母の命日八周忌ー干し柿を捧げる―死者を語り生き続ける
忙しや母の命日8年忌師走に死にぬ母なりしかな
母死して8年過ぎぬ冬巡りなお我が語り家を継ぐかな
死者のなお我が家にあらむ遺影にそ語りて冬に一人かな
干し柿を母に捧げて8周忌なお我が家にともにあるべし
我が姉にはみかんをささげてそ争わざるやなお共ににあらむ
母が死んだのは2016年の12月12日だった。今日は13日でありすぎていた。8年はたちまちすぎた。でもやはり死者は家にあり生きている。人間は死んだからと終わりとはならない、何か死者を想いつでけている。特に私の家の場合特殊な事情でそうなった
父親は中学の時死んでその後姉と母が家を支えたからである
そういう事情があり二人のことは忘れられないとなり供養する
ただ争っていたこともあったが長く一緒にいればやはり家族となる、遠くに離れてしまうと疎遠になり情も通わなくなるからである。親子でも離れて暮らすと疎遠になる、去る者は日々に疎しとなる。確かに死者でも忘れられてゆくのだが家族の場合は供養が続きそれで存在しつづける。やはり死んだ人を思い出し死んだ人を語るのである
母のことは語って来た。継母に育てられたとかまた働きずめで花などいらないとか何か楽しみのない人だった。それは我が家に嫁いでも店を始めたので暇なく働いて楽しむことがなかった。
だから子供の時母と何か遊んだりした記憶もないのである
母の好物は干し柿だった。戦前だと果物でもいろいろ食べていない、だから干し柿を食べていた。だから遺影に干し柿を捧げた
でも姉は妬むということもあり姉にはミカンを捧げた
今でも争わないでくれとなる。
ともかく明らかなことは夫婦でも協力するとかしないと栄えない。これは確かである。私の家は父親が死んでも姉と母が争っても家を維持して栄えたとなる。この家を建てたのは姉と母であって父親ではないからである。
離婚などして母親だけで子供を育てることは容易ではない
それで二人はいたことで私は他の人より恩恵を受けたのである
だから姉と母とには感謝している、介護でも力たらずでも懸命にしたのである。
確かなことは人間は死んでも継続するものがある。肉体は消えても何かが残ってゆく。その一生を語ることでも活きてくる
親が苦労して育ててくれたとかなると余計に親のことを思うのである。でも家族でもいろいろありその差も大きいのである。
ともかく死んだ人を親でも語る時何か語る人自体も死んだ人と生かして自らも活かす、つまり死者と依然として存在しつづけるのである。
死者への問いかけは、生者がそうすること
をやめない限り、その生涯にわたり続きうる。生きながらえるほどに死者への問いかけは数を重ね、さらには問いかける死者も増えることだろう
それも自分と同じような生者とだけでなく、そうではない生者ともこの世界を分かちあうことができるようになるには、かつて生者であった者ともこの世界を分かちあうことができるのでなければならない。そのためになしうることは何か
「死者を想う」ということ―死生学についての覚え書
田中 智彦
file:///C:/Users/KOBAYASHI/Downloads/SN-N18_P191-212.pdf
母の命日〈冬紅葉忌ー三周忌)
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