家族とは明治以降に作られた言葉
(江戸時代の家は一族郎党の広い範囲の共同体ーファミリーの語源)
「家人」と「御家人」の違いとは?分かりやすく解釈
「御家人」とは、鎌倉時代において鎌倉殿と呼ばれる「幕府の主権者の家と主従関係を結んだ家来」のことを表す言葉です。
「御家人」制度は鎌倉幕府の根幹となるもので、主従関係の基本は「御恩と奉公」という考え方で成り立っていました。
「家人」と「御家人」の違いとは?分かりやすく解釈
野馬追いの御家の旗は小高区からでている。小高が相馬氏が最初に城を築いた所だから御家の旗印があるとなる
●家族は明治以降に作られた言葉
家族という言葉自体明治になって造語されたものでありもともとなかった言葉である。家族というとき当たり前でありそのことで今違和感を感じることはない、でも明らかに江戸時代にはなかった言葉なのである。日本が開国してヨーロッパの文明を受け入れた時その概念でももともと社会に存在しないものだから訳すのに困ったのである。
社会自体がそうである。社に会すが社会だとするとそれは村という極めて狭い範囲のことであり社会となればsocietyは広いのである。市民というとき日本にはそもそもいなかった。市民とはヨーロッパでは都市国家があり都市が城壁を壁をめぐらして敵から守るためでありそこで強固な一体感が生まれた。citiznshipが生まれた。だからパスポートにどこの市民なのか記すのである。
だから家族という言葉は明治になった生まれた言葉であり江戸時代にはなかったのである。江戸時代の規範は侍が作った。
家というとき家とは大きな範囲の共同体だった。平家とかなればそうであり御家あり御家人がいる。家人となればただの使用人だったなる。それでも一つの家に仕えるということがあり家とは今の家族とは違っていた。
徳川家となればと徳川家となれば国を支配するとまでなるのだから家とは大きな共同体であり家族となるとそういう感覚にならない。親がいて兄弟姉妹がいてとか狭い血縁関係である。なぜ家族という言葉が作られたのかとなると誤解しているのは一家の墓家族の墓は明治以降作られたもであり江戸時代までは家族の墓はない、・・・家の墓はないのである
侍でも個人の墓であり夫婦の墓はあったが家族の墓はなかったのである。江戸時代の末期に庶民も豊かになり姓を持ち個人墓を作った。大方は村の共同墓地に葬られた。そこを仏方(ホトケッポ)とかなり地名として残っている。
だから明治以降家族という言葉が生まれた時、家族は今までのものと違ったものなのである。血縁だけの狭い範囲のものとなったのである。家は一族郎党のことでありその範囲は血縁に限らないのである。家の子というとき家に所属する人であり血縁者ではない、だから一つの家の墓がありその前に墓標とかだけの小さな墓がいくつもあるのを見かける。ただ土を盛っただけの墓とかある。それはその家で働いた人たちでありそれでもその家の人として埋められたともなる。
●ファミリーの意味
英語のファミリーの語源はラテン語のファミリアである
このファミリアは畑、家屋、金、奴隷、であり財産のことである。
ローマ人の場合にはそれは当初決して夫婦とその子供を刺すのではなく奴隷だけを指すfamulusは家内奴隷のことでありfamiliaは一人の男に属する奴隷の総体のことである
ファミリーは財産とのその維持管理があって生きていけることをファミリーの語源は示している。一般に財産の維持管理を継続的計画的に行う組織が経営であるがファミリーにも声援の生活保障のためのファミリアの経営が必要である
ここで奴隷がファミリーの一員になっている。つまり奴隷は家で働くものでそれでファミリーの一員になり手厚く主人の家族のようにも扱われたという事実もある。そこが誤解している面がある
柳田国男に言わせるとファミリーはそれ自身労働組織であり親子という言い方ももともと血縁関係を意味するよりは労働の組織であったオヤコのコは家の子、ミヤツコ(造)などのコであり労働者を意味していた
最初の国が国造(クニノミヤツコ)としたのはそれとにている。一つの家に働く人たちでありそれが国の始めだったなるからである。
相馬藩は相馬氏から作られた、御家の旗が野馬追に出る時、御家とは相馬氏の一族だけでない広範囲な共同体があり形成されたものであり範囲が広いのである。
御家とは一つの会社でありそこで共同で働くということで連帯感を持った。人間はやはり共に働くということで連帯感をもつのである。だから村は一つの家族ともなる。取り上げ親、乳付け親、名付け親元服の際の烏帽子親とかあい村の子供は村のファミリーの一員になるからである。
家族とは子供を夫婦で育てるという本能としてある。でも人間の場合そういう動物的なものから血縁的なものからだけではない広範囲なものとしてそれが社会になったのである。
そうして家族でも社会によって規定される社会の変化によって家族の形態も変わる
江戸時代の家族と明治以降の家族は違っているさらに戦後の家族は会社中心の社会になったとき核家族と言われかえってファミリアと言われた大きな共同体が失われたのである
それでそのことからいろいろとまた問題が生まれたのである昨今の介護の問題でも大きな家族ファミリアがあれば助け合う人は広範囲にいるともなる今は家族というだけの狭い範囲で介護とかでも押し付けられるのであるそこで数々の悲劇が起きてくるのである
また孤独死の問題でも人間は拠り所とするファミリアが無くなったことにも原因しているだから家族といっても時代によって変わり今や核家族という時それはもうともにともに支え合うという余裕がなくなっている個々バラバラになってしまった社会にもなったのである。ファミリアというとき親しいという意味もある
