なない限り終わらないのである
だから遺影を見て今は苦しみがなく笑っていると見る。

ともかく人間は余りにも過酷な人生で心も歪む。そういう老人も本当に多い、なぜそうなるのかとなれば過酷な人生でそうなる
でもそういう人はいくら家族でも心が歪んでいるから嫌になる
ただ認知症は病気だから仕方がないとなる。それでも介護するのは大きな負担なのである

何かこれは明治時代から大正戦前戦後の時代を現わしていた。父親が明治生まれであり明治だから丁稚とかまだ存在していた
その頃やはり字が書けない読めない人がいたもである。母親は大正生まれであり尋常小学校で字は読めて書けたのである
だから明治大正昭和の歴史を語るものでもあった。そして私自身が三流でも私立の文系の大学を出たというのも戦後の歴史だった。なぜなら戦前の大学は本当のエリートであり将来が約束されていた
でも戦後の大学はマンモス大学で三流となると実際はエリートではなかった。つまり大衆化したのである
その不満が学生運動にもなった。それも今や歴史化した。

次に平成となるが平成は30年ありこれはまさに日本経済が失われた30年を経験した時代である
それが私たちの団塊の世代の子供たちの氷河期世代なのである。こうして明治から令和と時代が変わった
そこに人間は常に苦しみがある。ただ生老病死は変わらずある。戦前は肺病が国民病としてありそれが若い人が死ぬので悲惨だったのである。それはなくなったが依然として生老病死の問題は解決しないのである。



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