2024年08月14日

老人の価値が問われる時代 【老人の価値とは何なのかー人生最後に問われるもの】


老人の価値が問われる時代

【老人の価値とは何なのかー人生最後に問われるもの】

●子供の時からでも価値が問われる

人間とは常に価値が問われる存在である。この人にどんな価値があるのだろうかと常に問われている
子供は無邪気であるその無邪気さがあって価値あるものとなるし少年青年でそれは未来に価値あるものを作るとして価値がある。
ただすでに何かと価値の競い合いがある。あいつはかけっこが早いとかゲームに強いとか喧嘩に強いとか競う。
主な価値は現代では学校では勉強の成績で決められる。なぜなら絶えず試験があり点数をつけられて価値づけられるからである。
こういう価値ずけから逃れることはできない、一生逃れることができないのが人間である

たとえば自然であれば価値なきものはない、草であれ虫であれ石ころ一つであれ価値がある、蛇は気味悪いからいない方がいいとななるが蛇を食べる動物がいるからその動物にとっては価値があるとなる。虫一匹でも食べる鳥とかいるから鳥にとって価値あるものとなる。つまり自然界が食いつ食われつの世界であってもすべて価値ある存在なのである。森でも別にその木を木材として利用しなくても森としてる価値がある。

●なぜ今老人の価値が特別問われるのか?

そして老人もまた価値が問われているのである。では老人の価値とは何なのかそれが問題になる少子高齢化になると老人の数は増えすぎたからである。
だから老人は無駄だとして金を使うだけだとして自殺しろとまで言う若い人が出て来た。それは老人に価値がは認められないからである
この老人一体何の価値があるだろうとなるからである。でも老人は何の価値もない存在なのかそれが問われているのである

現代では何でも金で価値がはかられる。老人でも金持ちは価値あるとされて老人ホームでも優遇されるとなる。金を持っている老人は金のない老人より価値があるとなる。でも本当に老人に価値があるというとき金で測れるのかということである。

1000万持ってる人は1000万の価値がある5000万持っている人は5000万の価値がある1億持っている人は1億の価値がある10億を持っている人は10億の価値があり最高の価値があるとなるのだろうか?
老人の価値はこれまでの人生で何を体験して何をしてきて何を積み重ねてきたのかは問われる。もちろん金がなくていいということではないただ老人を見るときその人はどんな人生を送ったのかな問われて価値判断される。

だから常に老人は何であれ平凡な人である老人になれば過去にしてきたことを語るのであるそれを別に特別な人ではない普通の人でも老人になれば最後に自分のしてきたことを語るのである
その語ることによって老人のの価値が決められるところだ

その人は過去について自分が何を仕事をしてきたのか一切語らないするとこの人の価値はなんなのだろうと疑問に思った。
何か語りたくないやましいことがあってそうなったのかもしれない。ただ何も語らないのだから何をしてきたのか分からないということであるそうなればその人に価値判断はできないのである
つまりその人何はら人生において語るべき事はないというときその人の人生はなんであったのだろうとなる。

●人間は最後必死にしてきたことを語る

まず私の家で仕事した大工さん嫌というほど私はこうして仕事ができるんだと実際に目の前でそれを示して訴える。それをその人の人生で培ったものでありそれは価値あるものとして認めてもらいたいからである。人間が老人になって語るとき自分のしてきた価値を認めてもらいたいからである私の姉は戦争で従軍看護婦でシンガポールの向いのジョホールバル地獄の経験をした。

だから最後まで死ぬ間際までその経験を語りつづけたのである
それも認知症になったからそのことを忘れられず延々と世界を千回も語るとまでなった
それはそこで地獄の経験をしたからその価値を認めてもらいたいということで語ったのである。だから戦争でそれを無価値だとすれば 300万人も死んだのだからそれが価値がないとされたらどうなるのか?死者は浮かばれないとなってしまうから恐ろしいともなる。何のために地獄の苦しみを受けて死んだのかとなるからである。

