2023年09月03日

原発事故の失敗の原因 (急ぎすぎたことや目前の利を優先した―人間は核を操作できない)

原発事故の失敗の原因

(急ぎすぎたことや目前の利を優先した―人間は核を操作できない)

論語に、「速(すみ)やかなるを欲するなかれ。 小利を見るなかれ、速やかならんと欲すれば、則(すなわ)ち達せず。 小利を見れば、則ち大事成らず。 

●原発は作るのに急ぎすぎたー小利を求め大利を失う

何か事業を始めようとするときすぐに成功する。そしてみんなから成功者として讃えられる。でもそう簡単には何でも事業でも成功はしない。正直自分自身でもそうだった。何かしようとしてもすぐには達成できない。でもみんな自分自身もそうだったが常に目の前の小利を追求する。儲からなければそもそも事業は継続できないからである。人間は大概毎日毎日目の前の小利を追求して生きている。毎日買い物するにしても安い物をいかにして買うとか計算している。そういうことから人間は逃れられないのである

そしてそうした日々の生活の金の計算はしている。それは発達障害の人でも数の計算ができない人まで金の事は知っている。それは日々買い物して数の計算ができなくても金のことはわかっている。だから金にさとい。数の計算ができなくても利益の事は分かり計算している。

でもこのお金の計算で盲点になっていたのはスーパーのカードで買い物していた。そこに1万円をチャージしていたでもそのカードをなくした結果1万円は戻ってこなかった。だから日々それをカードを出して多少の見返りはあるのだが1万円をもらうのにはもうどれだけの時間がかかるかとても一年二年で1万円を回収することはできなくなっていたのである。つまり時々300円かもらうにしてもそれが1万になるまではどれだけの期間が必要なのかとなる。ここで問題になったのは万が一なくした時それがチャージした分が丸損になってしまうということである
つまり安全策が取られていないからそうなったのである。

●安全はコストがかかるから無視した

だから安全というのは意外と大きな問題なのである。人は安全にはあまり金を払いたくない。ただ保険金かあり保険をかける人がいる。それは安全のためにためである。何か大きな災害はあったりするとそれを補うことができなくなる。何か原発事故などはそうであった。安全に金を掛けたくなかったのである。原発というのは相当に安全を図らないと運転できないものだったのである。
だから安全に金を使わなかったのである。科学者集団が十数メートルの津波が来ると警告していたのに東電ではれも聞かなかった。防潮堤を作るようになったのは事故以後であり津波に備えることしなかった。つまりここでもコストを考えて小利を考えて求めて大利を失ったとなるかもしれない。その損失は国家予算並みだったからである。私がカードをなくしても1万の損であった。でも原発はその被害は20兆円もかかるとか国家予算の雨なので。だからいかに原発は安全対策が必要なものだったかわかる。
そこに金を惜しんだ結果その損が莫大なものになったのである。

速(すみ)やかなるを欲するなかれ。 小利を見るなかれ、速やかならんと欲すれば、則(すなわ)ち達せず。 小利を見れば、則ち大事成らず。 

原発はそもそも日本では操作する技術がまだ未熟でありでも早めに原発を作った。湯川秀樹博士は日本ではまだ原発を作るのが早い戒めていたのである。
確かに日本では原発を操作する技術がもっていなかったし技術者もまだ成熟したものとなっていなかった。
そしてアメリカからマークワンという古い原子炉買わされたのである。そこにやはりアメリカがかかわって原発事故の一因になっていた。アメリカだったらそんな古い原子炉は危険だから使わないからである。ただ外国だからそういうことができる。明治維新のときも薩長とかの薩長と幕府との戦いがありその武器がアメリカの南北戦争で使われた古い銃が大量に入って来たからである。
何か後進国はそうして先進国から古いものは在庫整理のように買わされるのである。特に日本はアメリカに負けたからどうしてもアメリカには逆らえない。

だから原発事故の一端もアメリカにもあったかもしれない。でもその責任も絶対に問われないのである。アメリカには誰もが日本は敗戦国で支配されているのだから逆らうことができないからである。
そもそも原発は日本人の日本人の技術でわ操作できないものだったのだから作るのが早すぎたのである。
でも原発は利益が大きいから国でも早く作りたかった。地元でもやはり金になるから積極的に誘致したという経緯がある。つまり人間はその目の前の利を優先して追っている。そこで安全をないがしろにして大事故となり大損となったのである。

●人間は長い先を見て事業でもできない

これは大きなことではあるが個々人でもいろいろそういうことがある。人間は先を長く見れない。目の前の小利に目を奪われて安全をないがしろにして大事もならなかったのである。ただ民間になるとどうしても長い先を見て事業もできない。でも原発は国家が優先して作ったものでありだからそんなに急いだりする必要もなかった。そして安全を図るより安全神話作り安全だということをにして肝心の津波対策しないし安全を図ることをしなかったのである。

それは国家とか強大な権力がそうさせたとも言える。安全神話を作ったのはそうした政府とか官僚とかマスコミとか司法関係でも警察でもかかわり鉄壁の権力で安全神話を作ったのである。それが地震と津波で砕かれてしまったので。つまりそこに奢りがあり急ぎすぎたこともありただ目の前の利に心を奪われたということもありそれで取り返しのつかない事故になってしまったのである。
ともかくこの格言は人間に関してあらゆるところで適応される。
人間は目の前の事に奪われ目の前の利益に追われ長い先のことが見れない。そんなことをしていれば収入がなければ会社も経営できないとなる。
ただやはり国家となると国家百年の計とかはどうしても必要になる。原発はそういうものだったのである。危険なのだから急いで作るものでもないし目の前の利を求めて作るものでもなかった。

ただそういうことは人間には必ず団体でも個々人でももある。人間は常に利に追われそんな先のことを見ることができない。だから備えることもできない。安全を図ることは大事でもそれがすぐ利益にはならない。ただ三陸では何度も津波の被害があったから強固な高い防潮堤を作って被害を免れた町があった。やはりそれだけ津波の被害を経験していたからそうなったのである。
その費用は無駄なようで無駄でわなかったのである。

だからこそ安全を図るのは国家の仕事であり国家百年の計でもって土木工事でもしなければならない。日本は自然災害が多い所だからそれをするのは国家の役割なのである。中国でも常に大きな水害があり治水が国家百年の計となっている。水を治める者は国を治めるとなっていたのである。

●安全を図る国家の責任―国家百年の計

今回の中国の大水害の被害もそうだったからである。ただ中国のように巨大な国家になると先をを長く見る。それがやはり中国という巨大な国家のだからこそ長く見れるともなる。第一万里の長城などを造る計画をすること自体それを作ること自体途方もない時間をかけている。
そういう長い時間で見れるのは中国でもあったとなる。日本はやはり小さな国だから何かそうした長い先を見て計画して作るということがなかなかしにくい国でもある。
いずれにしろしろ原発は一民間会社が運営できるようなものではなかった。それは国家的事業であり国家百年の計のようなものがなければできないものだったのである。でも急ぎすぎたとか安全を図らずに安全神話を作ったりして国民を騙したのである。

その結果として20兆円もの国家予算並みのものを事故の後始末に使わざるを得なくなったのである。それは海も汚染されて処理水でも海に流すから中国からも韓国からも批判される。それほどの事故の影響が巨大だったし時間的にも長期間その後始末にかかる。だからこそ原発はどれだけ安全を図ることが必要だったか今になるとわかる。でもその安全を図ることにコストがかかるとか怠りそれが大事故となってしまってのである。

ただ人間は何か何でも余裕を持って行いない。絶えず何かに急かされる利に追われる。それも老人になればわかるが時間がたちまち飛んで消えてしまうからである。何か事業でも何でもチャンスを逃せば二度とそのチャンスはあるとは限らない。人間のチャンスは一度か二度でありあとは無い。何かゆっくりと構えてもいられないのであ。だから勉強でも絶えず自ら求めてするのではなく受験勉強とかで点数を取るために追われているのである。

