農業社会は土地が権力の基盤になった
【イギリスは土地が狭く海外に出て豊かになった】
●権力を生んだもの―封建制の成り立ち
人間の歴史を振り返ると農業となると米で麦でもそれは蓄えることができる。その蓄えることができることで権力が生まれる。なぜなら食料があるということはその食料が得られるとなれば人々はその食料を持っている人に従うからである。
現代ならば金のあるものに従うとなる。
何が権力を生んだのか?
それは土地を持つということでその土地から食料が取れる貯蔵できるることで権力を持つことができた。神殿が穀物の貯蔵庫でもあったというのそうである。支配者になるためには武力だけではなれない、なぜなら力だけでは従わせることができない
現代では金で従わせるが歴史をふりかえれば日本でも米で人民を支配した、藩の力は米の石高で計られ給料も米で支払われていたからである。そしてその米がとれる土地が最も大事なものになる。それが封建制度を生んだ。また戦国時代とはその土地をめぐる争いだった。土地を所有することが権力を持つことに成ったからである。国は土地があって国たりえる。
だから世界史でもヨーロッパの歴史でも日本と同じく封建制があるのは土地を基盤にして権力構造ができたからである。農業にとって土地がなければ成り立たない。土地が富を生むのであり他は付随的なものになる。
農民には長がいる。農業には領土が不可欠だからだ。穀物をつくる。農民は食物を貯蔵するので彼らは盗む価値のあるものを持つことになる狩猟採集民はにはなかったことだ。支配階級。すなわち他人の生産的仕事を生活の糧にしているものたちが登場するようになるのは農業社会が生まれてからだ
農民は食物を貯蔵するので彼らは盗む価値のあるものを持つことになる狩猟採集民はにはなかったことだ
【一万年の進化の爆発―グレゴリーコクラン、ヘンリーハ―ぺテング】
この指摘が当てはまるのは中国である、なぜ万里長城が作られたのか、それは中国が農業社会であり穀物、米でも蓄えていたからである。それを盗めにモンゴルなどの遊牧民が襲ってきたのであるだからこそそれを防ぐために万里長城が作られたのである。
●相馬藩の越中(富山県)からに移住も土地を得るためだった
つまり何か富を持つということ資源でも持つことはそれを奪い合いになる。丸森の森の木材資源をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩で熾烈な争いになったのもそのためである。
現在でも石油をめぐる争いがあり何か資源があればそれをめぐって争いとなるのである。これまでの資源というとき土地が最大の資源だったのである。
それで相馬藩でも天明飢饉があり1/3に人口が減った。そのために越中(富山県)などから移民を募集した。欠け地が増えてそんな荒れ地でも土地を得れば食べていけるとなり藩から出ることができな時代で必死で相馬藩に移住してきたのである
農業時代はこのように土地がなければ農業は成り立たないのだからこうなったのである。相馬藩に移住した後も荒れ地を開墾するのに苦労した。それで加賀泣きという言葉が残されている
何かと不慣れな土地に移住して苦しんだということである
この越中からの移民は今でも見分が憑く、墓を見れば真宗であり戒名はなく南無阿弥陀仏になっているからである。
それは外国でも同じだったのである。戦前に日本人が満州という広大な土地を得ようとしたのも農業社会でああり農業には土地が必要としたからである。それで満州というと寒冷でありそこでも米作りをしていたのである。凍土でもあり稲作はむいていないのにである。今はトウモロコシ畑は尽きることなく続いている
●アイルランドからのアメリカへの移住も土地を得るため
これはヨーロッパにも同じ事情があった。
英国のピューリタンは大国と異なり下層階級貧困層が多かった。というのも英国はとても土地が狭く継承することができない次男三男があふれそういう人々がピューリタンに救いを求めたのです
ここで次男三男が土地が得られずその土地を求めてアメリカに新天地を求めたのである。日本だったら明治以降北海道に新天地を求めてたのと似ている
そこにもやはり広大な土地があったからそうなった
アイルランドのジャガイモ飢饉
飢饉で、アイルランドの人口が少なくとも20%から25%減少し、10%から20%が島外へ移住した[3]。約100万人が餓死および病死し、主にアメリカ合衆国やカナダへの移住を余儀なくされた[4][5]。また結婚や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が、最盛期の半分にまで落ち込んだ
ウィキペディア(Wikipedia)
これもやはり農業時代になれば土地が最重要であり起きたことである。それでアメリカに土地を求めて移住した、その子孫がケネデイ家とかなっている。
ともかくアメリカの広大な土地が我がものとなった。その変化は大きなものだった。
イギリスとフランスの相違はフランスは広大な土地があり農業が盛んである。イギリスは土地が狭いから豊かになるには土地に依存しない工業力とか外国に進出して富を得るほかなかった
その不利な条件が七つの海を支配する大英帝国を作ったのである。フランスはドイツもランドパワーでありロシアへ侵略して失敗したのである。イギリスはシーパワーでありそうはならなかったのである。そしてアメリカがイギリスに変わる覇権国となったのである。
タグ:イギリスとフランスの相違 アイルランドのジャガイモ飢饉 土地を求めて移住 農業が権力を生んだ 封建制は土地を持つ者の支配 相馬藩への移民も土地を得るため 万里の長城ができた理由 土地を求めてアメリカに移住
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