2005年12月20日

冬の蝶

winbutter1.JPG

川上の流れの澄みて冬の蝶

人去りぬあとにあまたの落葉かな

インタ-ネットを見て歩いていいのは写真である。プロ級の写真がありこれに俳句をつけたりしているがその俳句はよくないのが残念である。明らかにその写真から俳句が作れるのだ。ここの落葉の写真は優れている。うまく落葉をとった。こういう視覚で落葉をとらえているのに感心した。写真は相当にいい写真が多い、ただいい俳句は少ない、一万もプログで俳句が出てきた。一万人が俳句を日記のように書いているということはあきれるというかそれをみんな読むのかという疑問がでてくる。インタ-ネットは写真を見て歩くといいものが必ずある。写真は目立つからかもしれない、外国でも写真は絵はわかりやすいのだ。言葉になると直感的にわからないから何かいいものが発見されないのだ。人間は身近なものでも良くみていない、いろんな角度から見ると同じ風景でもまるっきり違ったものになるという不思議である。旅すれば確かに新しいものに接するから詩になりやすいのだが身近なものでもいかに人間とは見過ごしているかわかる。日本人はこの細部にこだわるのが得意なのだ。狭い所に住んでいるからどうしてもそうなる。物作りでも微に入り細を穿つ物作りである。だからデジカメとかの物作り、ミニマニストになる。極小の世界を極めるのに向いているのだ。俳句もまさにそのミニマナイズされた日本的芸術なのである。日本人は大局的に見ることはこうした狭い風土に生きているから苦手なのである。そういう大局的大陸的発想そのものもができないのだ。そういう世界がそもそもないからどうにもならないのである。


(下のURLで調べてください)

またはキ-ワ-ド-落葉の足おと(グ-グルで調べる)

http://www.shashinten.com/g/showphoto.php?photo=19261&sort=1&size=medium&cat=507
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