人間は家庭環境の影響が大きい―私の奇妙な家庭環境が良い方に働いた
【環境が悪く才能は伸ばせない人が余りにも多い】
人間は家庭環境の影響が余りにも大きい、それを象徴的に示しているのがカルト教団に育った人である
その家族の行き合うのも同じ教団の人であり子供の時からそういい場にいたら客観的に見る方法がなくなる。
そういう場は宗教の盲信になっているから余計に面倒にある
宗教は信仰を否定するのではない、狂信的ファシズム的大衆洗脳扇動が問題なのである
何か都合が悪いことがあるとすべて宗教の信心の問題にする
指導するのにも題目をあげればいいで終わりである
ともかくそういう家庭で育ったらどうなるのかである。
この人達は一切考えることをしない盲目的になり上の命令に従う奴隷となる、ハイルヒットラーの集団になる
こうした集団に家族が従属して育てられるのも虐待にもなる、なぜなら子供は親に逆らえないからである
だから親の責任は重いが別に自覚もしない、子供にとってもいいと思いそうするのである。
親には逆らえないから余計に始末が悪いものになる
私自身でももし母親一人に育てられたらどうなったのか、私の母親は貧乏であり働かせられてばかりで何か余暇を楽しむとか
趣味もなかった、というよりそういう余裕がなかった、働くことしかなかった。
だから花はいらないとして花に金をかけるなと言って庭に豆の種を植えていた。それは戦後でも食料に困ったからである
ただ高度成長時代があり裕福になってもやはり貧乏性だったのである。花などいくらでも買える時代になっても花は無駄だとしていたのである
でも奇妙なのはもう一人の姉は貧乏な時代でも母親から生け花を習わされていたのである。そして姉は性格的にも鷹揚であり
みみっちくなかった。母は性格的に神経質でありみみっちかった。だから私が母だけに育てられたらどうなったのかとなる
私は実際実の母のことを好きではなかったのである。ただ母を責めることはできない、それは貧乏な時代を生きたし継母にいじめられて育ったからである。不幸な生い立ちでそうなったのである。
人間は生まれつきではなくそうした家庭環境の影響が大きいのである。家庭環境であれ生い立ちであれ人を歪める
また過酷な社会でその人の人格も歪められるのである
人間を作るものは生まれつきの資質が基本的にあるとしても環境の影響も大きい。教育にしてもヨーロッパの貴族階級から天才が生まれるのが多かったというのは家庭で教育環境があり家庭教師でもついていたからである。するとその人にあった教育ができたとなる。そもそも家にピアノでもなかったら音楽の才能は伸ばすことはできないからである
私の父親も明治生まれで酒屋の丁稚として働いたから私にソロバンを習わせた。でも今になるとそれは何の役にもたたなかった
つまり教育には技術でも進歩するからそうなる。今はパソコンやスマホなしでは教育もあり得ない時代になった
だからその時代時代で技術の進歩で廃れるものがあり教育でも浪費がある
何か自分で奇妙なのは教育という時基本的に自己開発しないと実りがない、それが自分の場合引きこもりになりそれをしてきたのである。私が勉強したのは大学を出てからである。自由に旅をして地名に興味をもち地理に興味をもつようになった。
それで自主的に学ぶようになったのである、なぜならそれは受験勉強ではない自主的に興味をもったからしていたのである
その環境が与えられていたからできたとなる。だからいくら資質的才能があったとしても環境が悪ければその才能は伸ばすことは不可能である。そうして才能でも個性でも発揮せず死んだ人は膨大になる
私の母自身がどうも文学的才能があった。でも家庭環境が過酷であり花はいらないとかなり働きづめで終わったのである
こうして家庭環境であれ社会であれ時代であれ歪められる。
ヨーロッパで貴族階級なら才能を育てる環境があり労働者階級にはそれがなかった。だから天才にしても貴族階級からしか出ていないのである。
ともかく自分の家はつくづく不思議だとふりかえる。私は実の親だけに育てられていたら歪んだ人間になったかもしれない
兄もやはり連れ子であり中卒で集団就職したからである。そのために歪められたものとなった
何らかで人間が歪められるのは確かに資質があっても環境の影響が大きいと見る
ただ恵まれても金持ちに家に生まれても放蕩するとかありそれでいい影響があるとは必ずしもならない、別に貧乏な家からでも立派な人は出ている。ただ統計的に総じてみれば環境の影響が大きいとなる
時代の影響も大きい、戦争の時代に生まれたら才能など伸ばせない、若くして戦死して終わりだとなっていた
その無念は膨大なものである。
とにかく家庭で育つのだから家庭環境の影響はどうしても一番大きい、その人は家が貧乏であり障害者をかかえているとか
何か不遇であり恵まれない、その皺寄せが弟にあり不幸なのかとも見る。
団塊の世代の母親は子供は厳しく育てた方がいいと今でも言っているからである。そういう時代があり戦前となると
子供は親に尽くすべきものとしたまで子供時代からあった。それは貧しい国から出稼ぎに来る人達は親に仕送りするから継続している。貧しい国は才能を伸ばすとかはしにくいのである。ネパールの山岳地帯ではボールペンすら買えないからである
そしたらどうして教育できるのかとなる、戦前でも貧乏な人が多い、それで鉛筆でも極端に手で持てないくらいまで使っていた
つまり文房具すらまともに使えないとしたらとても才能など伸ばせないのである
私自身にしても大学で勉強しなくてもその後旅とかして地名とか地理に興味をもった。これも奇妙なのだが私は悪筆でありワープロを早い時期からはじめてパソコンも早い時からしていたのである。別に文系であり機械マニアでもなかったのである
それもその時間が金も与えられていたからだとなる。要するに才能でもこうして環境が影響しているのである
結局人間は才能があるなしに限らず何に時間を費やすかが人生になる、第一その時間が限られているからである
だから人生を語る時なんであれ何に時間を費やしたかを知るべきだとなる。それが何であれその人の人生であり価値を作ったとなる
まず家庭環境で悪いのは母一人子一人とかである。それは母の影響をまともに受ける、するとかえって歪むのである
人間の性格にも偏りがありの偏ったもものが子供に影響する。私の場合花など無駄だとか働くことしかない実の母親に育てられていたらどうなったのかとても才能など伸ばせないのである
だから子供は多様な人達と大家族で育った方がいいとなる。母一人子一人だと閉塞した環境になり歪むとなる
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