2023年09月28日

正直者は馬鹿を見るは本当なのか (私が家族の介護で経験したことーただ金を要求する人しか来なかった)


正直者は馬鹿を見るは本当なのか

(私が家族の介護で経験したことーただ金を要求する人しか来なかった)

「ずる賢い人が成功して、いい人は損をする」は正しくなかった|研究結果
ライフハッカー・ジャパン編集部 の意見

人に親切にすることは、誰もが知っているとおり正しい行ないです。では、賢い行ないとも言えるでしょうか?

うまく立ち回る、手を抜く、他人を操作するなどはすべて、手っ取り早く成功するために使われる戦略です。

こうした戦略はうまくいくのでしょうか? 古い格言にあるとおり「お人好しでは勝てない」のでしょうか?

自己中心的な戦略で成功したとしても、それはあくまで短期的なものであり、長期的に見れば「お人好しが勝てない」ことなどありません。

「ずる賢い人が成功して、いい人は損をする」は正しくなかった|研究結果

●介護の時金に困る人しか来ずに金を要求するだけだった

私の親の介護のことで塗炭の苦しみを味わった。そのことを延々と書いてきた。一人は事業に失敗して借金を抱えていた。その時点でもはや何も他者に対して助けることなどできない人だった。
だから自分が苦しんでいてもそのことを全く理解できていなかった。ただ金が欲しいということで何か事業で使った機械を1000万で買ってくれとか要請した。私はそんなところではない。親の介護のことで頭が精一杯頭がいっぱいだったのである。そして自分自身が病気でもあった。ただその人が何もしないということではなかった。でも借金を抱えていることでとても自分のことなどないがしろにされたのである。

まだこの辺ではその時原発事故があり避難者は住仮設住宅などに入ってきて混乱していた。だからその避難した人たちも私たちはとにかく助けられるべきだということで私が不満を言った時お前は冷たいやつだとか批判されたのである。

そのときは原発避難者や津波の避難所も混じり外部から援助の人たちがボランティアが来ていた。でも私のように個人的なもので悩むのは苦しんでいるものは全く無視された。そしてその原発避難者でも仮設に入って何もすることがないからパチンコとかギャンブル漬けだったのである。そんなところで借金していた事業に失敗した人の家族がパチンコ屋で働いていたとこあった。それも腹立たしいことだった。だからその時私は原発避難者にも不満を持っていたのである。でもそんなこと全体的には全く無視されたのである。ただそれは特別な異常な状態だからそれを批判するということもできない状態であった。

●私が苦しんでいることに全く配慮がなかった

でもなぜ私が苦しんでいることになんだ配慮はなかった。私のところに来た人たちは何か私の事に配慮が全くなかった。だから一人はれっきとした泥棒であり私が入院した時家が空っぽになり屋探して大金を盗まれた。
とにかく散々な目に合っただけでありそれも私のカルマだったともなるからあまり批判はできない。

人に親切にすることは、誰もが知っているとおり正しい行ないです。では、賢い行ないとも言えるでしょうか?

うまく立ち回る、手を抜く、他人を操作するなどはすべて、手っ取り早く成功するために使われる戦略です。

何か事業するにしても他者への心がけが親切心などが必要なのかもしれない。しかし現実は今の社会は他者から奪うということが普通にある。それが極端になると盗めばいいとなっている。現実に私に起きたことはそのことである。それは相手も金に困っているからそんな余裕がないからそうなったともなる。
そして金を持っている人から金持ちだったら奪ってもいいとなっていた。だから私が病気にもなり苦しんでいる時奪うというチャンスが生まれたのである。

でもそもそも相手が金持ちであり自分が貧乏で困っているときは金持ちから盗めばいいということことで正当化されるのか。そういうことをしてその人は裕福になれるのだろうか?そういう考えになる人もまた多いと思う。
逆に金持ちの家だったらそこに病人がいたら助ければそのお礼も大きなものになるかもしれない。ただそういう金目当てでだけでなく金持ちでも親切にすればやはり見返りがあるかもしれない。ただ金持ちはら奪えばいいという考えてはその人は裕福になれるのだろうか?

