2024年05月07日

函館の詩賦ー吉田一穂に魅せられて北方を目指した上野霄里氏

函館の詩賦ー吉田一穂に魅せられて北方を目指した上野霄里氏

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函館の詩賦

荘重に針葉樹林の厳しく威を正し
蝦夷松、トド松の直ぐに太く
それは質実、堅実を示し
北方の大地に深く根付く
トラピスト修道院
ドイツゲルマンの風土
ゴッシクの大聖堂
荘厳なカノンが鳴り響く
秋の朝日の黄金の光に浪は
岩を打ちつけ北の海
外人墓地に岩に鉄の十字架
ロシア正教の兵士などの眠る
ハリスト正教会の青銅のドーム
その錆びて古り厳かに鐘は鳴る
クラークは聖書を次代の青年に示し
北方の海に面する巌に
神威古丹に連なる者や
その貌を刻印する
極北の孤高の矜持と自負
寒燈の穴倉に一人籠り
漁師の子にして狩猟の生業
北方の夢魔の美しきかな
立待岬の断崖に浪は打ち響き
啄木の墓は雪に埋もれぬ
函館に絶えず船は来たりぬ
連絡船の行き来し時よ
その岸壁は古り倉庫群
ここに明治の新しき時代の息吹
波は打ち寄せてひびき
榎本武陽の五稜郭
蝦夷共和国の夢は破れぬ
咸臨丸はあえなく海に沈みぬ
時代の荒波に飲み込まれし者たち
その争闘も意義あるべし
新たな時代の先駆けを生きぬ

海堡地帯の針葉樹の森の山腹から、磨り減った石畳の水際へかけて並ぶ斜面の屋根瓦、アカシヤや白楊の繁みに現れる、寺院の白い尖塔や青銅のドーム、海岸通リの交(クロス)十字旗翻る白亜商館。黒ずんだ露文の金看板。青い水苔波止場と林立のマスト、・・・
今灯ともし頃である異国情緒の函館の港は、海行く辰の序曲であり、帰帆の夕の終局である。その華やかな燭光の圏をめぐる、寂しく冷たい夕霧のアトモスフィア―よ
吉田一穂‐氷島漂流記

明治というとき何か新しい時代に向かって混乱はしていたがそれぞれのそれぞれの意地がありそれぞれの志がありそこで激しく争ったにしろともにやはり新しい時代を築くためにそうなったのでありそこに犠牲も生まれた。ただその犠牲にしても意義ある犠牲にもなっている。
なぜなら太平洋戦争で300万人も死んだのにその犠牲が意義あるものにみえないし個々人のドラマもない、そして最終的には広島の原爆で終わったように最期は科学の力で決着したとなる。それもあまりにも凄惨なものだったのである。

明治時代はいろいろ見方があるにしろやはり一人一人がドラマとなっている。だからこそ司馬遼太郎の小説がフィクションでも劇的な物語になる。そこではいろいろな分野で創始者になった人が多い、それは武家の出が多いのである。武士道キリスト教を唱えた内村鑑三でもそうだしあらゆる分野で創始者になったのである。
写生俳句を推奨した正岡子規でもそうであり不思議なのは明治に一番漢詩が興隆したのである、そして詩語というとき漢詩を作っていれば詩語になるからそれで受け継がれたのが吉田一穂になり漢詩から詩語化したからである。そして上野霄里が師ともした詩人だったのである。

ただ函館が魅力ある都市となったのか?その基盤となるものはその地形であったり風土であったりする。函館の地形というのは変わっている。左右が海に囲まれて常に波が寄せている。あのような地形は他にない。ベネチアとかが似てもいるがそれとも違う。ただベネチアのように一つの海洋国家となったように似たところはある、函館は明治時代に新しい時代を迎えてその玄関口となったのである。榎本武揚が蝦夷共和国を作ろうとしたり五稜郭を作ったのはまさにそれも新しい時代の目指してそれは具体化したものだったのである。

この函館に石川啄木が住んだというのもやはり明治という時代の息吹として青春の短歌と言うべきもの作ったのである。明治という時代はこうして様々な人間の新しい時代に対応して精一杯に生きた時代だったのである。確かにそこには挫折があったとしてもそれも何か次の時代を築くためのものであり無駄なものとも犬死ともなっていないのである。

でもそのそうした物語は生まれなかった。大正時代でありその後の昭和であり何かそうした新しい時代のために人間が格闘するというかそういうことはなかった。ただ太平洋戦争で300万人も死んだ。とてもそこで一人一人の物語とかそういうものも生まれなかった。ただ死者の数だけが多いというだけにもなった。それは国際的にナチスのようにただ膨大な数の人間が死んでもそこに一人一人の物語は消失していたのである。

現代というのはそもそも個人のドラマとか生とかは失われた。すべてが組織団体化してその中で人間はロボットのように生きるほかない。だからそこには人間的なものは消失してただすべてが数であれナチスのようになってしまうのである。それを厳しく弾劾したのはアウトサイダーのニーチェでありヘンリーミラーであり上野霄里霄里(しょうり)氏ったとなる。

参星(オリオン)が来た!この麗しい夜天の祝祭
哀の流れは凍り、音も絶え
遠く雪嵐が吠えている

落葉松(からまつ)林の罠に何か獲物が陥(お)ちたであろう
弟よ,晨(あした)雪の上に新しい獣の足跡を探しに行こう

少年(吉田一穂)

いずれにしろ吉田一穂が上野霄里(しょうり)氏によって称賛されたのは詩語が豊富に使われていた。何か漢詩の詩語から詩を作っていた。それで難解なもになったがそこに惹かれたとなる。
そして自分の自画像を吉田一穂に重ねていたのである。

彼の詩のテーマは常に【極】である。北極である。北極はは頭上に不動の位置をを保つ北極星によって定められた疑う余地のない恒久の地点だ。彼はひたすら恒久の地点に生きようとした、不動の地点、絶対の境地、比較不可能な境地、彼はラップ人の精神の中に生きたーヨブの息子達ー上野霄里 原点に立つ男―吉田一穂

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上野霄里氏は東北に住んで北方を志向した。その厳し風土を志向した。それで吉田一穂に惹かれたのである。

何か罠をかけて動物を捕るというとき私の父親はイタチを罠をかけて戦後まもなくそのイタチの皮をはいで売っていたのである
イタチを買っていたがなれることなかったと母が言っていた
その虎ばさみとか罠に使うものが納屋に置いてあった。
なぜそんなことをしていたのかというと戦後日本はアメリカに負けて仕事がなくなっていた。それで何でも仕事にしようとしていた。戦地からの引揚者はわずかな農地を耕してなんとか食べるだけでも飢えないように食料を確保しようとしていた。
その後小さな店を始めて繁盛したので豊かになった。
だから吉田一穂の父親も漁師でありまた狩猟もしていた。狩猟となるとわからなくなったが狩猟を生業としていた時代があり継続された。そもそも縄文時代は狩猟社会でありその後も狩猟は継続されていたのである。北海道となるとアイヌは狩猟民族であり狩猟が継続されていたのである。
人間はどういう土地に生まれてどういう家に家族に生まれる育つかがかなり影響する。また時代の影響も大きい。

ただこの函館すら消滅都市に入っていることに驚いた。やはり大都会でありなぜそうなるのか解せない、何か仕事がないのかかつての繁栄は消失した。それは全国的にそうでありでも函館までがそうなのかかとなる。もちろん私の近くの仙台市でも人口が減るからこれは日本全体の問題なのである。








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