日大大麻問題「検事上りの日大副学長と警視庁の太いパイプ」
「既得権バームクーヘンの隠蔽体質」-原発事故と似ていたー加治将一氏の説明がわかりやすい
●東電も権力で危険を隠蔽して無視した
この説明はわかりやすかった。常に加治氏が指摘しているのは隠蔽体質である。だからこの事件も表沙汰にしないように日大でも隠していた。隠すことができたのは日大の副学長が検事上がりの人だったからである。つまり検事だから警察庁と通じあっていたのである。これは大問題である。
日大の検事が日大の役員として迎えることは何かあったときそれを表沙汰にしない隠すことができる。そのために検事を役員にしておく。それから学長にしたのは林真理子でありその人はどうでもいいのである。飾りとしてあるだけであり今回の事件でも蚊帳の外に置かれ何も知らなかったという。
この隠蔽体質というのは東電にもあった。東電は危険なことを表沙汰にしない隠すことができていたのである。なぜなら検事でも自衛隊でも警察庁でも天下りしていたからである。だから日大などよりもう鉄壁の守りでありそれを暴くことはできないものとなっていた。
だからこそ実際は安全でないものであっても安全神話を作られていたのである。そこには御用学者も一一役買った。マスコミもそうである。莫大な金が800億円という金が電事連とかから流れていた。一応共産党でも危険を指摘していた。でも電事連といえばやはり共産党系の人たちもいるのだから原発廃止ということにはならなかった。東電とは信じられないほどの強力な大企業であり国家と同じだったのである。そんなものに反対することは不可能になっていたのである。
内部で働いている人は配管などが老朽化していたとか危険を指摘していた。また13mの津波が来ると科学者集団は指摘していたのである。でもそれも無視された。
ともかく危険があったとしても無視されてきたのであそれができたのは強大な権力が国家でも東電と一体化したからである。
だから内部でもそこで働いていた電気関係者の人も配管など何か危険を感じていた。でもそんなこと上の人に何にも言えなかったのであるというのはそういうことを上の人に言うと仕事をもらえなくなるからである。常にそうして権力を持っているから東電には何も言えない。そのために東電は安全神話を作り実際は危険に備える安全対策もしていなかったのである。それができたのはこうして巨大な国家と一体となった権力を持っていたからである。だからそれを暴いたのは津波だったとなる。そんな巨大な権力に対抗することはできなかったからである。
ただそういう隠蔽体質をが危険なのは原発事故で証明されたように事故になったとき住民はもう故郷に住めめなくなった。住民も安全神話を信じており補償金ももらえるとか金が優先になっていたとも言える。
その後の保証金でも何兆円とかなっていることで驚いたので国が関与するとなるとそうして庶民などは考える金とはまるで違ったものとなる。この辺であまり東電を批判しないのはやはり補償金でも貰えたからである。
●原発事故の原因も隠蔽体質から起きたこと
原発事故の原因はいろいろあるにしてもやはり権力による隠蔽体質があった。それは日大の大麻事件でも同じであった。隠蔽する権力でも持っていたとなる。その象徴が検事だった人は役員になっていたことである。その検事が警視庁と繋がり隠蔽するということが出来たのである。
東電になるとそれは国家並みの権力でありあらゆる権力の中枢にある人が海上自衛隊とかでも警察関係者でも天下りしていたのである。そんな巨大な権力に対抗することは不可能だった。マスコミもただ東電から広告費として巨額のお金をもらっていた。だから事故が起きたとき朝日新聞社でも中国に東電から招待されていて飲み食いしていたのである。
だからマスコミも関わり安全神話は鉄壁なものとして作られていた。でもそのことが大事故に繋がっていたのである。爆発が起きてもそもそも安全神話があるのだから避難訓練などしていない。それで一番危険な一番放射性物質が多い場所に町長は何も知らされていないので避難したのである。
東電の人が放射性物質がどういう風に流れるか知らなかったかというと知っていたのである。それで東電の人が山の方より海の方に避難した方がいいとしてそれに従った人たちがいたのである。なぜなら海の方は0.5とかマイクロシーベルトか本当に低かったので山の方の津島になると20から30マイクロシーベルト言う恐ろしいものとなっていたのである。
そういうことになったのはそもそもは安全神話を作り事故は絶対に起きないと言うことを前提にして原発を作ったからである。だから危険があっても隠蔽できたのであそれが後々の大事故にもつながっていたのである。だから権力を持つということは怖いことなのである。そしてなぜ権力は腐敗する絶対的に腐敗する。そう言われるのは権力によってそこに危険があってもまずいことがあっても隠蔽できるということにはそのことから真実が見えなくなる