ともかく何であれ老人になればその一生誰でも語るのであるだから老人の価値その一生語る。平凡な一生でも必ず語る
その語ることによってその人の価値をとなるのである
何か石の貨幣というのはあるのその石の貨幣の価値は石が海に沈んだ時それを取り出すことが苦労すればするほど価値があったとされている。そしてそれを家のー前に飾っておくのである。そしてそれは単なる飾り物でもなくがいかに苦労して海から取り出したかということが語られて価値があるのである

とにかく高齢化社会という今までと違う。みんな長生きするか老人の価値が問われる時代である。例えば退職してから30年位生きるかも知れそれは相当で長い。これまでだった退職したら十年くらいで死んでいたかもしれないすると第3の人生があるそれをどう生きるのかが問題になる。既に60歳まで生きれるその人がなにを体験してきたまあ積み重ねてきたのかそれが問われることには
なる。60才でも確かに色々なことはできる。でもやはりこれまでしてきたこと体験したことが価値になる。例えば趣味でもカメラでも最初から始めるとなかなか上達はしない。でも趣味でも積み重ねがあってできるからである
だから老人になって何か新しいことを始めることをできることはできるにしてなかなか難しくなるのである。

●石の貨幣の価値

いずれにしろ高齢化社会を老人の価値が問われる時代だということである。それはあまりにも老人が多くなったからである。
これまでなら別に会社に仕事していて価値がある何か仕事して60代くらいで死んでいたらその人の価値を特別問われるということはない。 60からさらに30年も生きるとするとそれは若い人たちの負担になり老人等は何の価値があるのか厳しく問われることになったのである。
それは障害者がなぜ存在するのか何の価値があって存在するのかということも似ている。ただ負担になるだけの存在である数が多いから余計にそうなったのである

ただ老人にしてもこうして今までより長生きするということ考慮している中それも数は多いから問題になるのである。この世の中数が多いと常に社会問題になるニートとかフリーターとか氷河期世代など問題になるのはその数の多さによって問題になっている
別働かないで遊んでいる人がいたとして団塊の世代などみんな企業戦士となって働いていたかそんな人がいたとしても気づきもしなかったのである。でも100万にとかういう人がいるとなると社会問題になったのである。今の老人問題一は社会問題になったののだがそれを簡単に解決することは不可能である。価値を作り出している老人どれだけいるかとなるとやはり少数である。

私などは別に働いていないしお金も稼いだこともないしそれで旅ばかりしていたり自由に学問を芸術追求したりしていたそれが今となって価値となっているのである。
ただ一円の金にもなったことはないしただ金を使っただけであるから金銭的な面からすると何の得ることもなかったのである
でもやはり自分が価値を創り出してきたその価値をまた認められないということがあるがやはり価値をつくりだしてきたのである。

老人になってお金を貯め何十億貯めたから価値あるのか?
老人になるとそんなことはないとなただ金をもっていればその金が欲しくて寄ってくる人はいる。でもその老人の価値を認めるというわけではないのでだから奇妙なの石の貨幣であるその石あるの貨幣は交換できないのだから何の価値があるのかとなるとも苦労して海から取り出したということでそのことを語る価値がある。
それを取り出すことが苦労すればするほど価値があったとされている。そしてそれを家のー前に飾っておくのである。そしてそれは単なる飾り物でもなくがいかに苦労して海から取り出したかということが語られて価値があるのである
それは老人が体験してきたことに価値が価値があると似ているのである。


richiworth.jpg

【金持ち!金あるだけで、中身空っぽ!】誰も知らない本当の金持ちとは何か?
自由発言!自由行動!自由思考のスーパーポジション

金持っているだけでは老人の価値とならないことを説明している
同じ年だから参考になる、金だけを価値として追及していると老人なり本当の価値を見出せない
だから金持ちが老人になって必ずしも恵まれたともなっていないのである。価値あるものともならないのである。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191020946
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック