ポルトガルで偽札の国家的詐欺をした犯人
(偽札をばらまいたいがアンゴラの経済危機を救った)
これは再放送がある
この人の最初の詐欺はオックスフォード大学の卒業証書を偽造したことである。その卒業証書はあらゆる理系の学部を学び卒業したと書いてあった。まず最高の大学で理系だったら相当な価値がある。ここでも文系は価値がないことがわかる。
その卒業証書が見破られなかったのは公証役場で国家の認証を受けたからだった。その卒業証書を持っていたからポルトガルの植民地だったアンゴラで鉄道会社に就職できた。そこで実際に機関車の故障を直して評判になったのである。その人はすでに高校とかで専門学校で工学部に入っていて勉強していたから直すことができた。だから別に本当はオックスフォード大学の卒業証書がなくても仕事ができる人だったのである。
現実にオックスフォード大学を出た人は人もそこで働いていたがそういう現場の仕事はしてしないとなっていた。だからここでそうした卒業証書はすべてそれで判断することは間違っているということになる。ただオックスフォード大学の理系となればどうしても誰でも認める。まず今や大学などが50%以上の人が行っているのだから価値がない。計算も読み書きもまともに出来ない人まで言っている。そういう時代である。でもやたらと学歴にこだわる人もいる。
私は三流大学の経済学部を出ても何も勉強してない。だから高卒で銀行に勤めている人のほうが実務をしているから経済を知っているとなる。まず文系は社会に出て大学の勉強などほとんど役に立たない。文系とは実用とは関係ない教養にすぎないからである。それは無駄ではないにしろ独学できるものなのであるある。
その次は株を買い占めるための資金を得るために小切手の詐欺をしたことである。アメリカの銀行に金がないのにおろさせた。次に鉄道会社の株を買い占めて経営者になることなるために資金が必要であり銀行を通じて紙幣を作ることだった。そのその紙幣をばらまきアンゴラの経済を立て直すということがあった。だからこの人のやっていることはアンゴラのためでありその人自身の私利私欲というものでもなかった。実際に経済政策として紙幣を金を回して経済を活性化するということは国家レベルでもしているからである。
だからこの人のしてきたことは別に私利私欲というものでもなかった。これは別に国家レベルですることでありそれが一個人でしていたという違いである。そして別にオックスフォード大学の卒業証書がなくても実際の現場で仕事ができていたのである。だから会社側でも別にオックスフォード大学の卒業証書がなくてもその人は仕事ができる人だったのである。だから学歴にしてもそれですべてを判断することは間違っている
。
だからこの人の詐欺は何かすべて悪いものにも見えない。何かそういうことは会社でも国家レベルでも行っている。大掛かりな詐欺になってもいるかもしれない。あまりに大掛かりになるとかえってそれが見えないし信用するとなる。それで現実にグローバル経済とかではそういうことが実際に行われている。だからこそ陰謀論は常に言われるのである。
つまり国家自体とか大会社でも銀行でも詐欺していることがある。でもそれが巨大だからわからないとなる。つまりグローバル経済というのはそうした大掛かりな詐欺なのかもしれない。でもそれは罰せられることはないのである。国家レベルの詐欺ということもある。それは誰も罰することができないのである。
何かこの世はそうした騙しが詐欺が公然として行われる場でもある。それがカルト宗教団体でありそれを取り締まることもできない。税金も払うことがないビジネスなのか何かそれがあまりに大掛かりになると巨大になるとその悪夢は隠蔽されて見なくなるのである。
つまり大掛かりな詐欺はだましは簡単に見破れなくなる。原発事故でもそうだった。検察とかも天下りして官僚もかかわり国家的事業でありそのために安全神話が作られ誰もそこに立ち入ることもできない。アンタッチャブルとなりそこに危険があっても何も言うこともできなくなっていたのである。それは国家的犯罪でありでもそれを取り締まることはできない。だから国家自体が犯罪者になるということがある。でもそれを取り締まることはできなくなる。それで国民が大被害を受けることがある。
不思議なのは一人の個人がこのような大掛かりな詐欺作業したということである。でもそれは全て悪いものかというと国家に代わってアンゴラの経済を立て直すための方策として紙幣をばらまいたのでそれは結果的に効果があった。この人は確かに自分が英雄になりたいとか認められたいとかはあったがそれは私利私欲と言うものでもなかった。アンゴラの経済の立て直しのためにそうしていたのである。国家ができないことを個人で不正であったが防いであったが個人でしていたということである
ともかく国家的犯罪は犯罪にならない。戦争でも国家的犯罪であっても何百万人が死んでも犯罪にはならない。国家を罰するものはいないのである。また国家を罰することはできない。だから原発でも罰することができなかった。ただ津波が地震がその悪を暴いたのである。
だから何らか国家を罰するものは国家を超えたものでありそれは神にしかできないともなる。だからこそ最後の審判がありそれは個々人を罰するものだけでなく国家でも罰せられるのである。国家自体が犯罪を犯すものでありでも罰することはできないからである。
だからこの事件は個人の問題だけではない国家の問題として提起されたのである。国家は何もしてくれないから個人が大きな詐欺をして偽の紙幣をばら撒きアンゴラの経済を活性化させたということにもなる。でも結局は罰せられて悲惨な結果として終わったのである。
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