だから日大の大麻事件でも内部からも告発がありいろいろ指摘があっても隠蔽していたのである。そこには検事上がりの役員が関わっていたのではそもそもなぜ東電がこれだけの大事故を起こしたのに役員でも罰せられないそれはやはり検事でも天下りしていて身内はバームクーヘンは既得権者はお互いに守ろうとするから罰せられないと見た。
●システムを変えても人間社会は根本的に変わらない
いずれにしろ日本には民主主義は根付いていない。民主主義とは選挙の選挙をするというだけではない。様々なシステムは透明化して民主化することである。それが日本では出来ていない。報道の自由もない。今まではマスコミが報道を握り第3の権力になっていた。マスコミが真実を追求しない。やはり隠蔽に協力するものだったのである。た
だだ既得権のバームクーヘンの中にはいっていれば甘い汁を吸いるということになっていた。その報道でもテレビだと莫大な金がかかる新聞でもかかる。そのためにどうしても広告費をもらえないと成り立たないのである。それで聖教新聞すら第1の仕事はこの広告をとることだと言っていたからである。そして何か創価でも環境に良いとか原発の宣伝をしていたのはマスコミの中で二番目に大きかったのでなぜそうなるのかというと金のためいみそうしてるだけである。本当は宗教団体なのだから真実を追究するということが第一にあるべきなのである。
そもそも創価などは権力を得たいというだけである。権力を取るなら手段を選ばない。あらゆることにそのために権力を得るために工作しているのである。新聞社にも聖教新聞を刷らせて反対させないように批判させないようにさせる。福島民報も聖教新聞を刷っているからである。
だから原発のことなど危険危険を知らせないし何も言わないともなる。つまり広告費をもらうことで批判は抑えられるのである。だから大きな権力にはマスコミも逆らうことはできないのである。ただインターネットだと金ががかからないから一個人でもこうして気軽にかけるのである。ただ影響力は少ない。
ともかく加治将一氏がマスコミでも取り上げ無いのは日本のタブーに触れているからである。日本では天皇を批判できないからである。天皇は偽者だという時妄想であるもそうである。またさまざまな多分がありタブーがありそれに触れているからマスコミには出ていないのである。でも何か時事問題とかで話すとき急所を付いていてわかりやすいのである。だから新しいメディアができてそういう人も生まれたとなる。何かインターネットというのは一個人でも新聞社でもテレビ局でも出版社にもなれているので
ただ何であれ発言すれば批判はある。加治将一氏は何かアメリカに対してはあまり批判しないようである。アメリカにもいろいろ問題があるいくら民主主義があるとしてもそれも必ずしも実行されていない。アメリカの一番の問題は超格差社会であるということである。数パーセントの人がアメリカの富の半分を持っているということはもう民主主義も何もない異常なことである
そんな国がもう維持できるのかとなる。システムを変えることが大事だというはそもそもシステムを変えたところで人間が変わるものだろうか。それは社会主義システムに書いてもやはりそこで悪魔必ず生まれているのである。
だから人間というのはシステムを変えてもその中にいるそのシステムを動かす人間を変えない限り社会は変えられない。だから民主主義システムでも共産主義システムでも資本主義システムでもそこに悪が不公平が生まれ格差が生まれ公平にはならないのである。
でもその中で良心がある人はやはりこれはおかしいと思うのである。そもそもシステムを変えれば社会が改善されるということで共産主義でも生まれた。結果として粛清されて何千万人も殺されたという最悪の結果にもなったのである。だから本質的には人間社会というのはシステムを変えても変わらないように見える。人間の個々人が変えない限り変わらないと思う。つまり社会の中で詰めに不正がありそれを指摘して変えようとしない限りいくらシステムを変えても変わらないと思う
●人間の欲は消えないから悪も消えない
ともかく加治将一氏がこうして明確に悪を指摘できるのは作家というだけではない。アメリカに15年とか不動産関係で仕事していたとかその経験が大きいのである。だから常にアメリカと日本を対象的にに見て指摘できるのである。
日本だけに住んでいては日本のこともわからないのである。それは別に日常生活してれば些細な事でも日本との相違がわかる。外国では釣銭を明確に計算して出せないという。日本ではそういうことがない。そのためにかえって遅れた国ではit化して釣銭を数えないようにしたということもわかる。
また固定電話でもスマホになったということも携帯電話からスマホになったということもわかる。つまり遅れていることがかえってよく作用したのである。それは自分自身がそうだった。悪筆をなんとかしようとしてワープロを始めてた。そのワープロに通信機能が付いていたので早い時期から通信での対話などしていたのである。だから遅れてるということは返ってよく作用するということもあ
