2025年05月25日

相馬野馬追いー雲雀が原へー青葉に映える御行列 【不忘乱の旗の意味ー旗の由来がわからないのが問題】


相馬野馬追いー雲雀が原へー青葉に映える御行列
【不忘乱の旗の意味ー旗の由来がわからないのが問題】

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北郷から出ているけど移住した家である

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六文銭は武田の旗印
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いろはー小高郷
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小高大将
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総大将
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雲雀が原へ

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菊の紋は北郷(鹿島区)−南朝の天皇の旗印

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大将の激を飛ばして青葉映え馬いななきて打ち進むかな

法螺貝の青葉にひびき打ちそろふ相馬の武者の勲しきかな

様々の旗のなびきて青葉に映え雲雀が原に打ち進むかな

御行列いろはの旗は小高なれその家知りぬ誇りなるかな

旗一つ不忘乱なれ意味知るやそ戒め伝え相馬を守る




今回の野馬追いで二つの旗が気にかかった。いろはの旗は小高に行きその旗をかかげた家を見つけた。あそこの家から出たのかとなる。不忘乱は中ノ郷(原町)の六号線の道の駅から丸三製紙に入って行く道の家だった
何か野馬追という時どの地域から家から出たのかを知ることも必要なのである
原町は新しい街でありでも六号線沿いは田畑がもともと広がっていた農家が多いから野馬追に出る人がいた。

中ノ郷は160騎出たとなれば多い、それだけ原町は広いからである。
野馬追に出る家は江戸時代から代々存在した家であるから古いとなる
兜でも鎧でも陣羽織でも古く家宝のように伝えられたとなる。何かその陣羽織が売られて勝手に使われていたということで問題になった。つまり先祖伝来伝わるものだから勝手に使えないからである
でもそれで参加者が決まっているからどうしても出る人が減って行き維持できなくなるとも見る

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不忘乱の旗の意味は

「君子は、安全なときでも危険を忘れず、生き延びたときでも滅びることを忘れず、『治にして乱を忘れず(世の中が平和に治まっているときでも、戦乱のときのことを忘れない)』」とあります。 平和な世の中でも戦乱のときを忘れないで、力を蓄え、備えをおこたらない。 また、 平穏無事 のときも、万一のことを考えて油断しない。

これは意味がはっきりしている。これは戦争に備えよという意味であるがこの辺だと日本だと震災に自然災害に
備えて置けということであった。津波の被害は余りにも大きなものだった
それで相馬藩政記に400年前に生波(津波)で700人溺死したという記録が二行だけ記されていたのである
これを全く忘れられていたのである。学者でも知らなかったのである。津波の後に調べてわかったのである。
それでこの辺では津波が来ないと信じられていて逃げないで老人でも死んだ人がいる
つまり不忘乱というとき自然災害も日本では忘れてはいけないという警告なのである。

今日は曇っていたが雨は降らなかった、でも晴れていないからすっきりしなかった。やはり晴れるといい、ただ青葉の季節に行列が映えるとはなっていた。真夏の時は入道雲が必ず出てその時野馬追いがあるというのがこの辺だった
何か今日は寒かった、雲がどんより覆っていたのである、それで神旗争奪戦は見なかった

ともかく野馬追いというときなぜいろいろな旗がるのか?その由来がわからないのである。その由来を知れば何かさらに興味を持つことがある。今回は不忘乱の旗印の意味はわかった。それは現代にも生きる教訓ともなる。
歴史は何か必ず教訓を残している。相馬藩の歴史でもそうである。だから400年前に700人が津波で死んだということを忘れていたことが最大の問題だったのである。






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