2023年10月19日

国家は国土は土地をめぐって争いが終わらない 【アダムの意味は土ーー地から離れて天の国に行く】

家は国土は土地をめぐって争いが終わらない

【アダムの意味は土ーー地から離れて天の国に行く】

●姓から見た世界ー大陸国家と日本の姓の相違

エロヒムによって創られた最初の人間である。ヘブライ語「אדם(アダム)」の名の由来は「אדמה(土)」だが、右から読むヘブライ語としての末尾には語根の「דם(血)[1][2]」が位置する。
Adamという語は、ヘブライ語で「地面」を意味するadamah(アダーマー)という語の男性形である。この言葉は同時に「人間」(アーダーム)という意味も持つ

第2章7節ではこの言葉の起源が、「神は地面の土を使って人間を作った」と説明されている

アダムの意味が土だということは土から作られたということはそこに意味深長なものがある。前に人間の争いが土地をめぐって起きて戦争になったということを考察した。

右から読むヘブライ語としての末尾には語根の「דם(血)[1][2]」が位置する。

日本語でも地【ちー血】になっている。

そして国とは必ず領土があり土地があって国がある。国土のない国はない。そして国家とは領土がなければ国家にはならない。
土地から離れて国家は成立しない。でも民族というのは国家がなくても国土がなくてもありうる。その代表となるものはユダヤ人である。他にもクルド人など国土はない国家がないでも一民族として存在している。
それで人間の姓をみるとき大陸国家では父系である。

イングランドでは、父系の名前の後に「息子」を意味するson(ソン)をつけて苗字として用いられています。
たとえば、Peterson(ピーターソン)は「ピーターの息子」という意味になります。

英語の苗字(姓、ファミリーネーム)の意味や由来をタイプ別に解説

大陸で共通しているのは父系でありその名前でも父親のが誰であるか大事になる。親というとき誰が父親のでありその子供はその父親の息子として認識される。
でも日本はかなり大陸国家とは姓でも苗字でも違っている。
日本の姓は必ず村の地名か地名が姓になっている。だから必ずその元をたどると村の地名に行きあたるのである。大陸国家は村が姓になることはない。むしろ姓が村の名になったりまたは国家にすらなる。 李朝鮮という時そうである。李一族の国が朝鮮だともなる。そういうことは日本ではありえない。でも大陸国家では姓を共有することはその土地を共有することより大事であった。日本ではむしろ土地を共有することで村がありその村の地名が生となったのである。

だから遊牧民だとどこどこの土地に住んでいるとかでその人を判断するのではない。誰が父親でまたその父親の父系たどり判別する。それは遊牧民は土地を持たないで移動するからそうなる。だから遊牧民のことを知らないと大陸の歴史を理解できないとなる
日本が大陸を理解するのが難しいのは日本自体が世界から見ると特殊になっているからである。姓からして世界から見れば特殊なのである。日本の特徴は中国であれ中東であれ大陸国家から切り離されて島国になっていたことである。

●日本人は砂漠と遊牧民のことが理解できない

大陸には砂漠があり中東はイスラエルまで砂漠のである。その砂漠から一神教が生まれた。それはユダヤ教であれイスラム教であれキリスト教でも同じなのである。イスラエルは砂漠であり遊牧民は羊を飼う遊牧民の国家なのである。ただユダヤ人が入植して灌漑して豊かにしたのである。

ではなぜ遊牧民にエホバの神が現れたのか?。砂漠に現れたのか。
その砂漠というのがどういう場所なのか日本人にはそもそも砂漠がないので理解できないのである。砂漠にはさまざまな生物でも植物でもいないしモーゼは登ったシナイ山など岩石の山であり一本の木もなかった。それだけ厳しい荒涼とした場所だったのである。そういう場所に神が現れたと言うことである。
それはやはり偶像崇拝を禁止する宗教でありそれはイスラム教徒も共通している。一神教でありあらゆるものが神となった世界とは違ったものなので。

