冬の日に南相馬市の原町区をまわ(桜井古墳、十一面観音、新田川)
【冬の雲、冬椿、銀杏、枯野、落葉、枯芒、白鳥・・・】
ここはまだ津波の被害の跡が残っている
【泉の十一面観音】
裏が石でできているのはめずらしい
野は枯れてノスリ一羽や朝の空
三本の樅ノ木変わらず冬に入る
冬の雲樅ノ木三本動かざり
山鳩の公園に見かけ冬椿
冬椿垣根に木の列大古墳
落葉踏み根付ける木々の太しかな
新田川瀬音ひびきて冬の山
野は枯れて十一面観音閉ざされぬ
みちのくの野は枯れ沖に船一艘
津波後消えにし家やその後に残れる石や冬の日暮れぬ
新田川岸辺に芒白鳥の五六羽身を寄せはや日の暮れむ
冬の日のさして古き碑何語る木の葉一枚ここに散るかな
今日は原町の方を回った。道の駅にから三本のモミの木が見える。そこには前は仮設住宅が立っていた。今はもうなくなった。何か老人になると遠くに行くのは億劫になる。それですでに十四五年旅をしていないのである。旅ばかりしていたのに今になるとそんなにしたくないとなる。何かその三本のモミの木のようにその土地に根付いて動きたくないともなる。
そのもみの木は三本でも信頼し合っている。そこに安心がある。でもそういう人も居ない。ただ何かその三本のモミの木を見てたら心も落ち着いたのである。やはり人間はいずれはどこかに定着して落ち着く。そういう場が必要なのである。。ただ信頼し合う人というのはなかなか得られないのである。
新田川は浅瀬の川である。深いところがない。でも相馬市の宇多川よりはましである。あの川には何か魅力が感じられない。ただ上流に行くと川の様子が全然違ってくる。荒々しいものとなってくる。大きな石がごろごろして険しいという感じになる。だから川にもそれぞれ必ず表情がある。川はやはり上流まで昇って見ないとその川の表情がわからないともなる。
新田川の岸辺の公園の銀杏木は陽に輝いていた。そして落葉を踏んでその根が太く根付いてるの感じる。山鳩が枯木の枝に止まっているのを見えた。そこに椿が咲いていた。今の時期は冬椿であり寒椿にはなっていない。それから桜井古墳にも垣根に冬椿が咲きこ木々が列をなしている根付いている。何か写真を撮る時見方を変えると違ったものに見える。
山鳩が来たのは幸運だった。鳥はすぐ飛び去っていくからなかなか写真に撮れない。今回も山鳩はボケてはっきり映っていなかったのは残念。写真でもカメラの機械の問題もあるがシャッターチャンスを逃さないことが大事なのである。鳥の場合はすぐ飛び去ってしまうのでなかなかいい写真が撮れないのである。
泉の十一面観音のお堂はいつも閉ざされている。 十一面観音見れるのはいつなのかとなる。開帳するのはいつなのか秘仏となっているのかもしれない。また周りの碑を見たら象頭山とあり珍しいと思った。それは実際に四国にある讃岐にある金比羅山の別名でもある。ということは金毘羅参りがはりその記念だったのかどうだ。金比羅の碑は結構この辺でもある。金毘羅参りは明治までブームになっていたということである。
(金刀比羅(ことひら)宮を目とし、南側の愛宕山を鼻として象の頭に見立てられるところから) 香川県西部、琴平町にある琴平山の別称。
[二] 江戸時代、金刀比羅宮が、神仏習合のため、金毘羅大権現松尾寺と称したころの山号。