2023年08月20日

放射性物質を海に流す問題 (漁業者は多額の補償金を事故前にもらったことで責任が問われた)


放射性物質を海に流す問題

(漁業者は多額の補償金を事故前にもらったことで責任が問われた)

石巻市寄磯浜では、原発事故後に多くの漁師が海を去りました。当時も補償はあったものの、出荷できない時期が続いて販路を失い漁業への意欲を無くした漁師もいました。
 遠藤さんは、補償があっても風評被害が続けば漁業は衰退するとして、国には消費者が安心して水産物を食べられる体制をつくってほしいと訴えます。

処理水放出迫る 「補償が出ても…漁師の思い」

これは石巻こうのことである。原発事故の汚染は福島県だけではない韓国とか中国まで日本の原発事故で汚染水を流すなど批判されている。だから原発というのを一地域の問題として処理してきたのは間違っていたのである。環境問題は国地球全体に関係しているから世界の問題となったのである。世界に対して責任があるということである。現在は何でもグローバル化しているから一国だけが勝手な事など出来ないのである。

だから日本全体の漁業者の全漁連を相手にして東電がその許可を得ようとしているのである。それは一地域の問題として処理できないものだったのである。でも補償金となると事故前もこの辺の漁業者は舟主は特別補償金が多くて貰って原発御殿が建ったとたとか言われたのである。今その責任が問われているのである。
なぜなら福島県だけが補償金をもらってほかの人たちはもらっていないと思うからである。多少は貰ったかもしれないなそれも少ないだろう。
だからもともと原発というのは汚染は広範囲にであり事故を起こし汚染したら影響する。ということは福島県の地域だけで許可できるものでもなかった。それが今現実化しているのである。何かこの辺で起きたことは金というのはただもらえばいいとしか考えなかったがそれが意外と怖いことでもあった。
現在では何が責任かというともう特別な地位にある人だけでなく金をもえあえばそれが責任となる。なんでもいいから金になればいい金をもらえばいいそれが実際は金が責任となっていたのである。

なぜ漁業者が今になって責められるのかのそれは金をもらったからである。それは事故前からも多額の金をもらっている。それであなたたちは許可したのだから何があっても文句は言えない。
だから原発を作るときそれは世界の問題のであり環境に影響するのだから原発自体を一国とか一地域とかで処理するものではなかった。ただ事故後にその金の責任を自覚されさせられたのである。
原発を建てるに対して大きま範囲で検討する必要があった。現実に石巻まで影響したのだから福島県の浜通りだけではない宮城県の漁業者もその是非を問うべきだったのである。
そして福島県の浜通りの漁獲高などは宮城県に比べると1/10ぐらいだったのである。だから零細業者であるそんなに収入はなかったのでだからこそ東電が出す補償金が魅力となったのである。
確かなことはもし事故前に補償金をもらっていなければ問題なかったかもしれない。事故後にもらっても批判することはない。事故後だとみんなもらっているからである。ただ問題は事故前に多額の補償金をもらってたということだったのである。
それだけもらっていたのは福島県の漁業者だけだったろう。だから汚染水を流すなという時あなたたちは既に事故前も金を貰っているのだからそれが言えるのかとなる。
つまり現在は金が責任になるのである。ドラマでは金をもらったからと殺人までした人はいる。その金をもらったことで人を殺すことになった。別に殺さなくてもよかったのだがやはり金をもらったことで責任となっているからそうしたのである。

とにかく何であれ金を巡って人間は争いがありそれだけ金が物言う社会だからである。でも金に関してはなんでもいいから金をもらえばいいとなっている。お金がくれるからそれを断る人は居ない。それがどんな金であれもらえばいいとなる。。それがたとえ盗んだ金でもそうである。もしかしたらその時誰かを殺しているかもしれない。そうしていた金をももらう時怖いことになる。その金は呪われた金でありそれをもらったとしてもやはり呪われるかもしれない。
だから金と言うのは何でももらえばいいとはならないのである。この世の問題は金を巡って争いがありでも金というのは責任が伴っていて怖いものなのである
でも常に不正があり金を得ることが優先される。それは銀行でもそうだし自動車は会社でも修理会社でも不正して保険金をだまし取っていた。つまり何でも金になればいいということがそういう問題を引き起こすのである。それはあまりにも金の魅力が大きすぎるのであ。例えばあなたに百万でもやれくれると言ったらもらっても構わないとなる。その金の出所が何であれもらうことになるのであるそこに危険がある。

ただ正直あまりにも金の力が強くなりすぎたのであ。この辺では最底辺の暮らしをしている人が常に金に困っている人が補償金は一応16万もらいる。その日暮らしをしている人にとってはそのお金は大きなものなのである。また原発事故があってから親でも死んだ場合その補償金ももらえるのである。となると32万円ももらえるから結構大きなものとなる。
だからその金はもらえるからと金を貸してくれとなったのである。こうして人間を金を巡って日々生活している。でも金には責任がつきまとっていたのである。
現在は平等社会であり必ずしも昔の侍のように責任を負うということはない何が責任かとなったとしたら金なのである
だから今回も漁業者が事故に金をもらったということで非難されることになったのである。別に事故後にもらっていたらそれは高くなっても文句を言う人はそんなにいないだろうそれだけの被害があったのだから当然だとなる。それを事故前に手付金として多額の補償金を貰ったことが問題なのである
そのことは事故があっても何も言わないでくださいということでで金が支払われたのである

だからその金が問題になったのであだから金がもらえるからといって何でもしていいのかとなるとならない。その金についての責任が問われるのである。おそらく自分自身もそうだった。遺産が入ったとしてもそれは自分だけの金ではなかった。親は公務員であれ特別恵まれて入ってきた金なのである。そのために大金を盗まれたとか金を巡って金を得たいために介護に苦しんでいる時そんな人しか来なかった。それもやはり何か親のカルマであり因果であるただ金はもらえたのだからいいと思っていたがその代償もあったのである。独り占めするなということがあった。

どうしてその金が得られたのかそれが問題になる。金は何か具体的で分かりやすいのである。だから何か事件があればかねの流れを見るとわかりやすくなるのである。だから金は責任なのである。とにかく不正で儲けてもそれで栄えるということはあり得ないと思う。原発事故はそうした不正とかは関係ないように見えていた。でも隠蔽するとかいろいろ技術的な問題だけでなくモラル的問題もあったのである。それは巨大な国家的権力を持っていたからできたのである。権力を持つということは責任を持つということになる。その責任の自覚が無くただ金をもらえればいいとしかなくなっている。

でも東電に天下りした検事とか警察関係とか海上自衛隊とかその人たちの責任は問われていないのである。でもその人たちは金だけはもらっているのである。また東電でも幹部なども責任は問われないのである楽それはなぜなのだろうかとなる。権力を持っているから責任をとわせないようにしているのかとなる。
そこには検事とかとかか警察とか自衛隊が関わっていればそんな権力に立ち向かうことができる人はいない。だからこそ津波がその悪を暴いたのである。中国にも易姓革命がありそうして大きなな災害が起きる時政府の責任が問われるからである。中国の大洪水でもそれが起きたのである。習近平体制がその責任が問われているからである
posted by 天華 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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