会社を起こしてもまず利益だとなりそのためにどうしても不正なこともしたり弱められるのである。とても悠長に構えて事業もできないからである。だから高齢化の悪い面も多いのだが長い目で見て生きるという事にはいいともなる。もう60くらいで死ぬとなればやはり時間がないのだから何もできずに終わってしまうともなるからである。 60から90までも生きるとしたらまた30年もあれば先が長いとなり人間のなすことはそれで急ぐ必要もないとなってるのである。

●原発は核は人間の能力で操作できないから廃止するべき

事実私は60過ぎてからでも自分のしてきたことを旅にしてもその経験を書いていることでもわかる。何かを理解すること自体人間は時間がかかりすぎるのである。世界を理解するにしても実際に旅をしたりその後にいろいろ学ばないと世界など理解しようがないからである。でも人生200年になったらどうなるのか。世界をくまなく旅をしたりさまざまな経験をして知識を広めて理解が深ま。だから人生百年でも200年にでもなったら先を急ぐことはないとなる。だから長生きは必ずしもみんな悪いとはならないのである。人間はそれだけ成長するにも何か一つのことを理解するにも時間がかかるのである。

それより何かしようとしたら時間がなく人生が終わっていた

中小企業白書によると、 起業後の生存率は1年後で95.3%、3年後には88.1%、5年後には81.7% という結果が出ています

なぜそうなるのか、それだけ時間が限られていて事業でも簡単に成功しないのである。そして失敗したらまたやりなおす時間もないのである。ただ知的な研究などは積み重ねれば実りがある。でもそれでもそのことで収入があるうとはならないのである。
結局人間の成すことは時間が限られているためにやれることはわずかだとなる。要するに人間は時間切れで終わりになるということである。

だから原発にしても作るのは急ぎすぎた。それだけの日本には原発を作る技術もなかった。何か日本は特別技術にすぐれているということで安全神話が作られた。それは技術の未熟さを隠すためのものであり実質は簡単なことでも安全策とっていなかったのである。その理由は金がかかるからそうして頂けなのである。
何か安全神話というのは宗教のようになっていてただ唱えていれば安全だとなっていたのである。宗教の問題はただ仏に神に祈りは何でも叶えてやれる。そこであらゆる欲望が欲望を叶えてくれる。それが今のカルト宗教である。

だから東電が原発事故を起こした時あれはオウムだと言ったのも分かる。まさに安全神話では神話は宗教化していたからである。つまりオウムとわかると宗教であり今の宗教団体というのはほとんどカルトである。そこではあらゆる欲望が叶えられるとしてあれだけの人数が集まっているのである。
だからオームは科学を重視して科学者となる卵がそこに集まったのである。幸福の科学というのもまさに科学を重視しているからそうなる。創価でもやはりそこに医者などがいるとかえって信用される。
つまり現代とは科学が宗教となっているのである。そしてこの科学というのは人間の欲望なんでもかなえてくれるという幻想に陥っている。つまり科学は万能だという幻想に陥っているのである。だからあらゆる病気が治り人間は死ななくなるというまで言う人がいる。それはまさに人間が神の代わりに万能の力を持つということになる。でも人間には限界がありその限界があらわれたのは原発事故でもあった。

そもそも原発というのは人間の能力を超えたものとしてありまた原発は核のごみというか放射性物質というのは自然界にないものを作り出す。そのことは以下に危険なことだったか科学者はもっと考えるべきだった。それを考えていた科学者はいた。でもなぜか原発というのはそうして危険なのにやめられないのか。それは核兵器を持つために必要だからやめられないという人もいる。
でも原発というのは自然界にない物をプルトニウムのように2万年も消えないとかそういう危険なものでありそれを消す技術もなかったのである。処理水を海に放出したがそれは安全だと言っても信じられないのである。
だからそもそも世界でも原発を作るということは禁止すべきだともなる。それを操作する能力が人間には無いからである。そして放射性物質を自然界にはない物質を出すという毒を出すということが解決していないからである。そこに人間の能力の限界がある。それが大きな災いとなって人類が滅びるということもあり。つまり核というのは廃棄しなければならないものであり人間の能力でわ操作できないものだからである。



posted by 天華 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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