共産主義にはそういう思想がありだから貧乏人は搾取されているのだから奪えばいいとなり時の政権でも金持ちからでも奪うとなりそれが革命として正当化される。底辺層で恵まれない人はそうなりやすいのである。でも共産主義でも平等にはならなかった。
党の幹部に富が集まりやはり一部の人が豊かになる。富は一代で築けない、時間がかかり時間の作用があって一気に人間は平等化しない、でも貧乏であっても何代か時間がたつと富の蓄積が行われ豊かになう人もいる。だから一気に平等にするということは武力でも革命することには問題がある。それで失敗したのが共産主義革命であり粛清されたとかの数がカンボジアでは2百万人とか中国でもどれだけの人間が粛清されてころされたかわからないのである。

●金をとる奪うことしか考えない人が事業で成功するのか?

だからここで親切にすることはお人よしであり馬鹿げている。そんなことしても裕福にはなれない。それも一つの見方でありそういう人が多いかもしれない。でもそれが社会で成功するものなどだろうか。何か今の社会は金だけが目的であれ金になればいいとかなっている。それだけではない他者から奪うことが金にもなり裕福になる道だと思っている。ただ本当にそれで裕福になれるものなのだろうか。

それで私のところに来た人たちは一人は泥棒でありその人は果たして裕福になれるものだろうか。また事業に失敗した人は裕福になれるものだろうか。そもそもは相手が苦しみ困っているときただ金になればいいとしかないとしたらそういう人が果たしてで成功するものだろうか。確かに技術者としては優秀でも経営者としてはどういうこと成功するものなのだろうか。その辺は事業に詳しくないからわからない。でもここで書いていること親切にすることはお人よしでありそんなことしても見返りは無いともして人と接する。でもそういう人は本当に事業でも成功するものだろうか

ともかく一人の女性は金をくれとあからさまに言い本当に金を奪ったのである。だから極端でありそいう人もいるというのが現代である。
ただ今の現実社会はそんな甘いものではないとなりただし親切にしてお人好しの人などは貧乏になるだけだとなってしまう。でも本当にそうなのだろうかという疑問をここで呈している。

銀行でも投資信託を売りつけたかそれもただ銀行でもうければいいというだけであり客のことなどは考えていない。もちろん株とかは上がったり下がったりするからそれに文句をいちいち言うことはできない。でもただ銀行でもうければいいということしか考えなかったらどうなるのか。だからこそ転売して手数料を取ることしか考えてないとなる。そんなに転売する必要もないのである。でも転売するとその時手数料が入るのは大きいのである。

いずれにしろ銀行でもまた客から金を奪えばいいという考えしかない。それで銀行も仕事として成功するものだろうか。それもまた客から金を奪いということしか考えない。そこに問題がある。それは確かに一時的には金を儲けることができる。でもそれは一時的であり信頼を失うことにもなる。ただそれを全部銀行側の責任とはおならない。なぜなら客の方にも責任があり問題があるからである。

とにかく相手に親切にすることが助けることがお人好しだとして馬鹿にされることもある。でもガツガツとして相手から奪うということしか考えてない人が長い目で見れば成功するのだろうか。そのことをここで書いていたので納得した。短期的にはそれでいいだろう。儲かることは確かである。でも長期的に見れば逆にしてみれば損したとなりただ奪われたという感覚になる。それは株ならば上がったり下がったりするからそれをとやかくは言えない。
でもそんなに転売して株が上がった時も売ったそしてまた次の投資信託を買わせる。その時手数料が入り銀行にしてみればもうかったとなる。だからそういう商売は果たして長期的に見れば成功しているのかとなる。でも株とか証券とかはなかなか分かりにくいから一概に批判はできない。

●人を助けて親切にすればどこかで報いを得る

いずれにしろ私が経験したことは全く相手のことを考慮しない。何を苦しんでいるのかも見ていない。ただいま金がなくて苦しんでいるのだから奪いばいいという人しか来なかった。それは私の積んできたカルマだったのだ。また私の家自身のカルマであり一概に他者を批判はできない。
でも最近小さい事ではあるがカメラを忘れたりしたらわざわざ車で持ってきてくれた人がいた。また自転車で倒れたとき3人くらいの女性の人がわざわざ私のところに来て助けてくれたのである。それはやはり最近ボランティア的なことをしたり人を助けたりしたからそうそういうを徳積んだから見返りとしてそういうことがあったのかもしれない。見返りというのは必ずしも助けた相手からは来ない。全く知らない人から助けられるとこあり報いがあるということがある。
だから人に親切にしたり助けることは必ず何か報いがある。でもただ人を見たら苦しんでいる人であれなんであれ金になればいいとかをば良いとかとして接してくるとなるとその人に何か報いがあるのか。それはその人に取って悪いことが起きてくる。カルマとなってゆく。それは私自身が苦しみ経験したことである。
やはり徳は得であり親切にした他者をたすけることは得することになる
そのことをここでは言っていた