ただ問題は彼はあまりアメリカのことは批判していない。そこに多少の疑問がある。ただその批判する視点が既得権者のバームクーヘンであるということには賛同するのである。問題はその既得権者にありその人たちをどうして監視して権力を抑制しして操作するようにさせる。
つまり権力というのはそれだけ危険なものを持っているからである。そのためにさまざまな危険がありナチスのように何千万人もう死んだりとか日本の戦争でもやはりそういうことはあった。宗教というのもまた権力と一体化すると非常に危険なのである。
宗教と言うと何か平和のものと感じているが実際は宗教でも常に暴力となり平気で殺すことも是認されるのである。だから宗教対立でも常にあり戦争になっているのでそれは宗教の対立というより権力の対立なんだと思う。なぜなら人は権力を得ることを具体的に得だと思ってしているからである。だからカルト教団もここの内面の心などは全く問題にしていない。
社会で勢力を持ち権力を得ることを目的にしているのである。そして社会というのは人びとは権力に従うのである。
その権力にもいろいろあるが軍事力があり金があり今では民主主義となると数を集めることなのである。カルト教団でも何百万人もいるとなると恐れることになる数で威圧するのであるその中身は何でもいい。正義も何もない唯一がすべてであり数は力であり数を集めて社会を支配するのである。現在で力を持っているのは大衆だからそうなるのは当然である。
●権力を望まない欲のない人が治めるべき
だから理想は権力を持たない人が欲を持たない人は一番上に立ち収めることである。それで聖書では緑子に収めさせようとか老子になると治めずして治まるとかの結論になる。権力を持てばもともと欲があるのだからその欲がむき出しになって権力を利用する。それがあからさまに行われたのは中国である。皇帝がどれだけの権力を持ちその権力を利用してその欲を叶える
それが異常なほどの残虐な行為伴っているのである。
から元々宗教とは欲を抑えるかことから始まった。でもカルト宗教団体になるとどうしたら権力を得て自分の欲を達成することまでだったしかなくなった。だからこそあれだけの人間を集めることができる。ただ一票になればいいだけであり頭数を集めるだけであり後のことは何も関係ないからである。
そしてナチスのようになるのである。だから民主主義というのも今や人々はそのシステム自体を問題視している。それはほかの資本主義でも社会共産主義でも同じであシステムを変えたからと言って社会は変わらないのであそもそも人間の欲は消えないし変わらないから社会も変わらないので社会のシステムを変えても社会は変わらない。そもそも人間が変わらないのだから変わりようがないのであるシステムを動かすのは人間だからである。
資本主義がウエバーのキリスト教修道院内で始まり人々に奉仕するものとして労働がありそこから資本主義が始まったというときまさにそうである。それも全く変質してただの強欲資本主義になってしまったのである。人を助けるということなどは全くないただ自分はもうければいいというだけである。だからこのようにシステムというのは必ず人間の欲によって変質してしまうのである。
だからもともと仏教の出世ということはこの世から離脱することであったが逆にこの世で出世して欲を達成することが目的となったのである。カルト教団でわあらゆる欲は是認されるしもっと欲を持てそれがエネルギーがあることだと言って奨励されているから異常になっているのである。
そこでバチ当たるとか地獄に落ちるとか言っているけどそんなこと言える人間なのかただ自分の欲をを達成するだけを目的にしているのそいうこと自体が異常なのである。でも現代社会では異常でもでも多数になれば正常になるのであるそれがナチスだったわけである。ナチス政権も選挙で選ばれたからである。
日本は民主主義の三権分立があっても機能していない。それは確かである。だからこそバームクーヘンの既得権者は構成されてそれが原発事故であれ日大の大麻事件であれ問題が起きてくるのである。システムを変えることは必要である。でもそれが根本的な解決になるのかは疑問である。結局システムでも人間が動かすものでありそこでまた必ず問題が起きるのである。だから権力を監視するというかそういう機能は必要なことは確かである。
でもマスコミも権力に癒着して既得権」バームクーヘンになっていたのでそれはなぜかとなれば得するからそうなったのである。だから根本的に人間社会を変えるということは難しいとなるのである。聖書でも欲で滅びるというとき人間の最終的な結論はそうなってしまうのである。欲はどんなことしても消せないからである。それに対処方法は無いのでそこに人間社会の限界がある
この世の悪との戦いに終わりがないことなのである。
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