2023年09月29日

認知症にならないためにすること (目,耳,舌,触覚・・を働かせて脳を刺激する)


認知症にならないためにすること

(目,耳,舌,触覚・・を働かせて脳を刺激する)

ninnchishou22.jpg


医者でも漫才家のようであり分かりやすい、youtubeの特徴はわかりやすいことである。
専門的知識がなくてもなんとかりかいできることである

●血管に障害がでると万病の元になる

認知症になる原因として十個あげているが意外なのは遺伝的要素が十番目にしている。だから遺伝的要素は認知症にはそれほど関係していないのかとなる。ただ血管が大事であることはわかった。血管が傷んでくると高血圧にもなりそれが全体に影響する。だから脳梗塞とかになるなると認知症にもなりやすくなる。

また糖尿病も血管を痛めるからそれが認知症になりやすくもなる。また高血圧でもやはり血管がの一部がいたんでそれで血液を流す圧力を高くしなければならないので心臓に負担をかける。つまり血管というのは体全体に張り巡らされていて小さいのでは毛細血管がありそれにも影響すると目とかにも影響して白内障とか緑内障とかそういうのにも影響してくる。目が見えづらくなるのはやはり血管に血の流れがスムーズでなくなるからそうなる。
つまり血管というのはそれだけ大事なものなのである。脳にも欠陥があって毛細血管もあって違う巡っていくからである。要するに血の巡りが悪くなるということは頭の働きも悪くなる。
それで私の母親は百歳まで生きたが血管は丈夫だったのである。

●家事を94歳まで続けた母は認知症にならなかった

だから確かに認知症になったのだったがそれは95歳以上からでありその年になれば誰でも認知症になる。なぜそうして認知症に95歳までも普通でありえたのか。前から言っているように私の母は働きづめでありなんの趣味もない。花など金がかかるからいらないと言っていたのである。でも94歳までも家事をしていたのである。だから何か高等な趣味を持つとかではない。家事でもしていれば料理でもしていれば結構頭を使うのである。

料理というのは様々なものを用意しなければならない。だから料理をすることはかなり頭を使う仕事なのであるである。頭を使うというとき何か難しいことをすることではない。家事をすることはやはり頭を使うのである。だから危険なのは嫁が姑におばあちゃんは何もしなくていいですよテレビでも見てみていてくださいとか言われて何もしないことが役割がなくなることが認知症になりやすいのである。

私には二人の母親がいたがもう一人の母親は役所を退職してから何もしない家事もしなかった。それでも55歳くらいで退職したからそれから30年も生きたのである。その間に何もしない。ただテレビを見ているとか趣味でも何か自分に合ったものをでわなかった。だから認知症になった原因はやはり家事すらせず退職してからただ何もせず怠け者になりポケットしていたら認知症になってしまったのである。生理的にも太っていたしやはり血管がいたんで認知症になってから脳梗塞にもなったからである。だから血管をが痛むことは長生きできないとなる。

だから認知症になる原因が目耳触覚味覚の舌かを働かせないと頭も働かず脳がそれが認知症につながる。目とか耳でも悪くなると外部からの刺激がなくなりそれで脳も働かなくなり認知症になりやすいのである。だから外に出て光でも受けて運動して体全体でも脳でも働かせることが大事になる。そして生きがいを持つことも大事になる。何かもう生きがいもなく感動もなくただ漫然として家事すらもせず怠けているとどうしても認知症になりやすいのである。

●テレビでも自分なりに想像力を働かせて見る

だから長生きの時代はやはりライフワークを持つべきである。それは別に特別専門的なものでもなく何か興味をあれば追求していればそれでひとかどの専門家にもなりうる。ただ会社に勤めていて退職したら用無しになることが問題なのである。

例えばテレビを見るということでもただ漫然と受け身になって見ていると頭は働かない。でも最近見た推理ドラマで古い金持ちの館を持っている男性と両親と早く死別した女性がその男性と結婚して暮らすことになった。
でもそこには前の妻がいた館でありそこにやはり妻がいるという感覚になりその女性は嫌だったのである。そういうことを言う女性を知っているからなるほどと思った。
仏壇に死んだ妻の家が飾ってあってその人は依然として妻を愛している。そこにその家に親しくなった女性がその妻の死んだ妻のことが気になり嫌だったと言ってたからである。
その家は古い金持ちの家でありだからこそその家には何か代々の人がなお生きているという感覚にもなる。それで推理ドラマではその先妻は実は新しく親しくなった妻に女性に殺されていたとなる。

またその女性は妻となった女性は金持ちの家である何か会社を経営している親の都合で政略結婚のようなことを強いられた。そのことで夫婦がうまくいかないとなっていた。そしてそうした事件が起きたのはもともと無理やりに親の都合で結婚させたことだったとか反省していた。
つまり人間というのはその出発点が悪いと後々まで尾を引くのである。そういうことは老人になった時おのずと分かってくる。意に沿わないことを親に強いられて職業でも自分に合ったものを選ばなかったとかなる。それが後々まで尾を引いて老人になって後悔するのである。

●老人は何でも批評に向いてくる

このようにテレビを見ていても何か一方的に受け身になって見ているのではなくそれを自分の経験とかから重ね合わせてみる
ただ一方的にみるのではない何かそこに教訓を得るのである。だから意外とテレビのいい点は今BSで昔のドラマや推理ドラマが面白いのである。ただ漫然としてみているのではなく自分の人生と重ね合わせてそういうことだったのとか教訓を得る。
それはやはり老人になればいろいろ経験しているからその見方も深くなるのである。だからただ一方的に見るのではなくテレビでもドラマだったらそれを自分の人生と重ね合わせて深く見る。

そして批評というものが老人には向いている。テレビドラマでも何でも批評してみる。本を読んでも批評してみる。ユーチューブでも自分なりに批評してみる。そうするとただ一方的に見ているのとは違ってくるのである。明らかに批評するき頭を働かせている。批評というものは創造的なものでありその人なりに見る目がないと見れない。だから批評というのは文学っても一分野となっているので。
例えば自分自身が何か詩でも小説でも絵でも作らないないとしても批評はできる。でも批評は創造的なものでありその批評は経験豊かな老人に向いているのである

とにかく高齢化社会というのは色々な問題が生まれている。その大きな問題の一つが認知症になることなのである。その認知症になった家族を介護したから認知症の怖さを知ったからどうしたら認知症にならないで老いてゆくかそれがおーきな課題なのである。
なぜなら認知症になる人の数が本当に多いからである。だから認知症は誰にでもなる可能性がある。では認知症を予防するにはどうするのかということもある。最近日本でもその薬が出来たがそれもまだ実験的なものでありそれで治るということはない。認知症になる事を多少怒らせると言うくらいである。
でも認知症については世界で研究しているからやがてはいい薬が出来て治せるということもあるかもしれない。ただその先は長い。ともかく認知症になる原因として生理的な問題もあるが五番目までは目とか耳とかしたとか触覚とかの感覚が鈍くなりそれが脳が脳の働きが悪くなり認知症になる事に通じている。
だから五感を働かせることが問題になる。

いずれにしろここのyoutubeを漫才をしているのかとまで思う。医者なのにこんなに饒舌なのかというのも驚く。こういう人は俳優にもなれるだろう。ただ難しい医学のことでも漫才のようにして説明しているから人気になるのもわかる。
ユーチューブとかなると人気になる人はやはりこういう人である
説明が分かりやすく面白いからである。そういう人は数学の先生にもyoutubeで説明していたからである。
だから今やユーチューブは知識を身につけるためには必須のものとなったのである。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/190583501
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック