2023年08月14日

夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、木陰)


夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、木陰)

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これが本当の実在の写真


夏の日の田舎の小径


家々は離れてまばら静かなり

小経が分かれ家々に通じている

そちこちに木陰があり休む

涼しい風がそよぐ

夏の雲が高く高く峰となる

ひまわりは我に向かって咲く

揚羽蝶が夏菊にとまりしきりはばたく

嬉々として花から花へと渡り飛ぶ

なお暑い太陽が山の端に入る

人ごみの都会の中で人は疲れる

一本の大木は大地に深く根付く

古い農家はその大木になる。

人はもっとも身近な場をよしとしない

大輪の芙蓉の花がゆったりと咲き

そこに安らぎと平和があることを知るべし 


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A summer day in the countryside


Houses are far apart and sparse and quiet

A small path leads from one house to another Here

and there a shade tree rests

A cool breeze is blowing

Summer clouds form high peaks

Sunflowers bloom toward me

Butterflies perch on summer chrysanthemums and flap their wings

Butterflies happily fly from flower to flower

The still hot sun enters the edge of the mountain

people get tired In the crowded city,

One big tree takes deep root in the earth

An old farmhouse becomes a big tree.

People do not appreciate the most familiar places

A large hibiscus flower blooms slowly

And know that there is peace and tranquility there


Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)






人間はいつも見ている風景に感動しない、それがいいものだとも見ない、あまりにも見慣れた風景だからである。
でも混雑した都会と比べるとどれは得難いものになる。なんか年取ったらよけに混雑した所に行きたくなくなった。どうでしても老人は田舎志向になる。京都が良くても外人とかであれだけ混んでいたら行きたくなくなる


キアゲハと花
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ここの花は桃色だけど私が見たのは橙の色の夏菊である

ビデオに撮ったが撮れていなかった
実際に夏の雲が湧き田舎の農家にひまわりが咲いていた
イメージクリエーターとは感覚的相当違っている
ヒマワリはやはり大きくないと映えないのである。
現代は映像化の時代だからやはり写真でも動画でも欠かせないのである
言葉だと相当にイメージ力がないと鑑賞もできないからである
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