加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る
(団塊の世代を語る―加治氏も同世代)
●戦後の世代の特徴
最盛期には、不動産にも何十億と投資していました。
そんな時、バブルがはじけて不動産価格が急落。
資産が吹き飛んで、倒産しました。
今思うと、あの頃は何でも思い通りになるとどこか傲慢になって自分を過信してしまっていたのですね。
日本に帰国後、アメリカと比較して日本の不動産市場のおかしなところを纏めた書籍を出すことになりました。
これが、メディアにうけてテレビ番組に出るようになったのです。
これが、今の作家の活動に繋がっているのです。
一人の人間を見ることは難しい。その人がどういう人なのか知ることは簡単にできない。でもその人と何か共通点があるとわかりやすいのである。例えば世代が同じだとか産まれた地域が同じだとか同じ興味があるとか同じ専門だとか何か共通点があるとそこからその人間を推し量る。私の場合団塊の世代であり加治氏と同じ歳なのである。だから言ってることに理解できるし共感をもつのである。
【団塊の世代】1947〜49年生まれ
戦後のベビーブーム世代。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。高度経済成長の真っただ中に社会人となり、バブル経済期の頃は40歳前後の働き盛りで、日本の「右肩上がり」を実感した。
【バブル世代】1965〜69年頃生まれ 50−60代
日本がバブル景気に沸いた企業の大量採用期に社会人となる。「24時間戦えますか?」と高らかに歌う栄養ドリンク剤のテレビコマーシャルが大ヒット。長時間労働に疑問を持たず、接待会食、接待ゴルフ、接待麻雀など、勤務時間外も仕事の付き合いで縛られるのが当たり前のこととして受け入れられて
【就職氷河期世代】1971〜82年頃生まれ 40−50才
バブル経済がはじけ、長期の景気後退局面へ突入。企業が求人を絞ったために正規社員として就職できず、契約や派遣などの非正規の仕事しか得られなかった人も多かった。運よく正社員として就職できた人も、入社早々から業績悪化、経費削減、リストラの波にもまれたために、危機意識が強い。
いた。
戦後では、この三つの世代が目立っている。その数も多いからである。団塊の世代だった私たちの世代は共通したものを持っている。それはあまりにも数が多くて教室すら確保できない状態だった。加治氏も一クラス70人だったというからそういう時代だったのである。
それで高校でも数が多くて入れないとかになり受験競争になったのである。その時私は勉強に興味もないのにしていたのでいやだった。また必ず試験が何度もありその成績が順位でもって学校に張り出されていたのである。その経験は全国的に同じだったのである。そういうことをすると同じクラス、学校でもクラスでも他者に対して何とか抜きん出ようとして競争しよう煽ることになる。でも数が多いから椅子取りゲームになっていたのである。 この競争は数が多いから氷河期世代まで続いていたのである。だから、これらの世代の人は何かと他者に対して競争心が強く自分が上だと言うことを示そうとする。
ただ、加治氏が意外だったのはアメリカに渡って不動産業で成功したもの人だと思っていた。でも実際は失敗していたのである。帰国してから作家となり、ある程度成功したとなる。
●団塊の世代の子供時代、数が多く熾烈な競争を強いられた
人間を見る場合。学歴から見る人が多いが実は人間は経験によって作られるのである。だからその人を見る時、どんな経験したかをみることが大事なのである。何々大学卒とかみてもその人をわからない。ただ外国に留学して外国で学んだ人は価値があると見る。で採用するときもその職歴を見るとわかるし何も職業を経験していない人は採用などされない。自分等は職歴が何もないから会社に勤められないのである。まず採用などされないからである。
学校にも適応できなかったしもちろん会社にも適応できない。だからただ自由に旅して学び終わったのである。そこに大きく欠けたものがあったのである。ただ自分ひとりで個性を伸ばし個性に合ったことをしてきたからよかったのである。それは家族に恵まれた結果だったのである。
とにかく加治氏の場合アメリカで実際に仕事をしてきたということはその経験が大きい。日本で仕事をすることは相当に差があるからである。ただその時代不動産業には適していたのである。高度成長時代に。アメリカの土地がニューヨークでも買い占められると当時アメリカが騒ぎ日本を敵視したからである。今になると日本が中国に土地が買われるということと似ている。 それが今の日本になると信じられないともなる。あまりにも日本が失われた30年があり落ちぶれてしまったからである。
そして目立つのは氷河期世代でこれも人数が多いから大きな問題となったのである。でも当時は自由な働き方であり非正規は時代の働き方として推奨されていたということもあった。ただ、私は社会から離れて暮らしていたからそのことはよくわからなかった。何か時代というのは人生というのはあとから振り返ると見えてくるのである。だから老人になると過去を振り返り明確に見えてくるものがある。それで老人は昔を語るのに向いているのである。