つまり人間が親しい関係を作れるのは狭い範囲なのである
グローバル化して物が外国から入って来ても親しい関係にはなれない、グローバル経済は人間を経済からしか見ない、だから人間も外国人を労働力として入れるとしてもあくまでも奴隷的労働力としてしか見ない,情のない一時的雇用関係となってしまう、ファミリーを形成することはないのである。
要するにファミリアな親しい関係を築くのにはとてもグローバルには築けない、封建時代という時何か遅れた社会とも見るがそこで形成されたのは人間と人間の強い絆であり結びつきである
それは常に顔と顔を突き合わせる狭い範囲での親密な交わりがあったからこそあり得たのであるグローバル化してもそうした親密な人間関係は作れないものと物のやり取りでありそこで人間の心で結びつくということは無いだからその関係も1時的で壊れやすいのである人間も今やものとして扱われ経済的一単位として扱われそこにやり取りされるのは金だけだとなる
●失われたファミリーとしての共同体
それでも高度成長時代は終身雇用とか会社が一つの村のようになり福祉もになっていたそれは高度成長時代だからできたのであるでも今度は会社でも終身雇用などできないすると会社員もジョブ型雇用になりその時々の会社の方針で一時的にその才能を利用するだけだとなる
とても全人間として扱うことはできなくなったのであるいずれにしろ人間をにはファミリーが必要であるでもそのファミリーが明治以降家族になった時そこにかつての村とかの大きな範囲のファミリーは喪失したのである
家族を考えるときそれと同時に社会も考えるなぜなら明治以降は封建社会でなくなりその代わりとして天皇を親として国民を赤子として新しい国家体制を作ったからである
言えることは家族とは意外と脆弱なものであり維持すること継承することでも難しいのである
でもファミリーとなる時それは家族を超えた血縁でも超えた大きなものでありだからこそそこでは単に経済的単位というのではなく人間としての深い結びつきが育ったのである
家族遺棄社会という時家族だけではもう介護でもできない金がないということもあるが人でもないということがあり限界になる
そして家族を捨てるともなる家族という単位は実際は少ないためにも手が回らないとなっている。
とにかく人間社会というのは何かを得れば何かを失っているだから封建時代など前近代的であり遅れたものでありとかなるそれはヨーロッパでも奴隷がいて遅れていたとかなるでもその時代に時代でやはりそこには現代が社会が失ったものはあったということである
そういうことで人間は歴史を学ぶ必要がある今なくなったものが過去にあり過去にないものが今にあるそういう比較をして今を知るのである
長塚節の「土」の勘次一家の美しい家族愛が示すように貧農のファミリーでは成員のすべてが愛よりあい助け合ってお互いの肌をお互いの肌でぬくめあって生きていた
貧農のファミリーには家族の絶対専制はなく権威は一つの温かな人情的情緒的雰囲気の中にありだからそれは同時に共同体的意識を伴っている(日本社会の家族的構成(日本評論新社括弧)
つまり人間というのは奴隷であれ身近に一緒に暮らしていれば自ずとファミリー親しさを感じてくる
だからこそいくら奴隷でも家族のように扱われたという事例がある。今ではそういうことはありえないただ小さな会社だと社長が親とかなり社員がもう家族のようになるそれは狭い範囲で一緒に働いているから自ずとそうなったのである
そもそも働くことは端(はた)を楽にしたいということが働く動機となっているそれは身近に苦労して働くことを見ていたからである
でもグローバル社会になればその働く人は全く見えないのであるそれでバナナを取るにしても暑いところで汗をかき楽ではないと報告があった
でもそれを買って食べる人はそんなことを全然思わないのである思いようがないのである。外国で働いている人のことなど見えないからであるだからグローバル経済というのは非情なものになるのである。経済の原理だけが働き人間的なものは無視されるのであるただ旧来のファミリーとかがすべていいものとして見ることはできないでもそれをすべて悪いものとして否定もできないのである社会は時代は常に変化している
それと共に家族も変化してきたのであるだからファミリー的なものが共同体が再び新しく構成されることを望むのである
でも疑似共同体とかまた生まれてからそれがカルト教団でありそこを拠り所にどころとする他ないのもやはりファミリーとか何かよりどころとなる共同体の喪失がそうさせているのである
家族の文化構造―川本彰
この本を参考にした
サグラダ・ファミリア(カタルーニャ語: Sagrada Família)は、スペインのバルセロナにあるカトリック教会のバシリカである。聖家族贖罪教会(カタルーニャ語: Temple Expiatori de la Sagrada Família)という正式名称を持つ。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。
このファミリアは訳すと家族になるがその訳からイメージすると違ったものになる。その家族は小さな親兄弟とかの範囲である
でもこのファミリアは相当に広い範囲のことを人間共同体を示している性家族協会ということは聖家族教会ということはキリスト教の信徒団体のことだからである
だから訳すと常に何か誤解があるそれは日本語で表すとそのから離れたものとなるからである
そこに言葉で表せないものがある
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