これを大きく世界的に見ればアメリカは世界の富を収奪したということは。そしてアメリカでも極一部の人がその富を一人占めする。もしアメリカでもその富を世界に分配して世界の人を豊かにすればアメリカはやはり栄えて衰退することはないかもしれない。でも世界史を見ればあらゆる国が栄えた国も衰退している。それは奢れる者の久しからずであり必ずある国に富が集中してもいずれは衰退してゆくのが人間の共通の歴史だったからである

別に中国がいいとかロシアがいいとかではないアメリカもやはり歴史を見れば衰退してゆく。七つの海を支配したイギリスでも衰退した。それと同じようにやはりアメリカも衰退する。それは世界の人間の法則のようにもなっている。この世に永遠に栄える国とかはありえないのである。ただもし世界の人たちを豊かにするいろいろな援助をして助けるということがあればやはりその国は栄えて長く長く栄えるということもある。

ともかく何かただ相手から金を奪う相手が弱ったときチャンスとなり金を奪うようなことをしていてそれが個々人であり国であっても栄えるものとなるだろうか。例えば中国でも確かに福島の処理水を海に放出することには問題がある。でもそれで困る人が相当にいる。中国国内でもいる。もちろん放射線の問題がありそれを許せないということはある。でもまたその魚介類でも売って生活する人がありそれは日本だけではない中国にもいる。そして本当に危険なのかどうかも分からない。
それは政治的なものであり科学的なものでも必ずしもない。そもそも原発自体が世界全体で作るべきものではないということもあった。それが一旦事故になれば福島のようにもう取り返しのつかないものになる。それは世界に波及するし今回のように世界の魚をべ食べられなくなる。だからこそ原発は作るべきではなかったのである。

●強欲資本主義はモラルがなく崩壊

他者に親切にすると言うのではなくそういうことはお人好しだとなる。かえって自分のためにだけ利益を追求して自分の会社のためにだけ利益を追求してもうければいいという感覚になっている。それが強欲資本主義でありそれが普通の感覚になっている時社会は荒廃する。すでに荒廃しているのである。だからもう資本主義というのはモラルも何もないから弱肉強食の世界で生きているとなる。そんな社会がどうして持続できるのだろうか。それはいつか破綻する。やはり人間社会でも共生とか共同とかがなければその社会は野獣社会となり食うか食われるかの世界となり地獄となってしまう。

現実に地獄にもなっている。ただいつの時代も親鸞が言っているように地獄は一定の住処なりである。いつの時代になってもこの世は地獄である変わることがないということである。だからこそやはり親切にするとかそういう人は馬鹿であり正直者は馬鹿を見るとかということわざも生まれたのである。でもそれが本当なのかやはり何らかのただそうして人間が利益をを追求するだけになったら人間社会そのものは自壊して行くだろう。現実にビッグモーターでもジャニーズ問題でも内部のモラルの荒廃から自壊するようにもなる。やはり結果としてそれを示しているともなる。一時的には成功しても長くは維持できない破綻して衰退するとなる

いずれにしろこの世を生きるということは何か。何か経験すればそこから教訓を得る。それでことわざというのは今にも生きているのは人間というものはそもそも変わらないからである。人間から欲を取り除くことはできない。だからこそ社会が変わっても科学技術がいくら進歩してもやはり人間自体は変わらないから同じような事件でも繰り返している。つまりカルマを繰り返すのが人間でありそのカルマ号が尽きることはないのである。なぜなら人間から欲がなくらないからである。