ただ加治氏の育った環境と私の育った環境は似ているが家庭環境は違っていた。これは8人兄弟なのか?末っ子であり粗末に扱われたのである。父親には何かというと殴られたという。そういう時代だったのである。それは学校でもそうだったのである。学校でも先生が平気で殴ったり廊下に立たせたのである。平気でそういうことをしていたのである。それができたのは実際は家庭でもそういうことをしている。子供は厳しくしつけたほうがいいということで容認されていたのである。それで殴られたとか近くの先生だった人を恨んでいた人がいたのである。
だから別に親は何も言わなかったのである。今でも同世代の母親は厳しくした方がいいと言っているの。何故ならその時女性は親に殴られたり、先生に殴られたりされないからそうなっていたのである。こうして同じ世代だと共感することがあり話が分かるのである。
●教育環境が悪かった時代
そして何度も言っているけどその人も勉強する個人の部屋などなかった。だから子供部屋おじさんなども団塊の世代にはなかったのである。何か家で勉強できるようなものは何もなかった。私の家は店屋であり子供の時から絶えず配達をさせられていたので。私の父親は明治生まれで酒屋の丁稚であり。だから私も丁稚のようにされていたのである。
でも戦前でも戦後まもなくは子供はそうして働いて親に尽くすものとしてあったのである。戦前になるとそれはもっと厳しいものとなっていた。今外国から働きに来る人は貧乏であり親に仕送りするために親のために働いているのである。そういう時代があったということである。
その様子が変わったのは、高度成長時代に入ってからである。それでもわからないのは高校まで東京オリンピックの時蒸気機関車に乗って原町の高校まで通っていたことである。これがどうしても信じられないとなるのでは?
とにかく時代というのはは急速に変わる。昔からも三日見ぬまの桜かなとなる。3日であっという間に桜が咲いたということである。3日も見ないうちに満開になってしまった。それが中国である。十数年前いやもう20年まえのか中国に行ったときは物価は、日本の1/10であり貧乏な国だったのである。それが新幹線のようなものまでが走り、日本より豊かな人が1億人でも増えればそれはもう全く違った国になってしまったのである。このように時代の変化は大きく忽ちまた過去がわかりにくくなるのである
私は加治氏の著作物には関心が無かった。一冊も読んでなかったのである。でもユーチューブで話すことを聞いて、興味を持ったのであるだから人間は本だけがその人を知ることでない。その人全体を語るのは本だけではないユーチューブとかブログでも語れるようになったことを知った。これらのメディアは個人が制限なくいくらでも語れるということである。テレビとかに出てもほんのちょっとコメントするだけだからである。その人の全体像というのは見えないのである。テレビでは主役は司会者なのである。そしてコメンテーターは司会者であり喋れるということもある。あくまでも主役は司会者なのである。でもユーチューブは主役はその本人なのでその差が大きいのである。
ただ加治氏についても分からないことはなぜアンティークコインが投資にいいのかとかは理解できない。そもそもアンティークコインことなどあることすら知らなかった。 加治氏は北海道の札幌出身である。だから、海道のことは詳しいはずだがあまり語られていない。その辺に不満はある。つまり、その人がどこに生まれてどのような家庭環境で育ちその後どういう経験をしてきたか?それはやはりその人物形成に大きく影響しているからである。、私は常に自分の出身地のことを東北地域と福島県と相馬地域のことを語り続けているからである。
とにかく人間はその人の経験したことがその人を作る語るにしてもその人が実際に経験したことが訴えるのであるそこに経験の重みがある
ただその経験はグローバルでありそれは本を読んでしたものではない。経験で知ったものだからである。経験が人間をつくるのでありいくら本を読んだとしても外国のことなどわからないからである。私も50歳からバックパッカーとして外国を回ったことが経験として生きてくるのである。それまでは全く外国に行ってないから恥ずかしいことを言っていたのである。それで加治氏の経歴はやはりほかの人は違ってそこに語るべきものを持っているということである。
しきりにいう思考脳とかっていうのも理解する。それで暗記教育の学校教育を批判していることも共感する。加治氏の場合は既に小学校からそういう態度であり思考を持っていたことに驚く。私はただ言うなりになっていたし、自分で考えることなどしたことなかったからである。でも何か疑問にもつことがありなぜ人間は死ぬのだろうとか追求し考えてその解答を求めて求道していたのである。
