日本語の謎ーわかる分け合う分かち合うの意味
(日本に小国の地名が多いのはなぜか)
●日本語はなぜ孤立語なのか
日本人の起源をいろいろ言われるが一番の謎は日本語なのである。日本語はどこの言葉とも共通性がない孤立語なのである。だからそもそも日本語というのは縄文時代からのものもあり古い起源のものでありそれがどこの国とも共通性がないということは日本語こそが日本人の独自性を語るものともなる。
なぜなら言語からその人種の国の起源を明らかにすれば印欧語とかはアーリア人の言葉であり共通しているからである。英語は明らかにドイツ語を起源にしている。だから習得しやすいのである。でも日本語はアジアでも共通性がないのである。
ただ漢字とかは中国から入って来たものでありその前に日本語があった。文字がなかったとしても日本語があった。つまり文字は文明が起きたところに必ずある。文で明らかにするということでそれが文明にもなっているからである。だから文字がないところは文明なのかとなる。ただマヤとか文明には文字はなかったが文字に類するものはあった。だからそこも文明があったとなる。
いずれにしろ日本は日本の文明は歴史は海に囲まれて大陸から切り離されて独自の世界を作ったということである。でもイギリスも島国であるがドーバー海峡は比較的大陸に近い。泳いで渡ったりした人もいた。今になると海底トンネルもできている。だからヨーロッパ大陸と海で隔てられても一つのように繋がっている。そしてヨーロッパの王様でもイギリスの王女と結婚したりしている。日本の天皇は韓半島であれ中国であれそこから女性を結婚させるということがなかった。
●韓国語と共通性がない日本語
そして言葉にしても韓半島の言葉との共通性がない。確かにオモニとなると母だから韓国と共通性がある。でもそれはほんの一部であり発音でもなんでも違っているのでは。だから韓国と共通性が言葉の面でもないのである。だから一体日本語というのはどこを起源しているのかわからない。それはその言葉が古く海に閉ざされた中で独自に発展したのかとなる。でもその手がかりとして日本語の意味を解読することになる。
ちはやふる神のみ坂に幣奉り斎ふ命はオモチチがため
このオモが韓国語のオモニと共通性がある。ただ韓半島でも南と北では相当に違っている。日本に影響したのは伽耶国があった南である。
オモから主なものとか面になり重いとなり共通性がある
●分ける分かち合うわかるの語源
例えば分けるということがある。分かつとなり分かち合うとなる。わかるということは分かち合うことでありそれで互いの人が理解し合い結びあうということにもなる。恵みというのもめぐるであり恵みはめぐるのである。
例えばインドネシアの方で鯨を捕る海の民がいてその鯨を山の民に持って行ってわかちあいお互いに結びあうということがあった。それがもともと商業の始まりであり山の幸と海の幸を互いに分かち合うということで一体化したのである。
それが儀礼となり祭りともなったのである。だから商売とは先に人間が友好を示す贈り物から始まったという説がある。
今のように利益だけを求めることではなかった
言葉はそもそも孤立してありいない、人間が共同するために生まれた。英語でも前に接頭語にcoとつけば共同することだからである。
そもそも縄文時代とかは狩猟採集であり生活している範囲が狭いから互いに獲ったものでも分かち合うことでわかり合うことだった。それは稲作社会でも弥生時代になっても生活する範囲が狭いので共に働き分かちあい暮らすほかないからそこに村の共同性が生まれたのである。
このように一つの言葉をとってその意味を読み解くとやはりそこに当時の暮らしがあってその言葉が生まれている。言葉もやはりその暮らした環境とかその風土とかと切り離してはありえない。だからその取れたものでも獲物でもともに分け合いわかちあい分かり合うということが生まれたのである。
逆に世界が拡大して行くと確かに外国から地球の裏側からも物が入ってくる。それは悪いこととは言えない。でもそこに共同性が生まれるからとなると生まれない。何か分かち合うという感覚もないからである。金があってただ買うという感覚しかない。そこで協同性は生まれにくく何か関係が悪くなると争いになり戦争になるのである。
さあ獲物がとれた
鹿が猪が取れた
魚がとれた
みんなで分かち合い食べよう
平等に分かち合い食べよう