だからこそ自分のことばかり考えて自分の欲を達成するために手段も選ばず相手はただその欲を達成するために奪う存在だとなってしまう。また成功するためにはむしろ相手に親切にするとかでは成功しないとかなる。会社の経営でも客に親切に尽くすとかではなく客からいかにして金を巻き上げるとかになってしまう。それは極端にしろそういう考えで事業を起こしている人も居るだろう。まずは何でも利益が優先される。だからそこに多少の不正があっても目をつぶるということになる。そして利益を上げた人が褒められるし収入も多くなる。それはビッグモーターであからさまに起きたことである。

そして人間はとにかく相手より優れている成功者になりたい。そのために自分は優秀なのだということを示すために事業を起こしたのである。そういう動機になっていること自体が問題だったのである。そういうことで経営ができるのか成功するのかとなるとのかその出発点からして間違っていたのである。
ただ自分自身にしてもそういうことが起きたのは自分が積んできた何かのカルマでありそんな人しか来ないということ自体が自分のまた家族のカルマだったのかとなる。だからそんなに他者を批判はできない。でも現在はあまりにも金だけを追求して人に親切にするとかそういうことが無視されているのである。だからかえってそうそういうことでは事業でも成功しないのかと見る。

●大正生まれの馬鹿正直な女性

その女性は本当に馬鹿正直な女性だった。農家の女性でありその女性はまず嘘をつくことなどあり得なかった。何か今振り返ると私の家族はその人を馬鹿にしていた。でも認知症になったときその女性は私の家族によくされたわけでもないのに気遣ってくれたのである。これまで近くで親しくした人も認知症になったときは付き合うことはなくなった。でもその人はそういうことがなかったのである。でも別に私の家族に良くされたいということでもなかった。

だからその人はまれにみる馬鹿正直な女性だった。その女性は何か悪いことはできないまだしない。他者に対して裏表もない同情心を持っていた。だから今時そういう人は絶滅危惧種となっているかもしれない。どうしても戦後には特にそうなのかアメリカの民主主義が入ってきたとしても良い面はあったとしても人間はもはや金しか求めない。金が全てとなってしまったのである。
でも日本人はもともとそうでわなかった。いろいろな人がいるにしても日本人というのはこうして馬鹿正直な人でも普通にいたのかもしれない。そのために明治に入ってきたヨーロッパ人が日本人はみんな幸福そうだったというと言っているのは人間そのものが今と違っていた。何か悪というものを知らないというか馬鹿正直ということは素朴な人が多かったのかもしれない。

つまりそうして過去の人間のことが今になるとわからなくなったのである。同じ日本人でも今の人間は全く違った人間になっているのかもしれない。それは戦後はすべてアメリカに習ったからである。アメリカに習うということはアメリカはすべて金が第一であり金で全ての価値が決められる。そのことをアメリカに留学した内村鑑三は言っていた。
何するにしてもすべて金には金で測られる。でも日本は違っていると言うことを言っていたからである。何か講演してもその見返りとして金をいくら払えばいいとか金ですべてが決められる。そのことを言っていたからアメリカにすべてを習ったことが日本人もまた全ては金でしかなく金で計られるものとしてあるだけだとなってしまった。

だから戦前でも何か馬鹿正直な人がいたのかもしれない。ただそうは言っても同じ大正生まれでも全く違った人もいるから一概には言えない。でも何か日本人は金だけですべてを図るとか金で全ての価値を決めるとかそういうことはなかったのかもしれない。だから馬鹿正直な人がそれなりにいたのかもしれない。それは本当に絶滅危惧種となり今やもうそういう人は居ないだろう。常に利益を計算している。金をもらわなければ何もしない。何かしてもらえば金を払えばいいとしかなってない。

それはアメリカ人の価値観であり日本人はもともとそういうことがすべてではなかった。他でもラオスの人は素朴であるというときそこはまだ原始的でもあり文明も入ってきていないからそうなっていたのだろう。だから人間に言えることは文明化してもそれで人間が良くなったとも言えないのである。
返ってラオスのようにまだ外国人も入ってこない原始的な生活をしていれば素朴だとなる。でも最近中国人が入ってきているから商売にたけた人も出てくるし素朴さは失われるのである。
だから文明が人間の心を歪め素朴さを失わせる。それは日本でも明治以降に起きたことである。ただ戦前はまだ馬鹿正直な人でも日本人として素朴な人もいたとなる。ただもはやそういう人は絶滅危惧種であり現実にそういう人に出会うことはなくなったともなる。




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