2023年10月25日

今回のイスラエル問題は聖書の理解が不可欠 【神は活ける神であり人間にかかわり続けている】


今回のイスラエル問題は聖書の理解が不可欠

【神は活ける神であり人間にかかわり続けている】


●同じアブラハムの子でもアラブ人の祖のイシュマエルは祝福されなかった

聖書が何なのかということを知らないと今回のイスラエルとパレスチナの争いも理解できない。その歴史はアダムから始まりその後にアブラハムが信仰の祖となったのである

すでに75歳だったサラは自分には子は授からないと思って、若い女奴隷ハガルを連れてきて、夫に床入りを勧め、高齢のアブラハムが奇跡的に身ごもらせた。しかし妊娠するとハガルはサラと不和になり、夫アブラハムは慣習に従い女主人に従うように命じたため、サラの辛い仕打ちに耐え切れなくなったハガルは身重の体で逃亡。神の使いの説得と加護を約束されて、ようやくハガルは帰還して出産することになるが、神の使いからは、息子はイシュマエル(「主は聞きいれる」の意)と名づけるように指示され(創世記. 16:11)、「彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」との預言を受けていた(創世記. 16:12)。

こんな大昔のことが今と何の関係があるのかとなる。でも現実に関係している。アラブ人とは何かとなればアブラハムの息子であっても不如意なものとして生まれた子である。だから祝福されて生まれたとは言えない。ということはそれが現在までも通じているともなる。でも中東ではアラブ人が増えて繁栄したのである。

彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす

こういう傾向がアラブ人にあるかもしれない。好戦的であり常に争う人たちである。何かアラブ人には依然としてその始まりからして不如意なものとして生まれたものの宿命を背負ってそうなったのかもしれない。それにしてもそんなに長い間民族の歴史として宿命としてカルマを背負っていたのかとなる。つまりアラブ人はアブラハムの子であっても不如意なものとして生まれたのであり必ずしも神から祝福されたものではなかったのである。

つまり聖書は人間と神が直接関わる物語である。神は人間を作ったとしてもあとは何のかかわりもないということではない。神は人間にかかわりその行跡を記したのが聖書だと思う
だから常にあり得ないことは奇跡が起きているのである。アブラハムの正妻のサラが90歳でイサクを生んだということもそうである。そんなことがあり得るのかとなるからである。だから聖書とは神が関わって奇跡を起こした物語だとなる。その後もやはりこならず神が関わり奇跡を起こす物語は続いたので。
そういう物語は他ではない。そこで一番大事なことはアラブ人の祖となったイシュマイルは祝福されて生まれた子でわはなかった。だから神にも祝福されていないからその子孫もまた祝福され民族とはならなかった。

●神は活きる神であり人間にかかわりつづける

そうは言ってもではなぜ正当な神から祝福されたイスラエルのユダヤ民族はそのローマ帝国に滅ぼされて離散して常に迫害されてきたのだろうかとなる。それは神の子のキリストを十字架につけた呪いであったのかとなる。今でもユダヤ人はかたくなにキリスト神の子として認めていないのである。ただキリストもユダヤ人であり旧約につながるものとして存在しているのである。
ただ確かなことは神は人間を作ったがそのまま何の関係もないとして関わらないという存在ではない。神は人間にかかわり続けてきたのである。
それがどういう風に関わってきたかそれはいろいろありその関わり方も違っている。それを記したのは聖書である。

確かなことは神と人間は没交渉であり互いに関係ないということではない。神は人間に直接関与して働く。神は死んだ神ではなく現在でも生きている神なのである。だから生きている神が現在でも人間に関わってくるのである。だからこそ神というのは存在し続けこの世の終わりまで存在しつづけそして一番大事なことは神から祝福されることである。確かに人間でも智慧が働きいろいろなものを発明して文明を作る。でもそこに限界がありこの世に理想の国は作れない。何かしら問題が起きて原発事故のように破綻するのである。

それより大事なことは神に祝福されこの世から離脱して神が備える天の都に救出されることなのである。なぜこうして争いがやまず戦争も止むことなくあるのか。それも人間の力では止めることもできない。国連でもいろいろ議論しても止めることもできないのである。そこに人間の限界がある。そもそも議論してもまとまらないのである。
聖書のテーマはこの世からの救出であり脱出であノアの箱舟がそうであり出エジプトもそうでありソドムゴムラからの脱出がもまたそうである。
この世はこうして業火となりハルマゲドンとなり滅びるとなる。でも神はその後救出して天の国にに導くのである
ともかく神は人間にかかわり続けている。もし関わらなくなったら人間は終わりだと思う。人間はいろいろな問題を解決しようとしても解決できない。人間の力には限界があるからである。ではなぜ悲惨な戦争は終わることなくならないのか。それも人間のカルマが消滅しないからかもしれない。

●人類はもともと兄弟でありそれがなぜ争うようになったのか

アブラハムの子であってもアラブ人の祖となった不如意の子として生まれたイシュマエルのことがカルマとなりそれが今日まで続いているのはなぜなのか。その元をたどっていけば兄弟なのである。でもアベルとカインの物語のように兄弟が殺人の始まりだから人間は兄弟でも殺し合うということでそれが人間のカルマとして継続しているのかとな。確かなことは神から人が祝福されない時それはこの世の終わりかもしれない。神が関わらない世界はいくら人間が努力しても理想の世界など社会など作れないしバベルの塔のように崩壊するだけだともなる。

なぜ今回の問題がほかの問題と違って聖書と深くかかわっている。だから聖書のことをわからないとなかなか理解しにくい。アラブ人とユダヤ人は共に一神教でありどうして争うのかというのも分かりにくい。もともとはアブラハムを祖として兄弟の民族だったからである。そもそも元をたどれば人類は兄弟でありそれがなぜ争うようになったのかとなる。その争いの元の大きな問題が土地を巡る争いだったということである。だからこそ土地に執着しない遊牧民に神は現れたのである。この世は一時的に滞在する場であり異邦人であり本当の生きる場所は神の備えた新しい天と地にある。だからこの世はいくら人間が努力しても最終的に破綻してしまう。でも神は人間にかかわり救出するということである




posted by 天華 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/190625209
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック