2024年02月07日

雪の俳句連作ー北海道から東北の鉄道の旅 【一茶の青森の俳句の鑑賞】

雪の俳句連作ー北海道から東北の鉄道の旅

【一茶の青森の俳句の鑑賞】

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温川【ぬるかわ】山荘

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飯山線の駅

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羽前前波の駅【奥羽西線】

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喜多方の蔵の喫茶店



【知床】
雪埋もる知床に鳴く鹿の声
クマゲラの叩く音ひびき流氷の海

【小樽】
倉庫にそ太き氷柱や小樽かな
小樽へと車窓に寄り冬の浪
凍てる雪踏みて小樽や倉庫かな

【尾岱沼】

暁に白鳥はばたく凍る沼
白鳥の目覚めて鳴くや凍る沼
白鳥の朝鳴きあうや凍てる沼

尾岱沼(おだいとう)の白鳥

【函館】

函館や行に市電や暮らしかな
乗り合す市電や暮らし積る雪
函館の市電の駅や雪の夜
函館にロシア人の墓冬深む
札幌に煉瓦の官舎や凍てる雪

【青森】

(津軽焼)
土の色黒の素朴や雪深し
黒石の雁木通りや冬の暮
トンネルぬけ小国や遠し雪埋もる
城門古り雪深く踏み弘前城
貨物船野辺地の沖や冬の海
うず高く雪の積もりぬ野辺地駅
冬の海常夜塔古り野辺地かな

【山形県】

トンネルを抜けて残雪の山仰ぐ
山寺や御堂の高く吹雪く雪
家数軒雪に埋もるや羽後前波
最上川蛇行し流れ雪景色

中町こみせ通りの特徴は、日差しや吹雪から人を守るアーケードがあることです。昔の商店通りだったこの道は買い物に来た人の為に自分たちの敷地内にアーケードを作った人情溢れる通りなのです。

冬なれや立待岬に波ひびき啄木の墓雪埋もれあり
冬の海野辺地の沖に貨物船一艘見ゆや栄し時あり
雪埋もる羽前前波駅止まる家何軒や誰か住みなむ
なかなかに雪は溶けじも飯山線駅の遠しも我が見て過ぎぬ
区界に雪の厚くもなお残る止まる一時心に残る
只見駅雪埋もれ泊る一夜かなここに暮らしや会津の奥なり
只見より一両の電車来てあわれ小出に泊まる一夜かな

雪深し(俳句十句) 
(会津と東北などの雪に関するエッセイ)

北海道は冬にも行った。印象的だったの知床が雪に埋もれてそこに蝦夷鹿がいたことである。あんなところにいたことが意外だった。そこで餌をどうするのかとなる。熊は冬眠するが鹿はしないからである。斜里町に泊まったはそこでクマゲラが木を叩く音が響ていた。これも北海道らしい、それから函館にも行った
市電が走っていて街に溶け込んである。市電は風情ある。函館は何度行っている、何かその土地のことは本当は北海道なら春から夏そして冬を経験するとその土地のことを実感するのである。

夕陽に染まる斜里岳

日本という風土は太平洋側と日本海側はまるで反対の風土である。日本海側は相当に雪が積もる。その雪国の感覚が太平洋側に住んでいると理解できないのである。雪に埋もれて長く暮らす生活というものがどういうものか実感できないのである。そもそも福島県でも浜通りは雪が降らない。ただ必ず東京で雪が降るとここも雪が降るのである。でもせいぜい2 3回くらい降ってあとは降らない。だから冬の間雪に埋もれて暮らす生活というものはどういうものかわからないのである。

青森から黒石しに行きそこに雁木のとうりがあり昔の店があった。そこからさらに温川【ぬるかわ】山荘というところに行ったがそこも一軒家の温泉宿であり黒石市からは遠く離れていた。トンネルを抜けるとさ小国という地名がありやはりそんなところまで人は住んでいて自給自足していたのかとなる。昔は車もないのだから人の行き来も雪に埋もれたら余計にできない。つまり何か外から物資でも入ってこないのである。

すると自給自足するほかないのである。雪の中でも雪菜がとれる。それがうまいとなる。それにしても雪に埋もれて生活するということがどういうことなのか理解できない。だから日本というのは太平洋側と日本海側では相当に違った感覚になる。ただ日本海側は太平洋側より海は冬でなければ穏やかだから北前船が行き来した。それで青森県の野辺地では北前線が来て栄えていたのである。でも今になればその船も来ないのだから何か寂れた感じになる。常夜燈は港に残っていて沖にに貨物船が一艘電車から見えたのである。



【一茶の青森の俳句の鑑賞】

今日からは日本の雁ぞ楽に寝よ
日本の外が浜まで落穂哉
心から 信濃の雪に 降られけり
外は雪内は煤ふる栖かな 
これがまあこれがまあついの栖(すみか)か雪五尺

また一茶が外が浜まで行ったのか?

今日からは日本の雁ぞ楽に寝よ
日本の外が浜まで落穂哉

この句は面白い。日本の雁と言う時私は外国に行って飛行機で帰ってくる時何かホッとしたからである。ただ江戸時代にそこまでイメージしたのかというとそれが不思議である。ただ外ヶ浜からの項になると津軽海峡がありアイヌの国になる。そこは外国にもなっていた。そしてまた外が浜まで落ち穂かなというのも何をそれに注目したというのも一茶らしいかもしれない。

落ち穂というときミレーの絵に落穂ひろいの絵がある。落穂でも貴重なものとして見ていたのである。それはやはり外国でも日本でも食料は貴重であり無駄にできないものでそういう見方になった。だからその時代を反映したものが必ずあり芸術でも鑑賞するのにその時代にイメージしないと鑑賞できないのである。

こんな国の果てに来て落穂がありここでも米を作っているのだと一茶は思ったのである。一生貧乏だった一茶だからこそその落穂に注目したのである。今なら米は余っているとかいくらでも取れるとか減反政策があったとか日本中からいろいろな米が買えるとかそういう時代とは相当に違っていたからこそこの句が出来たのだと思う。

それから面白いのは

外は雪内は煤ふる栖かな 

これも何か一茶らしいものだった。外は真っ白な雪に覆われ何か清められた感じになる。でもその中の暮らしは囲炉裏とかあり薪を燃やしてゆくからから煙で煤けるのであ。そこに一茶の場合は常に生活の実感がにじみ出てくるのである

心から 信濃の雪に 降られけり

こういうく句は雪国に住んでみなければ作れない。そして雪にも地域によって違っているのである。会津の雪でも弘前で降った雪も違っている。雪質も違っている。弘前の雪は明るい感じがしたの不思議である。朝の雪だからそう感じたのかもしれない、確かに地域によって雪の感じは違っている。

我が老いて旅路をたどり冬ごもり

今はこうして回想の旅をしている。冬にふさわしいのである。部屋の中でストーブにあたたまり旅路を回想する。
それで前に書いたものが貴重になる。写真も貴重になる。なぜなら人間は忘れるからである。自分の書いたものでも忘れるのである。
いずれにしろこうして前に書いたものまた編集して延々と描き続けている。これは終ることのない作業である。









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