つまりこうして日本人のユダヤ教であれイスラム教であれキリスト教でも理解しにくいのは砂漠という風土を理解できないからである。そこにはまさに砂漠と岩石くらいしかなく非常に厳格な場所なのである。だから十戒とかでもモーゼが登ったシナイ山で神から授かった。そこは厳しい場所でありその戒律も厳格なものとなったのである

そしてなぜ砂漠に一神教の神が現れ遊牧民に現れたのか。そこに宗教を解くヒントがある。それは最初の人間アダムは土から生まれたということである。そのことで人間の争いが戦争は土地を巡るものだということを書いたがまさに人間は地の者であり天のものではない。
アダムとはまさに地のものであり天のものではない。人間がアダムが知恵の実を食べて神から離れたというときまさに地のものとなったのである。そしてなぜ人間が争うのか。その原因もまだ地のものであるから土地をめぐって戦争がやまないのである。

だからこそイスラエルがアブラハムに与えられたとしてもその地は争いの地となった。ユダヤ人が2000年をへてイスラエルを再び建国した。その時そこに住んでいたパレスチナ人とアラブ人と熾烈な争いとなってしまったのである。カナンの地をアブラハムに神が与えたとしてもそれはあくまでも天の国の神の国の象徴として与えたものであり本当の神の国は地から離れたものにしかないのである。つまり人間は土地をめぐって争いがやむことなくある。人間は地のものであり天のものにならないかぎり争いはやむことがない、それをイスラエルの争乱は示している。

●イスラエルでなぜまた争乱が起きているのか

アダムが土を意味しているようにその土から離れない限り争いはありそのために人類は滅亡する。そのカルマは消滅しないのである。だからこそ2000年も経てイスラエルを建国したということがそれが世界の災いともなる。大争乱となり第三次世界大戦にもなる。それはまさにアダムの土から生まれたの宿命だったともなる。この地から離脱しない限り永遠の平和はありえないともなる。

ユダヤ人はローマ帝国に滅ぼされてから離散して迫害され続けてきた。またキリストを殺したということでキリスト教はヨーロッパに普及したとき迫害されたのである。十字軍の時も相当に迫害されたのである。だからイスラエルで十字軍が攻めて来た時アラブ人と共に戦ったのである。それで国を持たないから国家を持たないから迫害されるとしてイスラエルに2000年後にその土地を得たのである。
でもそれが世界騒乱を生みみ出したというのは何なのかとなる。それはやはりアダムは土から生まれたように土地をめぐって人間は争う。そこから脱することができないからこの世に平和がないともなる。

そして逆にユダヤ人が迫害されてゲットーとかに隔離されたように今度はレスチナ人迫害してガザというゲットーに押し込めたというのも何なのかとなる。いじめられたものはまた他者をいじめる。迫害されたものはまた迫害する。そういうカルマが人間にはある。カルマの繰り返しが終わることなく続くともなる。そして最終的に人類は滅亡するのである。


●情報社会で実況中継されるから人道に反することしにくい

マクルハーンが予言していたように情報社会になった時

グローバル化して世界が一つの村のようになる。

だからいくらイスラエルが遠いとしても爆撃でガザで500人死んだということが衝撃になる。それも今は通信が発達してリアルタイムで映像でなまなましく放送されるから余計に遠いから関係ないとはならないのである。それだけ世界の事件が隣で起きたように感じる。それでマクルーハンは世界が村になると言ったのは慧眼だったのである。

つまり人道に反することをすると世界から責められるて不利になる。それでハマスのしたこともイスラエルでもガザを攻めて多くの犠牲者がでると世界の世論がアラブ人側につくとなる
それは時代がそうしている。世界にとって迷惑でありウクライナでも麦が輸入できないとか困っている。だから戦争をやめてくれとなる。それで情報社会とは世界中にリアルタイムで映像でも実況放送すらしているから世界中が注目しているから勝手にできないともなる。みんなで監視しているともなるからである。
だから人道に反することは世界を敵に回すとなる。

イスラエルの問題の複雑さーエゼキル書の予言 
【人間の業として土地争いが戦争の原因】





posted by 天華 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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