いずれにしろ一人物を知ることは難しい。ただ、同世代であり時代を振り返ると見えてくるものがある。でも戦前の戦争を経験した人を理解することは非常に難しくなっているのである。頭の中で戦争というのは考えてもわからない。だから私の母親は学もなかったが軍人は威張っていたというとき戦争の時代はそうなると言うことをその一言でもわかる。それは実際に経験した人が言ってからであり、本で読んだ人が言ったって実感わかないのである。だから実感というのは大事であり。実際にこの目で見たもの経験したものがその人を作るのである。
そういう事が今ユーチューブとかで語られているから今までの一方的なテレビとは違っている。青山繁晴のフランスの暴動がなぜ起きたか?アフリカの植民地だったアルジェリアとかその人たちがフランス語を喋るのでフランスに来ている。その経済格差が大きいからフランスに移民するのである。そこで差別があり暴動になったのである。その生々しい肌感覚でそこに行った人が語るときなるほどと思うのである。それがただ本などで実際に行ってもいない人が語るとき訴えないのである。だからいかに外国で生活した経験が有益かわかる
生活したとか仕事までしたということがその経験がその人を作るということである。
(2) 【ぼくらの国会・第554回】ニュースの尻尾「仏暴動 明日の日本」 - YouTube
●日本の歴史伝統を否定するのは問題
加治氏はにキリスト教徒でもない。でも愛を語る最も大事だとして語っている。 愛がなければ思考のも育たないとしている。実はこの愛というのは愛される愛ではないのである。キリストが教えたのは愛する愛であり、愛される愛ではないのである。それが誤解しているので大方の人はただ愛されたい。そしてなんでもいいからものでも何でももらいたい。そういうのが愛であり、宗教だと見ているのである。そこに大きな誤解があるのである。なぜなら人は何も与えたくない。ただ与えられたい、もらいたい、愛されたいしかないからである。そこに宗教に対する大きな誤解がある。もしそうだとしたらみんな宗教を避けることになる。何ももらえないとしたら与えるだけだとしたらいやだとなるからである。
また加治氏は日本の伝統のことを否定するのがすべてアメリカから入って来たものはいいものではなかった。キリスト教でもその国に入ったとき必ずその国の伝統とマッチして発展したのである。だから仏教でも中国に入ったとき中国的な仏教徒なり。韓国には入いった時、韓国的な仏教となり、日本に入った時、日本的な仏教となったのである。その国の歴史伝統がありそれにマッチしたものとして受け入れたのである。もしそれがなければその宗教も生きてこないのである。それを証明しているのはカトリックはフィリピンとか南米とかに入ったキリスト教はただ押し付けられたものとなり。その国自体の歴史、伝統ととマッチしたものとならなかったのでそこから日本のように仏教文化とか生まれなかったのである。そのときあった伝統的なものは根こそぎ破壊されたからである。
日本だったらキリスト教でも内村鑑三などは士サムライであり武士道に基づいてキリスト教を受け入れたのである。また神道を尊んだ手島郁郎でもそうである。 そこにもやはり見習うものがある。でもその国の歴史と伝統にに基づいてキリスト教も受け入れられたのである。
でも日本の戦後というのはそういう歴史と伝統を根こそぎ失われたということもある。その結果として、日本というのはもはや日本ではない。日本というのは、日本人はすでにアメリカ人になっている。加治氏は日本人ではなくアメリカ人なのでそれを今の日本人はみんなアメリカ人になってしまったのである。なぜなら日本の歴史伝統というものは否定されたり理解できないものとなっていたからである。
そこに良い物があってもアメリカのものはいいものとされたこともある。だからこそ日本というのは本当にアメリカと似ている似てくる。アメリカで起きてくることは日本でも起きてくる。なぜなら日本というのはアメリカのコピーだからそうなるとアメリカの悪い点もまた見習うことになりそれが現実化しているのである。ただ金だけを求める日本人になったからである。すべての価値は金に換算される。金にならないものは何の価値もないとなってしまったのである。それはアメリカ人に習ったからそうなったのである。アメリカに留学した内村鑑三はそう言っていたからである。でもそのときはまだ日本人的なものを伝統歴史が生きていたのからそうなったのである。だから日本の歴史伝統を否定することは問題なのである。
もちろんアメリカにならうことはありそれは否定できない。結局、アメリカの悪いとこも真似て日本も全てがアメリカ化して今日があるとなる。そもそも今?日本人が何なのかということすらわからない。なぜならみんなアメリカ人になってしまったからである。
この人はまさに日本人だなという人は見ないだろう。依然として明治時代の時は内村鑑三のよう侍の伝統は生きていたのであろう。だから明治は偉大な時代だったのである。それは日本的歴史的伝統が継続されて血肉となったものがありそこにキリスト教を受け入れたから日本的キリスト教となり活きたのである。南米ではそこには歴史伝統となるものはなく根こそぎ破壊されたりしてキリスト教は接ぎ木されなかったのである。そこに戦争に負けたということで歴史伝統も破壊されるということがいかに影響が大きかったかということである。