2024年12月10日

寺と石【冬に入る宝蔵寺の庭ー紅葉、冬桜】


寺と石【冬に入る宝蔵寺の庭ー紅葉、冬桜】



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大石のここに定めて冬に入る
紅葉濃く大石一つ動かざり
冬日さし大石にここに鎮まりぬ
大石をすえてここにし冬桜

寄り合いぬ石の硬くも重々し一村静か冬に入るかな

海老村の宝蔵寺に紅葉と冬桜がいい、それと石がいい、石に興味がある。何か石は冬ににあうのかもしれない。
寺というとき江戸時代から明治から戦前でも農村社会であり活きつづけるものがあった。江戸時代なら村の中心がだったのである。寺は役所の代わりもしていた。

日本全国には7万を超すお寺が存在し、コンビニの数が5万軒であることを考慮すれば、お寺が我々に与える影響は決して小さくありません。

実際、お寺は葬儀等に限らず、寺子屋として教育機関の役割を果たしたり、江戸時代には戸籍管理を行うなどして現在の自治体の役目を担うなど、お寺と地域社会との関係性は密接なものだったのです。

寺は村があって機能していた、なぜなら村は農業が生業でありそれも代々続いたからである。ということは寺も代々続いたもである。日本のエトスというか心情は村で作られてきた

エートス (古希: ἦθος, ἔθος; ethos, 複: 古希: ἤθη ἤθεα; ethe, ethea) は、「いつもの場所」 (ἤθεα ἵππων) を意味し、転じて習慣・特性などを意味する古代ギリシア語である。他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。

こうしたものが村で作られてきた。いつもの場所というときそれは場所に由来するともなる。場所の特性から作られてきたともなる。村で定住するから先祖も変わらず村にあり続ける、それで先祖への供養も続くとなる。そこで情を育み連帯が生まれる

でも今は農業中心ではない工業中心の社会であり絶えず移動する社会でもある。すると定着しないし代々続く家も減るから寺も無用化してくる。村の要とあったとしても今はその機能がないのである
ただ庭を見るにはいいとなる。京都でも寺の庭を観光するにはいいのである。別に信仰など関係なくなっている

ともかく石の庭と冬桜がいいとなる。場所的にも山の蔭になっているとか立地もいい、街が近くても山門があり雰囲気がいいのである

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