2024年10月14日

認知症と似た症状は老人一般でも起きる―介護でも恨まれるのが怖い 【老人を一様には見れない―老人になっても人間は急に変わらない】


認知症と似た症状は老人一般でも起きる―介護でも恨まれるのが怖い

【老人を一様には見れない―老人になっても人間は急に変わらない】

初期の認知症の人とかはとくに昨日買ったものをまた買ってしまうことってよくあるんですが、冷蔵庫を開けたときの映像をカメラで録画しておけば、スーパーで買わないよう教えてくれることも可能なわけです。

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●認知症の介護のむずかしさ

私の姉は認知症になり買い物でも家にある冷蔵庫にあるものを買ってきていた。それが認知症の為だ思ったが自分で家事をしていて別に必ず冷蔵庫にある物を買ってきていたのである
だからこれは別に認知症でなくてもなる。また人の名前が忘れやすい、これも認知症でなくても私も近くの人と長く接していなかったら忘れたのである。
例えば実の息子や娘でも遠くに暮らしていると接しないと名前も忘れる、それは認知症でなくても起こり得る。

去る者は日々に疎しというときどうしても身近に接しない者は忘れやすいのである、とおもかく人間は忘れやすい、膨大なプログを私は書いてきたがそれも忘れている。そして読み直して感心しているのも不思議なのである。

だから認知症になり起きることは老人には起きる。ただ認知症は極端な現象となって驚く、まさか銀行から金を下ろすことができないというの驚いたからである。そして自分が長年住んでいた町の名前までわからなくなった。看護婦だったのに病院に行ってそこが病院だともわからなくなった。そういう極端な事が起きる
ただ老人は過去のことは鮮明に覚えてるから千回も聞いてうんざりしたのである

認知症の極端な症状として機械の操作などができなくなる。リモコンボタンすら操作できなくなった。ただすべての機能が失われたわけではない、自分が何者なのかその家でどういう立場にあったのかわかる。
だからこの家は私が建てたと家に尽くしたこと言う、それは事実であり無視できない、それで自分を大事にすべきだということを訴えていたのである。それは本当のことだから無視できないのである。それで私は認知症になっても姉を大事にしたのである。そして自分が大事にしたということを最後にわかってくれたので救われたのである

●認知症は心が通じないことはない

つまり認知症はなにもかもわからなくなった人とは違う、人生を経験してわかることはわかるから全く意思疎通できないとはならない。だから馬鹿だとして冷たくできないのである。それが大きな問題にもなる

認知症になったら日本語が通じないみたいな錯覚をしている人もいますけど、認知症ってかなり重くなるまで普通に話ができますから

確かに話はちぐはぐでも人間としてわかっていることがある。何もかも全然通じないとはならないのである。それで対処方法がむずかしいのである
そして怖いのは冷たくされると根にもち恨まれる。それは普通の介護でも起きることだが怖いのである。

ある人は最後に私に【ひどい娘だわ】と電話してきてすぐ死んだ。つまり何か相当な恨みを持って言いたくてそうなった。別に私はその人と疎遠だったけどあとで同じ仕打ちをされたのでその娘がいかにひどい人か知ったのでそのこと理解したのである
介護世問題なのは辛いにしても恨みを残されて死ぬことである。死んでしまったらもう何もできないから永遠に恨みが残ったままにもなる。何か悪かったとか本人には言えないからである
すると永遠にでも恨みが残るこことになるから怖いとなる

●老人でもパターン化して見ることはできない

いずれにしろ老人でも様々であり老人とはこうだとかパターン化できないのである。また逆に若者はとかも一様にはできない、ここに違ったものとして見るべきだとなる。
また何々の団体に所属しているからと一様には見れない、何か人間は統計化数字化すると個々の属性が見えなくなる。それが危険なことにもなる。人間は何でも家族でも多様であり一様に見れないからである。選挙になればみんな一票であり個々人の持っている属性は無視されて一様化数字化されて見えなくなる
それがナチスと全体主義ともなるから危険なのである。

認知症にしてもその家族でも個々人で違っているからその人にあった看護とか治療が必要になる、それが病院とかではできない、それで病院で議員の人が番号で呼ばれて怒ったのも分る
つまり多様な人間を無視してロボットのように扱われるということで病院は無機質であり情もない空間だから嫌だとなる

●老人は新しい友を作りにくい

齢を取っていいことの一つは、そういう変わり者たちが仲間はずれを恐れず、変わり者として生きられることじゃないかな。会社勤めで生きづらかった人もそこから外れられる。齢を取るのは嫌なことばかりじゃないって伝えたいですね。

これは言えるかもしれない。どうしても学生時代でも会社員でも一つのカラーに染まりやすいそうでないと勤まらないことがある
退職したら自由にその人なりに生きればいいとなる、私自身は生涯無職だからそうしてきたのである。わがままでだらしなくてもマイペースで生きて来たから良かったとなる。それは家族に特別恵まれたからである。それで私は家族に感謝しているのである。
とにかく高齢化の問題は退職してから30年とかあれば長いのである、第三の人生があるとなるからどうすごすか問題になるのである。

でもどうしても別に老人になったから別な人間になるわけではない、人間は継続であり積み重ねだからすでに老人になると個々人で相当に違った人になることは確かである。
だから老人は新しく友を作りにくいのである。
例えば一つの建物を一緒に協力して作ったというときその成果を互いに語りまた後継者にその苦労など語る時連帯感が生まれる
でもそうでないと連帯感が生まれないのである。だから新しい友は老人になると作りにくいとなる。 




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