平泉四季の短歌連作
【みちのくの浄土を祈願して作られた仏都―平泉】
【春】
美しき無量光院夢なれや梵字が池や春草生えぬ
高館の義経堂や風荒れて夕べしきりに桜ゆれさく
高館の桜満開風唸り夕陽のさして平泉暮る
平泉都大路の道ありと春の日さして我が歩むかな
平泉都の跡や春の虹その切れ端の残るを見ゆも
みちのくに浄土を願い
春の陽の池にかがよい
朱塗りの無量光院
その影の池に映し
春草生えて蝶も飛び
戦火はなしに人集い
和楽の時のここにあるべし
【夏】
風涼し大泉が池や京遠くみやびありしも苔むす岸辺
大池に風の渡りて涼しかな堂塔消えて夢の跡かな
達国の岩屋を過ぎて厳美渓岩に流れの打ち響き涼し
【秋】
松古りて金色堂に秋の蝉鳴く声響き旅人去りぬ
堂塔の業火に消えぬその後に残る礎石や秋の日暮れぬ
義経を守ると動かじ弁慶松金色堂の秋の暮かな
赤々と紅葉映して大池や栄し跡に堂塔なしも
【冬】
巨いなる人は去りにきその後に弁慶松や冬に入るかな
大泉が池苔むす岸辺雪のふり堂塔の礎石踏みて帰りぬ
今はなし七堂伽藍浄土成す大池も氷り雪踏み帰る
みちのくの王は眠りぬ金色堂一時栄ゆ夢の跡かな
平泉が三代の栄華で終わったのは短い、三代と言えば今なら曽祖父とか曾孫でも普通に存在している。だから三代で終わったということは本当に夢のようにその栄華も終わった。
そもそもそう三代の栄華を築いたのはその財力はどこからきたといえばみちのくに取れた黄金であった。もともと古代から陸奥では黄金が取れていた。奈良の大仏はもともと黄金でトキンされて輝いていたのである。その黄金は陸奥の宮城県の涌谷で取れたものであった。
そもそも人は陸奥にしても原野のようなところに人は入ってこない。陸奥の場合やはり黄金が取れるということで注目され中央から人々は入ってきたのである
人間は黄金に魅了されてきた。例えばエジプトの王の未来でも黄金のに塗られていた。その黄金は今ののスーダンのヌビアからは運ばれたものだった。
ヌビア (Nubia) は、エジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方の名称。古代エジプト語のヌブ(金)から古代ギリシア・ローマ人がそう呼んだのが始まり。アラビア語ではヌーバ
このように世界の歴史でも黄金人間は魅せられてきた。インカ帝国であれその王は黄金に埋もれて死んだとかされる黄金の国った。それもスパインなどの侵略者によって奪われた。
その黄金でもってスパインがポルトガルが栄えた。そしてその奪った黄金で教会を飾ったというのもなんなのだろうとなる。
そんなことしてキリストが喜ぶのだろうかともなる。国家が盗賊の集団となり奪ったものだからである
ともかく何もない原野などにお人は入って来ない、最近アマゾンで黄金がとれたとか人が入って来てそこでジャングルに住む原住民と争いになり死者もでたというニュースがあった
ブラジルのアマゾン川流域には多くの少数民族が住んでいますが、近年金鉱の違法採掘が後を絶たず、アマゾン川流域の熱帯雨林が次々と伐採され、現地住民が違法採掘者グループから銃撃される事件も起こっている
エル・ドラード――日本語では「黄金郷」と訳される。文字通り、黄金の都だ。もともとは「金箔をかぶせた」あるいは「黄金の人」を意味するスペイン語で、かつてアンデス地方に存在した黄金の儀式からきた言葉だという。
そもそもヨーロッパ人は、古くから黄金に対する強い憧れを抱いていた。そんな彼らの黄金への強い憧れを示すのが、マルコ・ポーロによって記された『東方見聞録』に登場する、あの黄金の国ジパングだ。
幻の黄金郷 エル・ドラードの謎
黄金に関しては世界共通のものがあ人間は黄金に魅せられるのである。また世界共通のものとして人間に塩が欠かせないから塩を得ることが大事なものとなる
まず奈良とか中央の人たちが陸奥に目をつけたのは黄金が取れるということだったのである。それで奈良の大仏はもともと黄金に塗られて輝いていた。その黄金は陸奥に発見されてその黄金で大仏をと鍍金したのである。
天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に黄金花咲く 大伴家持
そこは宮城県の涌谷なのである。
それから黄金は必ずしも実用的なものとならないがそれより鉄は実用的なものであり農具にもなり武器にもなるからヤマト王権にとっては日本を統一するに不可欠なものだったのである
そのために鉄は常に求められてその鉄を作る技術を持った渡来人とともに陸奥へ入ってきたのである。そしてもう一つの万葉集の歌の真野郷は鉄が生産された場所だったのである。
だから真野の草原の歌は鉄が取れる場所として中央の人に知られていたのである。現実に北上川をさかのぼり登米までその後を明確に示しているからである。
みちのくの真野の草原(かやはら)遠 けども面影にして見ゆと いふものを. 笠女郎
この歌は草原(かやはら)地名であり一つの境界も示していた。なぜなら南相馬市鹿島区の海老村に車輪梅は奄美大島が自生地でありここは南限の地だったからである。
つまりこれも実用的なものとして鉄をとれる場所として中央の人に認識されたのである。
誰もただ萱原が広がる原野に憧れたりしない。この歌の誤解は大伴家持をしたいみちのくの真野遠いけれども私をあなたを忘れないという意味だったのである。
ともかく大和王権にしても鉄なしでは日本を統一できなかった。鉄は農具にもなり強力な武器になったからである。だから鉄を求めて陸奥を北上し黄金を求めて世界でも未開の地でも入って行ったのである。黄金と鉄と塩から世界史をみれば共通したものがある。
ここでは弁慶が義経を英雄として作り上げた人物だとしている。
そもそも上野氏自体が弁慶となり語っているともなる
彼の特徴は言葉でも強い体から発せられる感覚なのである。
お前は弱い俺は強いとなる。だから強かった荒法師だった弁慶になる。それで弁慶松がありそれがその人を象徴している
でも今は一関に住んでいない。でもみちのくに長く住んでいたからみちのくに通じているのである。
まずその土地のことは一年でも住んでみないとわからない。外国でも住んでみないとわからない。それで外国に住んだ人と住まない人の差が大きいのである。
ともかくみちのくに住んだということで大きな足跡を残したのである。
中尊寺を歩く―写真と絵