ここに平和がある
人々は分かちあい分かりあう
そこがそれぞれの国となる
●小国という地名が多いのはなぜか
なぜ日本に小国という地名が多いのか。それはやはりせまい地域で自給自足してわかちあい分け合い割合生きて生活していたかもだからだろう。
隠口の長谷小国に夜延ひせす吾が天皇よ・・・
この万葉集の歌でも隠口(こもりく)というとき入野でもそうだが山間の分け入る奥に長谷がありそこに小国がある。
とにかくなぜ日本に小国という言葉地名が多いのだろうか。それはやはり狭い地域が一つの国と待っていたからだろう。そのせまい地域で他とあまり交流がなく地球自足的生活をしていたからだろう。この辺でも霊山を越えたところに福島市の方に行くところに小国がとありそこのバス停で降りたことがあった。
バス降りて小国やあわれすみれかな
こんな風にもなる。やはり旅する時でもその地理でも地名というものからイメージするとわかりやすくなるのである。
雪閉ざすトンネルぬけて小国かな
青森県の黒石市から温川温泉(ぬるかわ)の宿に泊まった。トンネルをぬけて小国があった。それは相当に山の奥である。まさにこうして雪に閉ざされたところにも小国がある。隔絶した地域にも小国がある。
そこにどういう暮らしがあったのかやはり交通がなければ狭い地域で閉ざされて自給自足するほかなかったのである。
●グローバル経済では分かち合う分かり合う世界にならない
ただグローバル世界になるととてもそんな感覚は消失した。分かち合うというより奪いあうとなるそれは力づくでも奪い合う戦争となったのである。
なぜなら大航海時代というのがありそれで世界にヨーロッパが進出した時それは奪うということである支配するということでもある。世界中は植民地化されアフリカでは奴隷として売られたからである。
だからグローバル化というのは戦争の時代でもあった。それは基本的に他国を支配し奪うということがあったからである。確かに貿易はないものを補う会うということが基本にある。
でもその反面どうしても奪うということがあり支配するものと支配される。だから縄文時代が理想化すればそうゆう奪い合いというのが少ないから平和であったと理想化されるのである。そもそも縄文時代が1万年も続いたというのはやはり狭い世界でも争いがなかったからだともなる。その平和な時代に育まれたのが日本語かもしれない。だから日本語の意味を解読して行くとそこにその生活が反映されているから分け合うとか分かち合うとか分かり合うとかど言葉がそういう生活から生まれたということにもなる。
●印欧語にはもともと秋がなかった
ただ別に日本語だけでなく外国語でもやはり言葉の基になる生活があり例えばドイツ語に秋という言葉がないのは狩猟民族だからとしている。農耕民族だったら秋は収穫の季節であり秋がないということはありえないからである。狩猟民族だったら別にそういうのは関係ないのかもしれない。ただ主語が先にあり次に動詞があるのはやはり狩猟民族系統でありその生活が反映されてそういう文法になったともなる。
なぜなら常に主語があり動詞があるということは獲物を捕らえることが生活の基本としてあったからである。I catch a deerとなればそうである。どちらかというと言葉は狩猟民族由来のが多いことはは確かである。ただ日本は狩猟民族系統の言葉でもない。だから日本語自体がその起源が分かりにくいのである
1. Farmers usually harvest wheat in the summer.(農家は通常、夏に小麦を収穫する。)
(冬と春と夏は理解されていて、彼らはそれらの名称を持っている。秋の名称は、その実りと同様知られていない。)
ゲルマン語の四季の名称(文:下嵜正利)
harvestとはもともと収穫するであり秋という意味はなかった。なぜなら夏に小麦を収穫するとなれば秋ではないからである。ただドイツでは秋が短くすぐ冬に入るからだともしている。でもドイツに秋に行ったらやはり秋があり晩秋だった。そのとき赤いバラが散っていてなんとも言えない赤味を帯びていて心に沁みた
ドイツなれ色合い深く秋薔薇
別にドイツにも秋はありでもすぐに冬になる秋だとなる。国によって季節は違っている。最近日本でも暑くて秋がなくなったとかなるからである。
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